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【「相手の立場に立つ」という幻想】人間関係では相手の立場に立つ事よりもっと大事なことがある

割引あり

「相手の立場に立って考えましょう」 「思いやりの心を持てば、きっと良好な関係が築けます」

私たちは幼い頃から、家庭で、学校で、そしてあふれかえる自己啓発本の中で、呪文のようにこの言葉を叩き込まれてきました。もう耳にタコができるくらい聞かされましたよね、こんな文言は。

では、不躾ながら質問させてください。 その教えを忠実に守って、常に他人の顔色を伺い、必死に「相手の立場」を想像して先回りしてきた結果、あなたの人生はどうなりましたか?

  • 期待していた通りの見返りや感謝はありましたか?

  • 職場で、友人の間で、あるいは恋愛において、大切に扱われていますか?

、、、おそらく、全てが全てとは言わないまでも、現実には真逆だったケースも多いのではないでしょうか。 どれだけ気を遣っても都合よく扱われ、理不尽な要求を押し付けられ、挙げ句の果てには「何を言っても怒らない都合のいい人」として搾取される、、。

あげく心の中はいつもモヤモヤとしたストレスで満たされ、すり減っていく一方、、みたいな。もしあなたが今、そんな「常識が正しく機能していない地獄」におちいっているのであれば、はっきりとその原因と対策をお伝えしようと思います。

あなたの努力や人間性が足りないのではありません。 あなたが信じ込まされてきた「人間関係の前提(綺麗事)」が、根本から間違っているんです。

たしかに、相手の立場に立つ事自体は大事であり有用ですが、「その前にまず押さえておくべき重要な前提」があるんです。ここをすっ飛ばして、「相手の立場に立ちましょう」とか「思いやりが」とか言っても「無駄」です。

ということで、いわゆるきれいごとを捨て去って、人間関係でもっとうまく立ち回りたいとか、もう損はしたくないと思う方はこの先へ進んでくださいませ。では、まいります。

1、「相手の立場に立てる」というのは幻想である

まず重要な一番重要な事から言いますね。そもそも、あなたが思い浮かべる「あの人の立場」というものは、単なる幻想であり偽物なんです。実は、あなたがこれまで必死に行ってきた「相手の立場に立って考える」という行為は、結論から言えば、100%不可能な事だったんです。

厳しい言い方をすれば、あなたが「相手の立場に立ったつもり」になって導き出した答えは、すべてあなたの脳内で都合よく作り出された「仮想の相手」に向けたのものといえます。もはや、妄想の産物です。

なぜ、人は他人の立場に立てないのか。これは道徳心や想像力の問題ではありません。これは、私たちの生体構造と、この世界の認識システムの限界によるものなのです。

① 生体上の限界:ニューロンとクオリアの壁

私たち人間の脳は、それぞれ全く異なる配線を持っています。視覚、聴覚、皮膚感覚といった五感から入る情報を処理する「神経回路(ニューロン)」のネットワークは、指紋と同じように誰一人として同じものは存在しません。

ここで、哲学における「クオリア(感覚の固有性)」という概念を考えてみます。 「私が見ているリンゴの赤色」と、「あなたが見ているリンゴの赤色」が、脳内で全く同じ色彩として認識されているかどうかは、現代の科学でも証明できません。もしかしたら、私の見る「赤」は、あなたの脳内では「青」のように処理されているかもしれない。、、それでも、お互いにそれを「赤」と呼ぶ教育を受けてきたから、会話が成立しているだけなのです。

感覚の最小単位である「色」すら共有できない私たちが、他人の複雑な感情、過去のトラウマ、その瞬間の体調や脳内ホルモンの分泌バランスまでを内包した「立場」を、どうやって正確にトレースできるというのでしょうか?無理ですよね?

※私たちは、自分というフィルターを通した情報しか処理できない。他人の痛みを想像するとき、私たちが感じているのは「他人の痛み」ではなく、「もし自分がその状況になったら痛いだろうという、自分自身の疑似痛覚」にすぎない。

② 認識論の限界:唯識論(ゆいしきろん)が教える世界の真実

唐突ですが、仏教哲学には唯識論(ゆいしきろん)というものがあります。唯識論の教えを一言で言えば、「この世に客観的な現実は存在しない。すべては自分の心が作り出した映像(唯、識のみ)である」というものです。

あなたが見ている上司、あなたの目の前にいる恋人、あなたを悩ませる友人。彼らは全員、あなたの「阿頼耶識(あらやしき:仏教的には潜在意識の根本とされる)」が、過去の記憶や経験(業・カルマ)に基づいてスクリーンに投影した映写データのようなものです。少々、スピっぽいですが、仏教的にはそう解釈できるでしょう。

結局、あなたが「あの人の立場に立とう」とするとき、あなたがアクセスしているのは相手の本心ではなくて、自分の過去の記憶から引っ張り出してきた「相手やその他の関係から学んだ行動や言動における予測パターン」でしかないわけですね。

相手が何を怒っているのか、何を望んでいるのか。 どれだけ考えても、それは「他人の考えの推測」の域を出ることはありません。どれほど精度の高い推測であっても、それは「相手の本物の感情」ではありません。

相手と神経系と脳を共有しているわけではないのですから、どうやっても「相手の本物の感情」についてはわかりませんよね。

③「相手の立場」に逃げるのを、今すぐやめよ

  • 「あの人はきっとこう思っているから、私は我慢しよう」

  • 「こう言ったら相手の立場を傷つけるから、黙っておこう」

これらは常識的には正しい行動でしょうが、相手の正確な心情が分からないのであれば、単なる臆病風に吹かれた現実逃避かもしれません。なにより、自己主張しない事によって無用に割を食わされている可能性がかなりあります。

あなたがどれだけエネルギーをすり減らして「相手の立場」に配慮しても、それは相手の本当の現実とは厳密には噛み合っていません。むしろそれどころか、あなたの脳が勝手に作り出した「不機嫌な他人」に、自分から主導権を差し出している状態とすらいえるかもしれませんね。

「相手の立場に立つ」という幻想を、まずは完全に捨て去ってください。私たちはどうあがいても、自分の脳という監獄から外に出ることはできないし、他人の脳に潜り込むこともできません。

ただ、これで話が終わってしまっては、「結局何も解決しないじゃないか」となってしまうので、ここからはより現実的かつ実利的な視点から人間関係をとらえる考え方と対処法についてお話していこうと思います。

ここから先は、あなたが人間関係で「ただのいい人」に成り下がって損をしないための知恵をお伝えしたいと思います。それがあって初めて、「相手の立場に立つ」とか「思いやり」というものが役に立ちます。

もう二度と誰かの都合のいい道具になりたくないという強い気持ちがある方だけ、この先をご覧ください。

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