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大都会の真裏にある垂直の絶壁「ライオンロック」山頂で、九龍の摩天楼を見下ろしながら全力少年を吹く|香港マクリホーストレイル④

テントを叩く雨音で目覚めたハイク3日目。霧のなかを抜けると、眼下に現れたのは九龍の圧倒的な摩天楼だった。「大都市の裏山」をゆくステージ5、そして香港トレイルの象徴たるライオンロック(獅子山)の断崖絶壁へ。淡々と歩幅を刻む動的瞑想のなか、44歳の僕は、これまで身に付けてきた「夫」「父親」「会社員」というすべての属性を脱ぎ捨てた自分自身と、静かに、深く対峙することになる。


DAY4(5/2)

■S5・S6
■20.6km / 上り1,286m / 9時間03分
■水補給:S5・S6境界付近の売店
■天気:曇り時々晴れ・気温約26℃
■アクセス:Shing Mun → グリーンミニバス82 → 荃湾MTR → 尖沙咀
■宿:Pacific Lodge(重慶大厦)


雨と霧の目覚め。動的瞑想で思い出す「自由の輪郭」

朝、テントのフライシートを叩く雨の音で目が覚めた。

期待していたキャンプサイトからのご来光は、残念ながら叶いそうにない。雨が小降りになるまでテントの中でぐずぐずと過ごし、朝食をしっかりと腹に収めてから歩き始める。少し小雨がパラついているが、本降りではない。あたりは一面の濃いガスに包まれ、視界はゼロだ。

雨と霧の中スタート

香港のトレイルは歩きやすい。イギリス人が開拓したトレイルだけあって、自然保護の思想が徹底的に息づいている。随所に快適な休憩場所やピクニックエリアが点在しているし、道標も整備されていて迷いにくい。ただ、階段が多いは残念だけれど。

トレイルはよく整備されている

霧のなかを一人、淡々と歩いていると、胸の奥から懐かしい「自由の感覚」が蘇ってきた。

若い頃、自転車で世界を旅していたあの頃のように、自分一人でどんどん道を切り開いていく感覚。自分のことを知っている人が誰もいない、新しい世界をワクワクしながら進んでいく。その感覚が今、僕の手の中に戻ってきている。

そう考えると、僕は中学校1年生の時に初めて自転車で旅に出たあの頃から、本質的には何一つ変わっていないことに気がつく。就職して、結婚して、子供ができて、仕事で悩みながらも泥臭く働き続けて。

「本当に、自分がやりたいことってなんだろう」

ずっと、そう自問自答してきた。今までは、夫であること、家族がいること、愛する娘の父親であること、それが僕の人生の大きな支えだった。ひとつのアウトドアブランドで22年間働き続けてきたことも、僕のアイデンティティの大部分を占めている。

けれど、それらの身に付けてきたものを、もしすべて脱ぎ捨てたとしたら。その時、自分には一体何が残るのだろう。怖さ半分、期待半分。それを見てみたいような気がしている自分がいた。

霧のなかでただ歩き続ける。慌ただしい日常のなかでは決して入れない「ゾーン」に、僕の意識は静かに没入していく。自分の気持ちの輪郭がどんどん浮き彫りになり、研ぎ澄まされていくのが分かった。

一番大事な家族とは離れて暮らすことになり、客観的に見れば、今の僕はだいぶひどい状況なのかもしれない。香港に来たことも現実から逃げてきただけかもしれない。だけど、それでも。僕は僕を諦めることはできない。

2時間ほど深い内省のなかを歩き、霧のなかに佇むGilwellキャンプサイトへ到着。ここでステージ4(S4)が幕を閉じた。

摩天楼を見下ろす「ステージ5」と、ライオンロックの鼻笛

ステージ5(S5)が始まると、樹林帯を一気に登り詰め、やがて舗装された車道へと飛び出た。

その瞬間、視界が開ける。左手に、九龍(クーロン)の凄まじい街並みが眼下一面に広がっていた。

九龍の街並み

天を突くようにそびえ立つ、針のように細長い高層ビル群。ものすごい人口密度だ。まさに「大都会の裏山」。例えるなら神戸の六甲山を魔改造し、さらにぎゅっと凝縮し、人工物と自然を限界まで近接させたような、香港でしか見られない強烈な共存がそこにはあった。

Sha Tin Passの峠にある小さな売店で、一度バックパックを下ろす。おばちゃんが良い味を出している屋台で、練り物を蒸したローカルフード(20ドル)を食べる。トレイルは多くの地元ハイカーたちで活気に満ちあふれていた。

恒益商店で小休止

エネルギーを補給し、いよいよ今日のハイライトである「ライオンロック(獅子山)」へと向かう。

マクリホーストレイルの本道はこのピークを巻いて進むのだが、ここはハイライトなので行かないという選択肢はない。急登を詰め、たどり着いた山頂は、まさに言葉を失うほどの絶景だった。

