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目覚ましのアラームより先に、右手の違和感で目が覚めた。
何かを強く握りしめている。
ゴワゴワした感触。
ゆっくりと手のひらを開くと、そこには汗で湿った小さな紙片が、まるで化石のように鎮座していた。
(……なんだ、これ)
昨夜、自分が未来の自分へ託したSOSであることは間違いない。
「絶対に忘れてはいけないこと」。
そう脳が警鐘を鳴らす。
開こうとした。だが、指がこわばる。
皮膚一枚隔てた向こう側から、強い力で「開くな」と押し返されるような、奇妙な抵抗感があった。
忘れてはいけないこと。
しかし、開いてはいけない気がする。
この矛盾した命令を胸に、俺はいつも通り、くたびれたスーツを身にまとった。
満員電車は、今日も今日とて他人の溜息を運搬している。
吊り革を握る左手の隣で、問題の右手はポケットの中だ。メモの角が、太ももをチクチクと刺す。
(隠し口座のパスワードか?)
いや、そんなものは持っていない。
(誰かとの重大な約束か?)
カレンダーアプリは白紙だ。
(まさか……人生を左右するような、謝罪の言葉?)
隣に立つ男の加齢臭が、妙に昨夜の罪悪感を煽ってくる。
気になって仕事が手につかない。
キーボードを叩く指が、どうにも重い。
「忘れてはいけないこと」が頭の中を占拠し、今日やるべき「どうでもいいこと」が脳の端からポロポロとこぼれ落ちていく。
「なあ、俺、昨日なんか変なこと言ってた?」
昼休み、俺は同僚の佐藤にカマをかけた。
「変なこと? ヤマさん、昨日いましたっけ?」
ダメだ。昨日は一人で飲んでいたんだった。
脳みそが、乾いたスポンジみたいにカラカラと音を立てている。
思い出そうとすればするほど、記憶は奥へ奥へと逃げていく。
もどかしい。
このメモを開きさえすれば、全てが解決するのに。
いや、ダメだ。
あの「開くな」という強烈な拒否反応は、本能からの警告だ。
パンドラの箱と同じだ。
開いたら、きっと面倒なことになる。
忘れてはいけないのに、開いてはいけない。
俺は一体、どうすればいいんだ。
結局、その日一日は、右ポケットの違和感に全ての集中力を奪われたまま終わった。
重要な会議は上の空。
上司の薄いジョークは、右から左へ受け流された。
疲れ果てて、自室のベッドに倒れ込む。
天井の蛍光灯が、尋問室のライトのように俺を照らす。
もう限界だ。
忘れてはいけないことを忘れたまま明日を迎える恐怖と、開いてはいけないものを開く恐怖。
天秤にかけた結果、わずかに「忘れる恐怖」が勝った。
俺は深呼吸を一つ。
汗でふやけかけたメモを、意を決して、ゆっくりと開いた。
滲んだインクで書かれた、見慣れた自分の字。
そこには、こう書かれていた。
「『明日』が来ませんように」
俺は天井を見上げた。
ああ、そうか。思い出した。
俺が一日中必死で思い出そうとしていた「忘れてはいけないこと」とは、この絶望的な祈りそのものだったのか。
俺は「明日」が来るのが怖かったんだ。
責任、締め切り、老い。確実にやってくる未来のすべてが。
だから毎晩、この幼稚な「おまじない」を握りしめて、せめてもの抵抗として「今日」が永遠に繰り返されることを願っていた。
……皮肉なことに、その願いは叶っているらしい。
ただし、代償として「なぜ願ったのか」という肝心な動機だけを毎朝リセットされて。
蛍光灯の白い光が、急速にぼやけていく。
もう、どうでもいい。
どうせ明日も、このメモに一日中振り回される「今日」が繰り返されるだけだ。
俺は朦朧とする意識の中、ベッドサイドの新しいメモ帳を引きちぎった。
インクが滲むのも構わず、さっき見たばかりの呪文を書き殴る。
俺は、その紙片を祈るように強く、強く握りしめた。
ゴワゴワした感触が、汗ばむ右手に馴染んでいく。
やがて意識が途切れる。
……目覚ましのアラームより先に、右手の違和感で目が覚めた。
【追伸】
気づけば同じような毎日の暮らし。
あなたは日常というループを…
【意識的に抜け出したいですか? or むしろ無意識に浸っていたいですか?】
もし明日、いつもの日常に「一つだけ」違うことを加えるとしたら、何をしますか?
(ぜひコメントで教えてください🤫)
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