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こういう人に私はなりたいーUncle FrankとMr.Church 

Captain Americaが理想だったけど

私は長い間、MCUのキャプテン・アメリカのような人間になりたいと思っていた。キャプテン・アメリカは、マーヴェル・コミックのキャラクターである。私はアメリカン・コミックに興味がないのだが、恥ずかしながら、MCU(マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース)のアヴェンジャーズ・シリーズには、どっぷりはまってしまった。

それは、多分、スター・ウォーズとかハリーポッター・シリーズ、小野不由美の十二国記にも似て、あの複雑な世界観、関係性を理解すればするほど、麻薬的に面白さが増すからだったと思う。

• The Infinity Saga
• Phase One (2008–2012)
• Phase Two (2013–2015)
• Phase Three (2016–2019)

上記は、ウィキペディアさんからコピペしたものであるが、2008年に始まったシリーズが、第一部の完結までに、11年かかっているのである。そして、その11年の間、ずっと一年に一本か二本見られるかのMCUの映画を心待ちにして、またその待っている間も、アヴェンジャーズが実在して、映画の全てが現実に起こったかのように、オタクファンは語り続けるので、終いには、キャラクターたちがまるで家族か友達ような気までしてくるのだ。そして、その中でも、お気に入りのキャラが、もちろんできる。私にとっては、クリス・エヴァンズ扮する、初代キャプテン・アメリカであった。

キャプテン・アメリカは、もちろん屋号であり、本当の名前は、スティーヴ・ロジャース。スティーヴは、父親を戦争で失くし、その後、母も失くしている。時は、第二次世界大戦中で、彼は自分も国の為、また世界平和のために、ナチスドイツと闘いたいと志願するが、如何せん、彼は虚弱体質で、しかも体形も女の子と変わらないくらい華奢なのだ。志願する度に拒否される。だがある日、軍医/科学者が、正義感は誰よりも強く、潔癖なまでの道徳観を持って生きているスティーヴを見込んで、彼に超人血清を与えることにする。キャプテン・アメリカの誕生だ。

…こうやって書くと、ホントにアホみたいに聞こえるのは重々承知なのだが、アヴェンジャーズの第一期が終わるまで、スティーブ・ロジャースは、完璧としか言いようのない人間像を見せるのだ。実際、初代キャプテン・アメリカを演じたクリス・エヴァンズも、キャプテン・アメリカは自分がそうなりたい、という人間の象徴だと言っている。

…けれども、だんだん年を取ってきたら、一点の曇りもない人間、と言うものに息苦しさを感じるようになってきてしまった。理想を目指すことは悪くはないが、実際には完璧な人間なんていないのだ。ましてや、私は、世界を救うとか世界平和のために戦うなんていう、大志は抱いたこともないのである。自分がそんなデカい人間でないことはとっくに分かっている。むしろ、自分の人生で手一杯だ。

Uncle Frank:未熟さを抱えたまま他者を理解する大人

Paul Bettany主演のUncle Frank(2020)は、American Beautyの脚本でオスカーを受賞したAlan Ballが脚本&監督した作品である。...にも拘わらず、全然話題にならなかったが、私は秀作だと思う(本来、私はこの手の話題にならないような映画が好きなんだな)。

語り手は、彼の姪っ子であるBethである。Bethは、サウス・キャロライナの小さな町に住む18歳の女の子だ。彼女は、保守的な環境に期待されるような女の子になりきれない自分を持て余している。彼女の叔父のFrankは、そんな田舎を離れ、マンハッタンで大学教授をしている。Frankもまた、田舎に染まりきれず、父や弟(Bethの父)と相容れなかったのだ。

Uncle Frankは、Bethを“女の子”扱いせず、「避妊薬が欲しいなら、俺が父親のふりをしてやるから、遠慮しないでいつでも言いなよ。それから、もし万が一、妊娠したら、他の家族に話す前に、俺に先に連絡を寄こすんだ」と大人として話をする。また、「今は、こんな小さな町にいて、これが世界に見えるけれど、一歩外に出たら、どんなに世界が大きいか分かるよ」とも。Bethにとって、Uncle Frankは、洗練された大人であり、理想であった。だが、もちろん、それはUncle Frankの一面に過ぎない。

