関東リーグ登録
関東リーグ登録。
本当にこの日が来るとはなー
本当に色々なことがあったなー
高3の選手権。桐生第一にボコボコにされて上には上がいることを痛感した。
絶対にいつか抜いてやる。帰りのバスでそう誓った。
日体大に入って、一番下のFチームに配属された。
それでもいつかは、強く思った。
Dチームとの紅白戦で2失点した。裏であんなんも止められないのかと言われていた。
いまにみてろ、強く思った。
Iリーグホーム最終戦、自分のミスで負けた。試合中相手に下手だと言われた。
自分を選んだコーチと、ホーム引退試合であった4年生に対する申し訳なさと自分の下手さに絶望した。
早稲田に入った。
ア式に来た。
必ず上手くなれる。強く確信した。希望が見えた。
入部した。夢が絶たれることへの恐怖感からの開放故に、入部挨拶で泣いた。そして泣きながら、必ず関東リーグに出ると言った。
千田君が、必ず出ろよとガチな顔で言ってきた。嬉しかった。絶対出てやる、強く思った。
ナイターの消える夜9時まで徹と毎日のように練習した。お互い怪我した。体の限界を知った。
それでも、日々上手くなっている自分を感じ、必ずいつか出れる。そう思った。
2年になった。コロナ明け、FC登録のチャンスがあった。それを決める試合で最悪のプレーをした。登録されなかった。
自分は何も成長していない。絶望した。
2年が終わった。2年間序列がずっと一番下だったことに気づいた。練習試合ですら数えられるほどしか出ていなかった。紅白戦で5分しか出れないこともあった。
それでも、まだまだこれからだと思った。強い自信があった。
3年になった。今年こそはと気合を入れた。身体も動いた。ついに序列を1つ上げて、FC登録のキーパーの中で2番目になった。
最初のトレーニングマッチに挑んだ。45分を3人で回したため、一人15分の出場時間だった。ミスをした。失点した。次の日からまた一番下の序列に下がった。
プロになりたい。関東リーグに出たい。そんな自分が、3年にもなって序列が一番下であることを知った時、もしかしたら無理かも、初めて本気で思った。
両膝が痛み出した。ここが辞め時なんだ、夢ってかなわないことあったんだ。
自分の才能のなさを憂いた。
晃士君(ザスパ)に相談した。元気が出た。
もう一度頑張ろう。そう思った。
晃士君のアドバイス、卒なく。その言葉を胸に日々プレーした。練習でできたことが試合でできるようになってきた。1人怪我した。ベンチ入りした。
嬉しかった。
7月18日。早稲田に入って2年半。ようやく公式戦に出場した。
負けた。それでも、サッカー人生で一番いいプレーができた。
嬉しかった。成長を感じた。続けてきてよかった。そう思った。
次の試合もスタメンだった。0-2で迎えたハーフタイム、交代した。
戦術的な理由だったから仕方ないと思った。別に気にしていなかった。次に向けた課題が見つかった。やはり公式戦で得られるものは大きい。
残り6節。全部出れば4年時にAチームに行くことができる。再び希望が見えた。
次の試合、スタメンを外された。その試合でも負け、昇格の可能性が大きく遠のいた。自分のベンチでの振る舞いを指摘された。キャプテンの4年が泣きながらもうこんな思いはしたくないと言った。櫓から見てた上さんに、お前の振る舞いを見てた、残念だった。そう言われた。
試合に出てるお前らが負けた。それを何でベンチの責任にするのか、ふざけるなと本気で思った。
次の試合。またベンチだった。とりあえず声をかけ続けた。誰よりも指示を出していたかもしれない。勝った。感謝された。
ふざけるなと思った。いつかみてろよ。再び強く思った。それと同時に、まだ悔しいと思えている自分がいて安心した。
ただ、そう上手くはいかなかった。
最終節を前に、怪我をしていたキーパーがコンディションを戻してきていた。
自分もあんな生き地獄のような体験をもうしたくなかったから、本気でスタメンを取りに行った。メンバーを決める紅白戦であまりいいプレーができなかった。
スタメンは無理だ。仕方ない、せめてベンチにと思った。
最終節前日までもつれ込んだベンチ争いはダブルボックスの勝者で決まることになった。
負けた。
メンバー発表で名前が呼ばれなかった。
キーパーコーチ役でベンチに入るよう頼まれた。泣いた。入った。勝った。感謝された。
入部した時、このような経験をするだろうことは予想できたし、それも覚悟の上で入部した。
それでも耐え難かった。
結局自分は何も変わっていなかった。振出しに戻った。
確かに結果はでていなかったし、全ての時間をそれに割いたかと言われれば噓になるが、それなりに本気で取り組んできた。割と懸けていた。自分をまだ信じていた。自分はまだこれからだと本気で思っていた。自分は立てた目標を時はかかれど、絶対に達成できる人間だと思っていた。
