小学四年生の息子が、老犬ハルの散歩を一人でやってみた日のこと
言い出したのは、息子の方だった。
「ぼく、ハルの散歩、一人でやってみたい」
土曜日の朝ごはんを食べ終わったあと、唐突にそう言った。
息子は小学四年生で、今年で十歳になる。ハルが生まれた年には、まだこの世にいなかった。ハルの方がこの家に先輩として存在していて、息子はずっと、ハルがいる家で育ってきた。
「一人で?」とわたしが聞いたら、「一人で」と言った。
「ハル、最近ゆっくりだよ」と言ったら、「知ってる」と言った。
ハルと息子のこれまで
息子とハルの関係は、長女とハルの関係とは少し違う。
長女はどちらかというと、ハルを「見守る」タイプだ。そばにいるが、じゃれつくことは少ない。静かにそばにいて、ハルが眠っていれば眠っているのを見ている。観察型、とでも言えばいいか。
息子はずっと、ハルに「絡みたい」タイプだった。小さいころは、眠っているハルの上に乗ろうとして叱られた。ハルのご飯を横から食べようとして叱られた。ハルのしっぽを引っ張って、ハルに低く唸られた。
でも最近、息子のハルへの関わり方が変わってきた。
ハルが夜中に廊下にいた話を、息子には直接していない。でも雰囲気で、何か感じているのかもしれない。朝、ハルがベッドから起き上がるのに時間がかかっているとき、息子がそっとそばに座って待っていることが、何度かあった。急かさないで、ただ待っている。
それを見て、大きくなったな、と思っていた。
散歩の準備
「じゃあ一緒に行こうか」と言ったら、「一人で行きたい」と言われた。
一人で、か。
少し考えた。ハルは最近、急に立ち止まることがある。足がふらつくことがある。夜中の徘徊の話もある。子ども一人に任せることへの心配が、正直あった。
でも息子は十歳だ。近所の短い散歩コースなら、問題ないかもしれない。
「コンビニの手前で折り返すコースね」と言ったら、息子が「わかった」と言った。「ハルが止まっても、急かさないで」と言ったら、「知ってる」と言った。「引っ張らないで」と言ったら、「知ってる」と言った。
知ってる、を三回言った。
まあ、知っているか。毎朝見ているのだから。
リードをつけるところだけ、わたしがやった。ハーネスの装着は少し複雑なので、そこは手伝った。ハルはわたしが装着するとき、いつものように大人しくしていた。
玄関を出るとき、息子が少し背筋を伸ばした気がした。気のせいかもしれない。でも気のせいじゃない気もした。
窓から見ていた
送り出してから、わたしは窓から見ていた。
見るつもりはなかったのだが、なんとなく窓のそばに立っていた。
息子とハルが、住宅街の角を曲がるところが見えた。ハルがにおいを嗅ぐために立ち止まって、息子が止まった。ハルの隣に立って、待っていた。急かさなかった。
その光景を見て、少し胸が詰まった。
こういうことを「胸が詰まる」と言っていいのかどうかわからないが、何かが来た。小学四年生の息子の後ろ姿と、十五歳の老柴犬の後ろ姿が、並んで住宅街に立っていた。ふたりとも、急いでいなかった。
ミケが窓際に来た。外を見た。
「ハルが散歩してるよ」とわたしがミケに言ったら、ミケはわたしを一瞬見て、また外を見た。
二十分後
息子が帰ってきたのは、二十分後だった。
いつもわたしが行くと十五分くらいなので、少し長かった。玄関を開けたら、息子が「ただいま」と言った。声がいつもより少し大きかった。
ハルのリードを外しながら、「どうだった?」と聞いた。
息子がすこし考えてから、「電柱のとこで五分くらい止まってた」と言った。
「そうだよ、いつもそう」と言ったら、「知ってた」と言った。四回目の「知ってた」だった。
「引っ張りそうになった?」と聞いたら、「なりかけた」と言った。正直だった。
「でも引っ張らなかったの?」と聞いたら、「引っ張らなかった」と言った。少し得意そうだった。
「えらいじゃない」と言ったら、「まあね」と言ってリビングに行った。すぐにテレビをつけた。
その「まあね」の言い方が、なんというか、この子らしかった。
夫に報告した
昼に帰ってきた夫に「今日、颯太が一人でハルの散歩したよ」と言ったら、夫が「そうか」と言った。
「五分間、電柱の前で待てたんだって」と言ったら、夫がリビングでゲームをしている息子を見た。
「颯太」と呼んだ。
息子が「なに」とゲームをしながら答えた。
「散歩、よくやったな」と夫が言った。
息子がゲームを少し止めた。「まあね」と言った。
またまあね、だった。でも今度はゲームを止めて言ったから、少し違った。夫にほめられたことが、うれしかったのだと思う。男の子というのはそういうものかもしれないし、息子がそういう子なのかもしれない。