ネタバレを防ぐために、これ以上は触れないが、理想に見える人間だって、簡単にそこに行きついたわけじゃないし、大人になったって、問題が全て解決するわけでもないし、むしろ、いつまでも子供の時のトラウマに苦しんでいたりする。それでも、諦めずに自分に正直に生きようと、もがいている。だからこそ、Uncle Frankは、Bethを子ども扱いしたり、型に嵌めたりしない。彼は、自分の内の未熟さ故に、まだ18歳のBethを理解できるし、自分が過去に経験した痛みを、Bethが今感じていることを知っているからである。

世の中の仕組みを全て理解している、と自負する大人よりも、自分もまだ悩んだり悔やんだりしているけれども、大人になったら、今よりも少しは楽になるよ、と言ってくれる、Uncle Frankみたいな人間に私はなりたい、と思った。

Mr. Church:生き方そのものが優しさになる人

話題にならなかった映画と言えば、前にも少し話した、Mr.Church(2016)である。Mr.Churchは、Eddie Murphyの数少ない非コメディ作品である。機会があったら、是非皆さんに見ていただきたい映画の一つである。

語り手は、チャーリーという女の子で、Mr. Churchは、チャーリーと彼女の病気の母の為にに雇われた料理人である。まだ小学生であったチャーリーは、母娘水入らずの生活に急に現れたMr.Churchに心開かないが、Mr. Churchの魔法のような料理と、彼がピアノの上に作った、小さな図書館から、一冊ずつ貸し出してくれる本を通して、段々に打ち解けて行く。

チャーリーの母は余命6か月、と言われていて、それがMr.Churchの契約期間であったが、彼女は、その後6年も癌と闘い通し、その間、そこに残る義務はないのだが、Mr.Churchはそのまま、チャーリーと母の、料理以上の世話を続ける。

ネタバレしないように、これ以上、ストーリーを書くのは止めるが、Mr. Churchもまた、Uncle Frankのように完璧ではない人間であることが、後々に分かってくる。だが、必要も義務もない、赤の他人である、母娘を最後まで面倒を見るMr. Churchは、それだけで善徳な人間であることが分かる。その上、彼の料理の仕方を含めた、Mr. Churchの生活そのものが、大変美しいのである。

If he wasn’t gardening, he was painting. If he wasn’t painting, he was cooking. If he wasn’t cooking, he was playing the piano. If he wasn’t playing the piano, he was reading (to me).
庭仕事をしていない時には、彼は絵を描いている。絵を描いていない時には、彼は料理をしている。料理をしていない時には、彼はピアノを弾いている。ピアノを弾いてない時には、彼は読書をしている(正確に言うと、この場面では、彼は身重になったチャーリーの為に、本を読んであげている)。

なんと美しい生き方であろうか。Mr.Churchは、その合間にチャーリーや彼女の母の世話もしているのである。私は庭仕事も料理も好きじゃないし、ピアノも弾けないけれど、庭仕事を書き物、料理をDJ、ピアノをドラムに変えたら…うーむ、あまり詩的じゃないな。土や火が含まれないからだろうか…。

傷を抱えた人間だからこそ持てる優しさと、“自分の半径”でできること


だが、もちろん、Mr. Churchも聖人ではない。子供の頃にできた傷を癒すことができずに、酒に頼ることもある。そして、それを誰とも分かち合おうとしない。彼はただ、自分のできる範囲で、助けられる者たちに手を貸すだけだ。

Uncle Frankにしても、Mr. Churchにしても、完璧な人間ではないし、世界平和のために奔走するような高い意志もない。だが、傷や影を持っているからこそ、彼らは、後から続く者たちや助けの必要な人たちに、優しい。時として、励ましの言葉や暖かいスープが、どんなに大切なものかを身を持って知っているからだ。

自分が生きていくための小さな灯りなら、私にも灯せるし、その灯りが、誰かの暗い道をかすかに照らすこともあるのかもしれない。そして、誰もがキャプテン・アメリカになれるわけではないし、なる必要もないのだ、と漸くと私は気がついたのだった。

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