営業AIでは見えない仕事。営業は案件を作る仕事である。
営業AIの進化には、本当に驚かされる。
Gong、Clari Copilot、Avoma、Revenue.ioなど、多くの製品が商談を録音し、文字起こしを行い、営業活動を分析する時代になった。
営業と顧客はどちらが多く話したのか。
どんな質問をしたのか。
競合は話題に出たのか。
次回アクションは決まったのか。
最近ではBANT、SPIN、MEDDICといった営業フレームワークに照らし合わせ、「良い営業だったのか」まで評価する製品も増えている。
私は、この流れを歓迎している。
営業という仕事は長い間、「あの人は営業センスがある」「トップ営業だから勝てる」と、個人の才能に依存する世界として語られてきた。
営業AIは、その暗黙知を可視化し、若手営業でも学べる世界へ変えようとしている。
営業という仕事にとって、これは間違いなく大きな前進だ。
だからこの記事は営業AIへの批判ではない。
むしろ、もっと進化してほしいと思っている。
しかし、三十年以上エンタープライズ営業を続けてきた私には、一つだけ違和感がある。
営業AIは、本当に営業を評価できるのだろうか。
それとも、営業会話を評価しているだけなのだろうか。
この違いは、とても大きい。
営業には三つの単位がある
この記事では、「ミーティング」「商談」「案件」という三つの言葉を区別して使いたい。
まず、ミーティング。
一回一回の打ち合わせである。
営業AIが直接分析しているのは、この単位だ。
次に、商談。
初回訪問から提案、デモ、価格交渉まで、受注を目的とした複数回のミーティング全体を指す。
そして最後が、案件である。
案件とは商談だけではない。商談はどちらかというと売り手側の都合で見ている。一方、案件はもっと広く、顧客側の視点で見る場合が多い。
顧客社内での根回し。
部門間調整。
競合比較。
メール。
電話。
経営会議。
稟議。
営業がその場にいない場所で起きている意思決定まで含め、受注へ向かう活動全体を私は案件と呼んでいる。
営業AIはミーティングを分析できる。
そこから商談全体を評価することもできる。
しかし案件はどうだろうか。
案件は営業がいない場でも動き続ける。
顧客の社内で人が動き、反対者が現れ、味方が増え、優先順位が変わる。
録音だけでは、その姿は見えない。
営業は案件から始まる仕事ではない
もう一つ、定義したい言葉がある。
それは「案件化」である。
多くの会社では、CRMへ登録された時点で「案件になった」と考える。
私は少し違う考えを持っている。
営業は案件から始まる仕事ではない。
案件を作る仕事だからである。
顧客は最初から製品を検討しているわけではない。
予算もない。
プロジェクト名もない。
担当者も決まっていない。
場合によっては、自分たちに課題があることすら認識していない。
そこから営業は始まる。
どの会社を狙うのか。
その会社はどんな経営課題を抱えているのか。
誰に会えば社内が動くのか。
現場から攻めるのか。
部長から攻めるのか。
役員へ直接行くのか。
誰が将来Championになり得る人物なのか。
どんなストーリーなら、「この課題は放置できない」と思ってもらえるのか。
営業は仮説を立てる。
戦略を描く。
そして行動する。
その結果として顧客が、
「この課題は、本当に解決しなければならない。」
そう考え始めた瞬間、
初めて案件になる。
つまり案件とは営業活動のスタートではない。
営業活動によって生み出される成果なのである。
私は以前、「なぜMEDDICにはBudgetがないのか」という記事を書いた。
そこで伝えたかったのは、Budgetは探すものではなく、生み出すものだということだった。
案件も同じである。
私が考える営業とは案件を管理する仕事ではない。
案件を作る仕事なのである。
BANT営業とMEDDIC営業は別の競技である
ここを混同すると、営業AIへの期待もずれてしまう。
BANT型の営業では、顧客はすでに検討を始めていることが多い。
担当者も決まり、決裁者も比較的早く登場する。
この世界では、一回一回の会話が結果へ直結する。
だから営業AIは非常に強い。
ヒアリングは十分だったか。
決裁者は確認したか。
競合は聞けたか。
次回アクションは明確か。
これらは会話からかなり高い精度で評価できる。
私は、この領域で営業AIは非常に価値があると思っている。
しかし、私が三十年以上携わってきた営業は違った。
顧客はまだ検討を始めていない。
案件すら存在しない。
そこから営業が戦略を立て、人を探し、組織を動かし、ようやく案件になる。
そして案件になってからも、一年以上かけて育っていく。
だからMEDDICは、商談を管理するためのフレームワークではない。
案件を前へ進めるための共通言語なのである。
私がChampionを誤解していた頃
そのことを痛感した大型案件がある。
ある複合機メーカーの案件だった。
最初に私の窓口になってくれたのが、堀川さんだった。
堀川さんは、自社の課題を深く理解し、危機感を持っていた。ゆえに、こちらの提案にも真剣に耳を傾けてくれた。
そして、自ら社内を動き始めた。
「常務をご紹介します。」
その言葉どおり、常務との面談まで実現してくれた。
営業としては理想的なお客様だった。
もし営業AIが、この時点までのミーティングだけを分析したら、おそらく高い評価を付けるだろう。
顧客は前向き。
紹介も得られた。
次回アクションも決まっている。
私自身も、「この案件は勝てる」と思っていた。
しかし、それは案件の始まりに過ぎなかった。
常務との面談を終えた頃から、景色は一変する。
それまで見えていなかった、本当の敵が姿を現した。
最初に立ちはだかったのが、CIOだった。