眼下に広がる九龍の街。これぞ、香港のトレイルを象徴する圧倒的なパノラマだ。

垂直に切り立った崖の迫力に足がすくむ。かつてはクライミングのルートがあったらしいが、事故があり今は禁止されているという。

香港を象徴するライオンロック

この絶壁の上で、僕はポケットから鼻笛を取り出し、スキマスイッチの「全力少年」を一曲、風の中に響かせた。最高に気持ちが良い。

すると、一人の香港人ハイカーが笑顔で近づいてきた。日本に何度も行ったことがあるという彼は綺麗な英語を話し、僕らは山頂の風のなかで、しばらく楽しい時間を共有した。言葉の壁を越え、一瞬でみんなを楽しい気持ちにさせる。鼻笛は、やっぱり僕の旅になくてはならない魔法の楽器だ。

野生の猿が占拠するサファリパーク、ステージ6の終着

興奮冷めやらぬまま、Beacon Hill(筆架山)へと淡々と進み、一息入れる。

ここからルートは「鷹巣山」の自然観察道へと入っていった。このあたりの森は非常に雰囲気が良く、大きな巨石が点在する豊かな緑のなかを、木漏れ日を浴びながら歩くのはとても気持ち良かった。

山の中にある立派なお墓

S5の終点でしっかりと水を補給し、短いセクションであるステージ6(S6)へと突入する。

無料の給水機

S6の大部分は、広大なダム(城門貯水池)に沿った車道歩きだ。

ここに入った瞬間、景色は一変する。野生の猿の巨大な群れが、我が物顔で道路を堂々と占拠しているのだ。まるでサファリパークのなかに生身で迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。目を合わせると威嚇されるし、食料を奪われたという記録も読んでいたので注意を払いながら進んだ。

ステージ6は猿の惑星

途中から再び静かな登山道へと戻り、ダムの美しい湖畔にたどり着いたところで、ひとまずスルーハイクの前半戦(S1〜S6)が終了した。

ゴールのバーベキューエリアでは、大勢のインド人グループが大音量で音楽を流し、スパイスの香りを漂わせながらディープに休日を楽しんでいた。この混沌とした文化のミックス度合いもまた、実に香港らしい。

公園から15分ほど歩いてバス停へ向かい、緑のミニバス(M82)に揺られてMTR荃湾(ツェンワン)駅へと街に下りた。

ステージ6の終点

再び、重慶大厦の「混沌」へ。ハードな夜の洗礼

下山後の荃湾駅周辺は、活気あるローカルな熱気に満ちていた。

漢字のメニューは読めないが、何となく飛び込んだ店で、熱々の餃子とスープを注文する。文句なしに美味い。文字の通じない街で、自力で美味いものにありつくこの「旅の初期衝動」のような雰囲気が、僕はたまらなく好きだ。

荃湾の街

地下鉄に乗り、初日にも訪れた尖沙咀(チムサーチョイ)へと戻る。今夜の宿は、あの「重慶大厦(チョンキンマンション)」内にある Pacific Lodge だ。

このドミトリーが、ある意味、期待を裏切らない酷さだった。

同室になったのは、現地あるいは中国本土から来たと思われるおじさんとおばさん。英語は完全に1ミリも通じない。そればかりか、部屋の中でところ構わずタンを吐きまくるという、なかなかハードなシチュエーションだ。

一瞬怯みそうになるが、これも旅のリアルだ。あの手この手でジェスチャーを交え、満面の笑顔で「こちらに敵意はない」ことを表現し、なんとかその空間に自分の居場所を確保する。

ドミトリーはカオス

この3日間のハイクで泥と汗にまみれた衣類を抱え、近くのコインランドリーへ向かう。洗濯に26ドル、乾燥に35ドル。合わせて1,200円ほど。やはり物価高のパンチは地味に効いてくる。

極狭のコインランドリー

安宿の壁に備え付けられた電源プラグは、香港仕様のBF式だ。日本から用意してきたマルチプラグのアタッチメントを差し込む。旅の道具を的確に用意しておいて良かったと、胸を撫でおろす。

ドミトリーにはコンセントも少なくて争奪戦

夜、少しだけネイサンロードの街へ這い出てみたが、ゴールデンウィークの真っ只中ということもあり、凄まじい人混みに酔いそうになる。あまりの密度に早々に撤退を決め、近くのインド料理屋でサモサ(10ドル)を齧り、マンゴーラッシー(30ドル)を喉に流し込んだ。

凄まじい人混みと熱気

狭いドミトリーのベッドに横たわる。香港の混沌とした夜の音を聴きながら、僕は深い眠りへと落ちていった。

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