英文に戻ったのか、ただ覚えていただけなのか

先日、ハンカチをめぐって妻と言い合いになりました。
そのあと、私は数時間、何も言いませんでした。
そのとき、頭にあった英文がこれです。
Silence can be a form of care.
沈黙は、思いやりの一つの形になり得る。
しばらくして、ハンカチはいつもの場所にありました。
いつ、そこに置かれたのかは分かりません。今も断定できません。
ただ、黙っていたことで、相手が自分で行動する余裕が生まれました。
同時に私にも、
自分の勘違いだったのかもしれない。
と振り返る余裕が生まれました。
覚えたばかりだから、浮かんだだけではないか
ここで、一つの疑問が出てきました。
私は本当にこの英文に「戻った」のでしょうか。
それとも、覚えたばかりだったため、ただ思い出しやすかっただけなのでしょうか。
後者の可能性はあります。
しかし、それでよいのだと思います。
記憶は否定するものではありません。英文へ戻るための入口の一つです。
ただし、覚えて終わりにはしません。
英文から生活へ
Silence can be a form of care.
この英文を、自分の生活と照らし合わせます。
自分にも、黙ることで相手を大切にできたことがあっただろうか。
今の自分なら、どのような沈黙を選ぶだろうか。
英文をきっかけに、自分の体験や感情、現在の状況を考える。
これが、「英文から生活へ」入る方向です。
英文に、意味を覚える以上の仕事をさせます。
考える。決める。行動する。自分を支える。
生活から英文へ
反対の方向もあります。
実際の生活で口論が起きたとき、その出来事から、
Silence can be a form of care.
という英文へ戻ります。
これが、「生活から英文へ」の方向です。
英文を見て生活を思い出すだけではありません。
生活の出来事が、英文を呼び戻すようになる。
この二つの方向を行き来するのが、私の考えている「往復」です。
決まった時間に、毎日何回も行う必要はありません。
英文を読んだ直後でも、翌日でも、似た出来事が起きたときでもよいのです。
同じ英文が、以前より具体的に見えた
今回、実際に沈黙したあとで、もう一度この英文に戻りました。
すると、私にとっての care が、以前より具体的に見えてきました。
相手に親切な言葉をかけることだけが、care ではありません。
相手に行動する時間を渡すこと。
自分の判断をいったん保留すること。
結論を急がずに待つこと。
それも、care になり得るのではないか。
英文そのものの意味が増えたのではありません。
生活を通ったことで、その英文に対する私の理解が深まったのです。
分かったことと、まだ分からないこと
今回、確かに分かったことがあります。
英文と生活を往復すると、英文と自分とのつながりが増え、同じ英文が以前より具体的に理解できるようになる。
一方、まだ十分に分かっていないこともあります。
理解が深まれば、その英文が会話の中でも自然に口から出るようになるのか。
生活の場面から、必要な英文を以前より取り出しやすくなるのか。
これは、まだ確かめている途中です。
深く理解しただけで、どんな英語でも反射的に話せるようになるとは言えません。
実際に声に出すことや、生活の場面から英文を思い出す練習も必要でしょう。
また、自分にとって生きた言葉になることと、英語として自然に使えることも同じではありません。実際の用例との照らし合わせも必要です。
まず一つの英文で試してみる
この方法に、複雑な手順はありません。
自分にとって大切な英文を一つ選びます。
その英文から、自分の生活を考えます。
英文に、小さな判断や行動の仕事を一つさせます。
そして、そこで得た経験を持って、もう一度同じ英文へ戻ります。
そのとき、英文が以前と同じように見えるでしょうか。
それとも、少し違って見えるでしょうか。
私の場合、Silence can be a form of care. は、生活を通ったあと、以前より具体的な英文になっていました。
英文から生活へ。
生活から英文へ。
往復するたび、英文と自分とのつながりが増え、理解が深まっていく。
そのつながりが、やがて生活から英文を取り出す道になるのか。
私は今、それを確かめています。