違った。ただそれだけの話だった。最後まで努力の正しい仕方を見つけられなかった。
ただ単に才能がなかった。なんでもっと早く気付かなかったんだろう。
そもそも身長が足りないし、手も小さいし。てかもう十分頑張ったし。あんな下手な状態からここまで来れたら大したもんだな。経験上、サッカーより向いてることがあることは間違いないな。
俺はこいつらより2,3年早く生まれてるのに勝てないのか。そもそも中体連に入った時点で俺のサッカー人生は半分詰んでたな。インターハイで優勝してるキーパー、国体で優勝してるキーパーそんなやつらに勝てるわけがなかった。いい夢見させてもらえたな。
いつかみてろ、そんなダサい言葉思いつく隙もなかった。
その日から、第一線で行うサッカーから離れる準備、心構えを無意識にするようになった。
ただ、そう簡単に諦めが付く訳がなかった。心のどこかに、自分を信じている自分がまだいた。
本当にかすかに。
ここで終わっていいのだろうか。俺が今までやってきたことは何だったのか。何度も自分に問いかけた。
自分のやってきたことを正当化したかった。
散々自分に問いかけ、一つの答えが出た。
「新しい環境でチャレンジしたい」
それも、今まで経験したことのない全く新しい環境。
ドイツに行くことを決めた。
ここで何も得られなかったら、成長の兆しが見えなかったら、第一線のサッカーから離れる。
自分の中で考え抜いた答えだった。
ドイツに渡った。デュッセルドルフ。いつもとちがう街並み。飛び交う外国語。空気から何まですべてが新鮮だった。
初日、6部のチームに参加した。日本人、低身長GK。最初の相手の反応は決まって「Torwart(トヴァ―ト:ドイツ語でキーパー)!?」。笑いながら聞かれた。
ドイツは皆練習前、ロッカールームに来るとき全員とハイタッチをする。そこで簡単に自己紹介をする。
氷点下。グラウンドは凍ってスパイクは刺さらない。そんな状況下で一体自分どこまでできるのだろうか?
久しぶりに胸の高まりを感じた。
必死だった。
ドイツ語話せないが、俺が培ってきた全ての英語を駆使して、やりたいプレーを続けた。
この時初めてスポ科で学んだチュートリが報われた。
練習が終わった。
監督、コーチから話しかけられた。
「君いいね。」
嬉しかった。
ドイツ人は、サッカー後にまるで水を飲むようにビールを飲む。
勧められた。
「郷に入っては郷に従え」だな、と思い快く引き受けた。
吐きかけた。
家につき、ベッドに直行した。夜の9時。こんなに早く寝たのは小学生以来だろう。
全てが真新しすぎて、脳が耐えられなかった。
計16日間、5部から7部のチームに7チーム参加した。
どこのチームもクラブハウスがあり、芝のグラウンドがあり、ホペイロもいる。
オフの日、ドイツ5部とオランダ2部の練習試合を観戦した。
練習試合とは思えない人の集まり。盛り上がる地元民。相手のファールに檄を飛ばすおじいさんサポ。
感動した。これがサッカーだった。
練習で脛あてをはめないのに足裏スライディングをかますロビン。
練習では全く守備しないのに試合になると全く抜かれないルーカス。
カウンターで全く守備に戻らないヘンクーオスマンの攻撃陣。
自分の一つのセーブで「good torwart」と言ってくれるDFと現地サポ。
サッカー中鬼の言い合いをしてたのにロッカールームで笑いあってたやつら。
楽しかった。
すべてが。
やっぱりサッカーはサッカーでしかなった。
人間性だとか、繋がりだとか、序列だとか、上手いだとか下手だとか、プロになれないだとか、全てを忘れたいた。その時を、全力で生きていた。
大学3年間の密度と等しい16日間。
数えきれない多くを学んだ。
特に「今を生きることの大切さ」「伝えることの大切さ」
新シーズン始動に1週間遅れで合流した。
勿論、前季で2試合しか出ていない自分はBスタートだった。
初めての練習。感覚が違った。
今を生きていた。
サッカーを楽しめていた。
そして2週間してAにあげさせてもらった。
そしてまた2週間後、関東登録された。
FC最終戦でメンバー外になってから4カ月。
櫓で内田さんから「明日からAでやります」、そう言われたとき
今までの苦しかった思い出がすべて照らされた。
次の日からの連絡メール。Aチームに自分の名前があった。
その瞬間、家で叫んだ。
そして頭に浮かんだことがある。
確かに、勝ち取ったのは自分かもしれない。でも、間違いなくここまで一人では来れなかった。
日体でのIリーグで自分のミスで負けた後。絶望していた俺に、真っ先に声をかけてくれた柏日体の体操部から転向してきたゆうすけ。今日は俺がおごるからと青葉餃子に連れてってくれた。下を向いてる自分に「そういう日もある」、そう言い続けてくれた。次の日からまた頑張ろうと思わせてくれてありがとう。
