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お金の話ーといっても、もうけ話ではなく、戦中、戦後の金融維持を図るためのどたばたです

 人が生活していく上で、通貨がないと全く不便であることは言うまでもありません。通貨が一定の信頼の下で通用することにより、人々は労働や生産物を通貨の形で蓄積や利用ができるようになったのですから。

 そこで、手元にある通貨で、ほんのさわりだけを紹介させていただきます。とはいえ、基本を知れば現在なぜ金が高騰しているのか、日銀にお札を刷らせて各世帯にばらまくといった施策がなぜおろかしいかなど、少しは役に立つと思います。

 まずこちら、いずれも長野県内の御家庭にあったものを寄贈していただいたものです。つまり、信州の山奥にもあった、当時の日常的な通貨です。

 上の5円札は、1942(昭和17)年1月6日以降発行となったもので、肖像は菅原道真、下の10円札は1930(昭和5)年5月21日以降発行のもので肖像は和気清麿です。

 いずれも「日本銀行兌換券」と記載されています。これは、紙幣を同額の金貨に引き換えられるという「兌換」が可能な紙幣ということで、これがただの紙切れに金の信頼を与えて通用させる方法でした。

日本銀行兌換券とあり「此券引換に金貨5円」を渡すことができると書いてあります
10円券にも同じ文面が載っています

 一方、太平洋戦争中の1942年2月24日、日本銀行法が制定されます。この条文では、紙幣の発行にあたって、同額の保障を日本銀行が保有することが必要とあれ、それは手形や国債などの有価証券、地金銀又は商品といったもので対応しています。

 つまり、金とは交換しないけれども、発行した紙幣(日銀の債務)を支えるだけの保障(金銀や国債、手形)があるから、安心して使ってよいですよということです。これによって、兌換紙幣は廃止されます。

 政府が国債を発行して日銀に引き受けさせて軍事費を流通させる、日銀は国債を持ち続けると通貨の流通量が増えるので、庶民に預金をさせて、銀行や金融関連業者が日銀から国債を買う、あるいは個人に国債を買わせるー通貨が日銀に戻るーことにより、通貨流通量の増大によるインフレを抑えることが可能になります。金の量を背景とした銀行券の発行という限度を超えて、軍事費を増大させることが可能になるわけです。

 先ほどの5円券、10円券は、いずれも最後の兌換紙幣となり、事実上、1942年の日本銀行法公布で、兌換業務は打ち切られることになったのです。

 こちら、下が1943年12月15日から発行された10円券で、日本銀行兌換券とあったところが日本銀行券となり、兌換の説明もなくなっています。右上に張ってあるものの説明は、この後に出てきますので、とりあえず、ここはお札だけに注目してください。

上が兌換できた時の10円、下が兌換できない信用による紙幣となった10円
兌換の説明文は、当然、なくなっています

 また、裏面を見ると、多色刷りから単色になっていて、物資の不足や、植民地などで使う軍票などの印刷で忙しくなってきていて質が落ちていることをうかがわせます。

下が1943年12月15日以降に発行の10円券

 なお、10円札は1944年11月20日発行分からは、印刷の製造能力を上げる為、紙幣の番号を廃止し、さらにミツマタへのパルプ混入率が上げられるなど、どんどん粗悪なものとなっていきます。
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 こうして敗戦を迎えるわけですが、さまざまな努力を重ねても市中に流通しているお札の量は大きく伸びていました。そこで、インフレを抑えるため、旧紙幣を使えなくしてーつまり、手持ちの現金をいったん銀行に入金させて、一定の金額でしか引き出せないようにして、通貨の流通量を抑え込む方法がとられることになります。これが、1946年2月17日「金融緊急措置令」と「日本銀行券預入令」の発令です。猶予はわずかで、3月7日に額面5円以上の旧紙幣はすべて効力を失うとされました。
 こちら、新円切り替えで1946年3月19日から発行された1円券です。10円券も新しい図案のものが出ていますが、今のところ手元にありませんので、ご容赦ください。

戦後の新1円札。肖像は二宮尊徳

 しかし、印刷能力も空襲などによって低下していましたし、限られた金額とはいえ、それなりの通貨量が必要で、短期間で用意できるものではありません。そこで、旧紙幣の一部に「証紙」を張って、当面、新円として使えるように処置がされました。これが先ほどから出ている、証紙を張った10円札の正体です。

新円として通用させるための証紙

 ここで、たびたび参考書としてお世話になっている「太平洋戦争と銀行ーなぜ日本は『無謀な戦争』ができたのか」(講談社現代新書・小野圭司)から、この証紙をめぐる話題を引いてきます。

 「バラす前の証紙の台紙には、ミシン目も境界線もない。切手と違って、裏にノリもついていない。それをハサミで一枚ずつ切り取って、ノリを塗って旧券に貼る。戦後の粗悪なノリなので、巧く塗らないとすぐに剥がれる。これを新券(証紙を張った旧券)との交換が始まる二月二五日までに終えないといけない。日銀や各銀行では、行員総出で夜を徹して証紙貼りを行い、何とか「証紙貼付銀行券」を新旧券高官に間に合わせた」

 上の証紙の写真をみますと、微妙にカーブがふちについているのが分かります。銀行員が手作業で切り取ったなごりでしょう。そして、幸いに現在まで剥がれることなく、健在で、当時の金融の様子を伝える資料となってくれています。

 同書では、これでもインフレは続きましたが、この対応をしなければ、それはもっと酷いものだっただろうとしています。戦争がぼろぼろにした国家のシステムを支えた人たちの息遣いが伝わるようです。

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