SS『森は森』
いつだったか、渋谷はわたしの庭だといった誰かがいた。雑誌だったか。なるほどと頷いたものだ。わたしの庭はこの森。ここだけが。現代でも、森は森としてある。
歩く。朝露に濡れた葉が早朝の日に光って、踏まれては露を撒き散らし、軽い音を立て萎えていく。口角が少し上がる。口を窄め、息を吹こうとして、ふとやめた。音がする。気配がある。足を止め、弾けた露を靴が受け止めた。
じっと、見る。枝を掻き分ける音を拾う。いくつか枝が折れて重たい音がした。朝露が大量に舞う。近い。静かな呼吸で、森と同化した。
「……行った」
吐き出した小さな声に、肩が下がる。遠くなる緑を踏む音は、そして、聞こえなくなった。
足が向かう。すぐそこだ。どうだろうか、そうだろうか。始まりそうな思考は、瞬きで切った。切れ端が小さく蠢く。滲んだ汗に、知らないふりをした。
掻き分ける。緑が揺れる。さざめきを割って辿り着いたそこに、かくして、それはあった。
俯いて顔は見えない。無造作に投げられた指先は土を掻くわけでもなく、力なかった。髪は長く、少し脂っぽい。細く薄い体から、持ち運びは確かに可能だろう。何をもって。瞬く。また始まりそうなそれを切る。
しばらく眺めて、手を合わせた。それだけ。何になる。首を振って、瞬く。踏まれた緑に目をやる。そのまま行けば県道に着くだろう。
来た道を戻る。緑を踏む。行きよりも足取りは重く、踏まれた緑はより萎えた。
「間に合うだろうか」
間に合わなくとも、そのうち何とかなるだろう。日本の警察は優秀だというから。ならずとも、土に還るだけ。
「はあ」
肩を落とす。滴り落ちる汗を拭って、ポケットの中の携帯電話を取り出した。圏外。
「森だしな」
小さく漏れた息が、わたしの庭に重たく薄く、落ちていった。歩く速さは変わらない。見上げても変わらない。日の光が少し高くなっただけ。ただ、そうなだけだ。
