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戦争末期に向かう服飾雑誌の変遷を見るー物の節約から防空対策へ

 戦時下の生活を追うには、さまざまな出版物や回覧などの文書を一定期間、継続して追跡するのが手軽な方法です。しかし、実際には80年から100年ぐらい前のそうしたものを、系統立ててしっかり集めるのは「主婦之友」や「家の光」など、発行部数が多かった雑誌など一部に限られます。
 それでも、何とかいろんな分野のものをということで、こちら、季刊の服飾雑誌「清装」の1943(昭和18)年から1944(昭和19)年までの3冊を入手しましたのでご紹介します。季刊ですので、冊数は少なくとも、変貌は感じられるのではと思います。

 まずこちら、1943年9月1日発行の「秋号」です。発行元は「ふえみな社」改称「成蹊書林」です。当時、洋風の会社名も和風に変えざるを得ない風潮で(法的義務も何もないのですが)、ドイツ語由来の「フレーベル館」も「日本保育館」に改称していました。副題は「古いもので間にあはせませう」。

 いきなり表紙裏の広告が「防空服を常着にまで徹底しませう」とあり、何かといえば「婦人興亜の帯」、まあ、女性向けベルトの宣伝ですね。

広告も戦時色

 本文は、多数のデザインが掲載されています。手持のものでつくるとなると、本格派とはいきませんので「簡易なコートと秋の服」とか

古いもの応用の秋のコートなどとなっています。ただ、こうした着こなしをできる階層を想定しているわけですので、こちらの雑誌もA4判24㌻ですが89銭と、それなりの値段をしています。季刊ですから、年間の負担は少ないといえば少ないですが。

 つぎはぎや夏物の応用とあります。「つぎはぎ」は一貫して出てきますが、これは穴を塞ぐというより、パッチワーク的な意味合いで使って居るようです。

 そして、古い物の利用といえば、着る機会の少なくなった和服の利用です。こうしたリサイクルは、代表的なものですが、ここまで仕立てるのはなかなか大変。この雑誌社は、ちゃっかり型紙の販売もしていました。

 そして女学校時代のセーラー服も、手直しの素材と。つくるのが「決戦下に絶対必要となった防空服」とくるのですから、切ないものです。

 1943年11月1日発行の「冬号」です。この号から、表紙の紙も本文と同じざら紙となっています。副題は「退蔵品を生かし廃物を利用しませう」ですが、時局に合わせて、表紙は防空訓練の姿に。ただ、ちょっとポーズをとらせることで、服飾雑誌の体裁を保持しています。

 外套代用になる上着など、布が不足してくるとそう何枚も服を作るわけにはいかないので、着回しができるものを使おうというわけです。そして女性が各職場に進出している世相を反映し、「働きよい上衣、働きよいズボン」となるのですね。

 安定の「つぎはぎ」と古い服の応用です。

 そして、こちらは男性の国民服に対して新たに制定された婦人標準服に近づけるように、和服を改造するというものです。国民服は軍事目的があり生産もされていきますが、婦人標準服は制定したものの、各自が工夫してつくるという方向だったので、当然ながらこうした手作り中心で、普及しませんでした。

 そして、雑誌用紙制限の現実は隠せなかったようで、希望者に見合う部数が作れなかった様子が浮かびます。ページを減らさないとなれば、部数を減らすしかないのです。

 こちら、1944(昭和19)年3月1日発行の「春号」で、副題は「決戦下の衣服は古いものを活用しよう」です。もう、1943年あたりから、服を新調するのは大変だったことがわかります。衣料切符(割当点数であり、商品は有料)は1942(昭和17)年から導入されていて、このころの切符はほとんど使い切られていますが、1944年あたりの衣料切符は点数が多く残って居たり、なんとなれば使用されていないものも入手できます。点数はあっても品物がないという状態に陥っていたのですね。ですから服飾雑誌も、基本的にはあるものを工夫して新しくなった気分を味わえるようにという方向に走るわけです。まあ、ある階級であれば、そんな心配をせずに仕立てられたでしょうが。

 とうとう、見開きで「大人と子供の防空服」の紹介です。

 そして、普通の服は安定のつぎはぎ、古服利用です。

 このころだと男子の就業禁止職種も決まっていて、女性がその代わりになるのが普通になってきています。軍需工場や一般の会社も人手不足を支えるには女性が頼り。「決戦下の婦人服としてのズボンの実際性」が見開きでてきます。

 そして着回しの例として、とうとう「防空兼用の頭巾と外套」とか。

 型紙の例も古いものを活用したズボンと。防空訓練も頻繁に行われてきて、そのためにもズボンは必要とされたでしょう。

 そんな中でしたが、まだこの時期、洋裁学校の広告が出ています。逆に言えば、店で買えなくなって必然的に自分で作らざるを得ない人が増えてきて、需要はあったのかもしれません。女学校で習う裁縫ぐらいでは、なかなか追い付かなかったでしょう。

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 こうした雑誌も探してはいるのですが、やはり消耗品でもあって、なかなか入手できません。ただ、人々の生活や世相を知るのは、こうしたさまざまな冊子、雑誌は頼りになります。頑張って蓄積をしていき、引き継いでいきたいと思って居ます。

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