当時、その会社ではグローバルの販売会社ごとに異なるERPが導入されており、CIOはその現状を強く支持していた。変えたくなかったのだ。
私たちの提案は、CIOの考える理想とは異なるアプローチだった。
ここで初めて気付いた。
営業の競合は、競合製品だけではない。
顧客が信じている風景そのものが競合になることがある。
ここから戦い方は大きく変わった。
堀川さんはCIOから何度もダメ出しを食らった。その度に私は彼と作戦を練った。時には飯を食いながら。
製品説明では勝てない。
デモでも勝てない。
価格でも勝てない。
必要だったのは、「なぜ、その構想では経営課題を解決できないのか」を経営の言葉で説明することだった。
私たちはOracleやSAPとの比較資料を何度も作り直した。
機能比較ではない。
経営判断のための比較資料である。
さらに、日本法人だけでは説得力が足りないと判断し、アメリカ本社から幹部にも来日してもらった。
ここまで来ると、一回の商談を録音しても、この案件全体は見えない。
録音には映らない準備が何回も何ヶ月も続く。
非公式の場で顧客と作戦を練る。
社内レビューを行う。
資料を書き直す。
作戦を修正する。
営業レビューで方向性を議論する。
そうした積み重ねが、一時間の商談を作っている。
営業AIが見ているのは、その表面的な一時間なのである。
敵は変わる。味方も変わる。
CIOとの議論を乗り越えれば終わりではなかった。
次に向き合ったのは、販売会社社長だった。
ここで初めて、二人目のEnemyと向き合うことになった。
折角、CIOを説得できたのに決まらない。
販売会社の社長は首を縦に振らない。
最後は、本体の社長から販売会社社長を説得した。真のEconomic Buyerがここで初めて登場する
その案件は経営として優先順位を変える価値があるのか。
そこだけが問われる。
私は、この案件で一つのことを学んだ。
営業とは、一人の顧客を説得する仕事ではない。
組織全体の意思決定を前へ進める仕事なのである。
Championは完成形ではない
この案件を通じて、私はChampionという言葉の意味を理解した。
当時の私は、「Championか、Championではないか」という二択で考えていた。
最初に私を支えてくれた堀川さんを見て、
「この人がChampionだ。」
そう思っていた。
しかし営業レビューでは、
「まだChampionとは言えない。」
そう指摘された。
その時の私は納得できなかった。
あれだけ社内を動かし、常務との面談まで実現してくれた人なのに、なぜChampionではないのか。
しかし、その意味を理解したのは何年も後だった。
案件が終わった後も、堀川さんとの付き合いは続いた。
堀川さんは着実に実績を積み重ね、社内での影響力を高めていった。
やがて昇進し、社長からも厚い信頼を得る存在になり、本当に会社全体を動かせる人物になった。
その姿を見た時、私はようやく理解した。
Championとは、最初から完成された存在ではない。
肩書きでもない。
営業に協力してくれる人でもない。
組織を動かせるだけの信頼を積み重ねた人なのである。
だから私は今でも思う。
堀川さんはChampionではなかったのではない。
Championへ成長していく途中にいた人だった。
そして後年、私が教わった定義どおりのChampionになった。
この経験は、私の営業観を大きく変えた。
営業とはChampionを探すだけが仕事ではない。
将来Championになり得る人を見つけ、その人が組織を動かせるよう支援し、一緒に案件を育てる仕事でもあるのだ。
トップセールスは何が違うのか
ここで営業評価の話に戻りたい。
営業AIは営業会話を評価する。
それは間違っていない。
しかし、それだけではトップセールスは見えてこない。
トップセールスが優れているのは、話し方ではない。
質問力だけでもない。
プレゼンテーションでもない。
一番優れているのは、戦略を描く力とそれを実行する力である。
どの会社を狙うのか。
誰から入るのか。
誰が将来Championになり得るのか。
どの順番で経営層へ近づくのか。
競合とどう戦うのか。
いつ本社を巻き込むのか。
いつEconomic Buyerへ会うのか。
案件をどう育てるのか。
これらはすべて戦略である。
そして、会話はその戦略実行の過程における部分的な手段に過ぎない。
だから私は会話を軽視しているわけではない。
会話は重要だ。
しかし営業という仕事全体から見れば、それは一部分なのである。
営業AIに期待していること
だから私は営業AIに期待している。
もっと進化してほしい。
録音だけではなく、
メールも、
CRMも、
チャットも、
提案書も、
案件レビューも、
顧客とのやり取り全体を理解できるようになれば、本当の意味で案件を理解できるAIに近づくだろう。
私は、その未来は必ず来ると思っている。
しかし現時点では、営業AIが見ているのはミーティングである。
そこから商談を評価している。
営業が本当に向き合っているのは案件である。
案件は、人が動かす。
組織が動かす。
時間が育てる。
敵も変わる。
味方も変わる。
Championも変わる。
戦略も変わる。
だから営業とは、会話を上手に進める仕事ではない。
案件を作り、案件を育て、案件を勝たせる仕事なのである。
営業評価とは、本来もっと広いものだ。
ターゲット企業を選び、
仮説を立て、
戦略を描き、
案件を生み出し、
Championとともに組織を動かし、
受注へ導く。
そのプロセスすべてが営業である。
営業AIは、その長い物語の一場面を極めて高い精度で評価できるようになった。
それは営業の世界にとって、大きな進歩だ。
しかし、営業という仕事は、その一場面だけでは語れない。
営業は案件を作る仕事である。
そして、
案件は、生き物である。
