だから僕はお手玉を握る
実は最近、お手玉を常日頃持ち歩いている。
介護現場にて落ち着きの無い人や暇そうにしている人の頭の上に乗せたりキャッチボールをしたり、真上に投げたお手玉を胸ポケットでキャッチしたりしている。
レクリエーションの時間でもお手玉をやることが増え、自分の得意や好きを仕事に活用する瞬間が多くなったことで少し仕事が楽しくなった。
ただ、お手玉を持ち歩くようになった最大の理由は元々それらには無かった。どういうことか少し話していきたい。
まず、お手玉の有用性について話していこう。
最近僕は介護施設で体操やレクリエーションをする前にちょっとしたパフォーマンスをすることがある。
例えば、投げたお手玉をマジックハンドで掴んだり、お手玉を頭に乗せた状態で他のジャグリングをしたり......お手玉でできることを見つけては披露している。
レクリエーションへの活用もしていて、パイプ椅子の上にお手玉を投げて上手く乗せるゲームや頭にお手玉を乗せた状態で指示通り動いて貰うゲーム、シンプルにお手玉の動きをして貰うものまで、その活用方法は多岐に渡る。
このようにお手玉はその本来の遊び方以外にも様々な方面で活用できる素晴らしい道具であることがわかる。
さて、そろそろ本題に入ろう。
僕がお手玉を肌身離さず持つようになった理由......ズバリそれは「落ち着くから」だ。
まず仕事や日常の中で気持ちの整理がつかない時や考え込んでしまう時、ふとお手玉をポケットから取り出して何度か握る。
そうするとお手玉の中身である豆が擦れる音が耳に届き少し冷静になれる。耳元に近づけてその音を聴くのも心地良い。
時には投げたり技をしたりする事で自分の胸にあったもやもやを一時的に晴らすことができた。
これが僕がお手玉を持ち歩くようになったきっかけだった。
さて、みんなも薄々感じているとは思うが、お手玉の魅力は技が中心では無い。少なくとも僕はそう思う。
僕にとってお手玉とボールジャグリングは大きな違いがあると思っている。
文化的背景が違うことや、競技としてのあり方が違うことは勿論だが感覚的な違いに最近気が付いた。
僕がお手玉をやる時は「頑張る」ことが無い。
ボールジャグリングをする時は特定の技を習得したりシーケンスやルーティンを考えたり......何かをしようと思い、さらにそれを頑張ろうという気持ちがある。
しかしお手玉にはそれが限りなくゼロに等しいことに僕は気がついたのだ。
勿論その動きに慣れているからという前提もあるだろう。ボールジャグリングの技でも慣れているものはお手玉をやる時に近い感覚がある。
それでもお手玉をやっている時の僕は極めて穏やかであまり複雑な思考をすることは無い。(おそらくジャグリングだと僕が色々考え過ぎてしまうことも一因しているが......)
それに最近はお手玉を作りたいという気持ちも芽生えてきているのだ。
作り方は様々で、布と中身、糸さえあれば良い。
好きな色や柄、肌触りの布を選んで組み合わせるという楽しみ方ができるし、形も様々であるため創作お手玉なんかのオリジナリティある形のお手玉を作ることもできる。
来年辺りに僕らしいお手玉作りというのをしてみたいと思っているのでお楽しみに。
というわけで、やはりお手玉の楽しみ方は様々で、五感を刺激してくれることも魅力の一つだと感じる。
例えば手触り、握り心地、投げたり取ったりする時の音、空中をほぼ規則的に動く様子、物によっては匂い袋のように香りを楽しむこともできる。
味は......米や豆なら煮れば食べれる。
ということであなたも落ち着かない日常があればお手玉を一つ持ち歩いてみることをお勧めしたい。
例えそれが100円の物だったとしても、ふとした瞬間に自分の心をほんの少し救ってくれるかもしれないから。