Fチーム、最下層の自分と何の文句も言わず自主練を一緒にし続けてくれた大杉さん(福島ユナイテッド)。大学のキーパーレベルを初めて俺に経験させてくれた。受験勉強の隙間を縫ってやる大杉さんとの自主練があの時は生きがいになってた。
ランテスト。10周走も入れなかった自分と一か月本気で練習してくれた高校の後輩、みつやるいと。皆がいなかったらランテスト間違いなく落ちていた。ありがとう。
入部挨拶の後。本気で頑張れと言ってくれた千田君とひで君。何度もあきらめかけたときに二人の言葉があったから踏ん張れた。
二年の春。コロナで練習ができない時に寮で死ぬほど背筋やって酸欠になって、それでもいつかはやってやろうぜといって励まし合ったデラ君。
2年になっても全く試合に絡めずとも自分が戦い続けられたのは、いつも会うたびに頑張れと言ってくれる地元の友達がいたから。けいご。裕次郎。ほり。
一緒に高経の名を大学サッカーに、と約束した新潟医療福祉の割田や菊地。
FCのデビュー戦。Bチームにもかかわらず本気ですごい、頑張れと言ってくれたれいじやヒカルをはじめとする日体の同期。谷君やしゅうせい君、レイ君。
今レノファ育成でキーパーコーチをしている陽介、今年から救急救命士になるけいご。Fチーム大躍進世代としてお互い励ましあい続けた。
FC二戦目の前日マックで不安を取り除いてくれた琢君。まじで一緒に練習しましたね。
スタメンを外された試合で負けて、出てないのに怒られてぶち切れそうになったときも同情してくれた北村や周。
ゲバで一本しか出れなくて落ち込んでたら「気にすんな、こっからだ」と言ってくれたゆうま君。
調子が良い時には「最近来てるな。やっぱ成果出てるぞ」。悪い時には「まだまだこれから。やり続けろ。」と的確なタイミングで俺のメンタルを救ってくれた須藤。ゲバでいいパスを通すたびにナイスと言ってくれる徹。本当にあほみたいに練習したよね。夜中に真っ暗の中ボールを投げ続けてくれた江田。自分のサッカー観を一から変えてくれた岩崎さん。止める蹴るの概念を一から教えてくれたヒロ君。先が見えなくてしんどくて、もういいやってなる時にトレ室で自分のできることを精一杯やる平瀬を見て、まだ頑張ってみようと思えた。杉君のがんばれほどがんばろうって思える頑張れはなかった。
FC最終節でメンバー外になって死にそうな時に声をかけてくれたひろき。
ラインでメッセージをくれた安達。まぁ俺ら稲穂からの仲だからな。
ドイツに行きたいといった時に、難しい状況下でサポートしてくれた監督。監督の後押しがなかったら俺は多分いけなかったです。
丹羽と雄大。俺の憧れ。この二人とサッカーの話をする時が本当に楽しい。このために早稲田に来たんだと思ったことは何回もあった。サッカーの奥深さを教えてくれた。一向に序列が上がらない時も、この二人と話すとなんだかワクワクしてくる。雄大とロックに生きようぜって言いながらジョギングしたこと。くそだせぇけどまた頑張ろうって思えた。
金欠の時に笑顔で助けてくれる橋山。
本当に皆ありがとう。
そして感謝しきれてもしきれない人。
晃士君。
何度も救われた。なにかあると必ず晃士君に電話した。全ては「卒なく」、この一言から始まった。何事にも真摯にアドバイスしてくれた。何度も圧倒された。こんなにやばい人は見たことがない。多分一生追いつかないのかもしれない。でも、俺の今のキーパー観を作ってくれたのは間違いなく晃士君だ。この人がいなかったら間違いなく今の自分はない。断言できる。
内田さん。
平日仕事してるのに土日は5部練。45歳なのに現役選手と同じくらい動ける。いつ休んでるのかわからない。最初は、正解を与えてもらいたい自分にとって、早稲田ア式の自分たちでトレーニングを作って自分たちで指摘し合うというスタイルが最初は嫌だった。でもだんだん、自分で考える力が付き、着実に成長する自分がいるのに気づいた。毎回ゲバや試合を見てフィードバックしてくれた。選手を上にあげるタイミングは抜群。選手の気持ちになって本気で向き合い続けてくれた。本当に感謝しかない。(たくまさんも)
身内
いつか返します。
他にも本当に多くの人の支えがあって、ここまで来れた。
Aの皆とプレーする毎日が、緩い時もぴりついてる時もたぎってる時も、何か言いたそうなことがあっても言わず不満げな顔を見ても、平松が俺のミスをしつこく突いてきても、俊也とセットプレーのことで揉めても、毎日が本当に夢舞台である。
西尾、そうしん、安斎、周と同じピッチにいる時、選手権の決勝にいる気分になる。
本気でプレミアリーガーかと錯覚させてくるカイレン。
西堂が同じピッチにいると興奮する。
本当に思ってるのかと思われるかもしれないが、本気で思っている。
こんな上手い皆とこれからもプレーができると思うと、楽しみで仕方ない。
皆と関東のピッチで戦いたい。
あと一年、もう少し頑張ってみようと思います。