夫も正直じゃない、息子も正直じゃない、でもそういうやりとりが、うちのリビングだ。
息子が気づいていたこと
その夜、息子が寝る前にわたしの部屋に来た。
「ハル、帰り道、一回ふらついた」と言った。
「え、転んだ?」と聞いたら、「転んでないけど、よろっとした」と言った。「すぐ立ち直ったけど」と。
「教えてくれてありがとう」と言ったら、息子が「なんか、言っといた方がいいかと思って」と言った。
「そうだね、言っといた方がいい」と言ったら、「じゃあ、おやすみ」と言って部屋に戻った。
息子が出て行ったドアを見ながら、わたしはしばらくそこに立っていた。
「よろっとしたけど、すぐ立ち直った」という報告を、「言っといた方がいいかと思って」持ってきた。それだけのことだけれど、それだけのことが、その夜のわたしには、ずいぶんと大きかった。
ハルと息子の時間
翌週の土曜日も、息子が「行く」と言った。
「また一人で?」と聞いたら、「一人で」と言った。
今度は送り出すとき、わたしは窓から見なかった。
見たい気持ちはあったけれど、見なかった。息子に任せた、ということを、ちゃんとやろうと思ったからだ。見ていたら任せたことにならない気がした。
二十分後に帰ってきた息子に、「どうだった?」と聞いたら、「ふらつかなかった」と言った。先週の報告を覚えていて、今週はどうだったかを教えてくれた。
「よかった」と言ったら、「うん」と言った。
それだけだった。でもそのやりとりが、なんというか、ちゃんとしていた。「ちゃんとしていた」というのは、子どもとわたしのやりとりというより、ハルの介護にかかわっている人間どうしのやりとり、みたいな感じで。
息子が、ハルの介護の一部を担うようになっていた。
長女に話したら
長女に「颯太、最近ハルの散歩やってるの知ってる?」と聞いたら、「知ってる、すごいよね」と言った。
「すごい?」と聞いたら、「あの子、ハルが止まっても待てるんだよ。前は絶対引っ張ってたのに」と言った。
長女はよく見ている。弟のことも、ハルのことも。
「成長したよね」とわたしが言ったら、「ハルのおかげだと思う」と長女が言った。
「どういうこと?」と聞いたら、「ハルがゆっくりになったから、颯太も合わせるしかなかったんじゃないかな」と言った。
なるほど、と思った。
ハルが引っ張らなくなったから、息子も引っ張れなくなった。ハルのペースに合わせるしかなくて、その中で、待つことを覚えた。ハルの老いが、息子に何かを教えた、ということかもしれない。
長女はそういうことを、さらっと言う。中学二年生に、時々はっとさせられる。
先生に話したら笑われた
次の診察で、先生に息子の散歩の話をした。
「息子さんが」と言ったら、先生が少し笑った。「何歳ですか」と聞かれた。「十歳です」と言ったら、「十歳で、ちゃんと待てたんですか」と言われた。
「五分間、電柱の前で待ったそうです」と言ったら、先生がまた笑った。「えらいですねえ」と言った。
「ふらつきの報告も持ってきてくれて」と言ったら、「それは本当にえらい」と先生が言った。「そういう観察ができる子どもは、動物への接し方が上手なんだと思いますよ」と。
えらい、という言葉を、先生にも言ってもらえた。
夫にも言ってもらえた。先生にも言ってもらえた。
息子には、直接は伝えていない。でも今度、こっそり伝えようと思っている。
今週の土曜日
今週の土曜日も、息子は「行く」と言うだろうと思っている。
毎週行くようになった、というわけでもなくて、気が向いた土曜日に行く、という感じだ。わたしが「今日は?」と聞くわけでもなく、息子が「行く」と言えば行くし、言わなければ行かない。
それくらいのゆるさが、うちには合っている気がする。
ハルは息子と行く散歩と、わたしと行く散歩を、区別しているかどうかわからない。においを嗅いで、ゆっくり歩いて、帰ってきてベッドで眠る。それは誰と行っても同じだ。
でも、息子と帰ってきたハルは、玄関を入ってすぐリビングに直行する前に、一度だけ息子を見る気がする。
気のせいかもしれない。でも気のせいじゃない気もする。
いつか息子に「ハル、帰るとき振り返ってた?」と聞いてみようと思っている。息子なら「知ってる」と言うかもしれない。五回目の「知ってる」が聞ける日を、少し楽しみにしている。
森山そよぎ
シニアペットケア・暮らしの記録
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