植民地 プラセボの楽園

「医療倫理」の本を読んでいたら、こういうことなのかな、という世界観が浮かんできた。
 ただの思い付きであり、それが現実化してほしくはないという思い。

 まず、開発途上国でプラセボと本物の治療薬を与えるグループに分ける治験が行われるのは、医療倫理上問題ではないかという議論があります。
 プラセボ群は、治療されていないからです。

 しかし、発展途上国は経済的に貧しく、薬が買えないので、プラセボと普通の生活状態に差がありません。ゆえにプラセボ群を作っても問題はないわけです。そして治療薬群に高度な治療薬という触れ込みでヤバイ薬を渡しても、高度な医療を受けられる建前なので、医療倫理上問題はないことになります。
 
 そこで、薬剤を好きに実験できる治験植民地を作りたい場合、どうすればいいか?国を貧しくして、承認制度を緩くして、治験と市販後臨床を兼ねる制度を作ればいいわけです。
 この制度は貧しい国に治療薬を与えることができるということで、医療倫理違犯にはならないというのがその手のプロの見解です。
 あと、治療薬がない国に治療薬を与える場合も、同様の手法は医療倫理規定違反にはなりません。
 
 ここまで書くと,おや、どこかの国みたいだ、となります。
 日本ですね。
 最近国も貧しくなって、承認制度も緊急承認なんてできてるではありませんか。
 という訳で、今後日本は新薬投入に対して、倫理的境界が緩くなりそうです。
 まぁ、効果が確かなら、いい薬が早く使えるということになるのですが、そんなこと信じられなくなるぐらいの世の中です。

 
 薬の承認、おかしくない?


そしてFDAは変異種について治験なしで承認になります

 帝国は経済・政治・思想の中にあるというプラセボに慣らされています。
 新しい治験植民地が生まれようとしているようです。


参考文献「医療倫理」ト二―・ホープ著 児玉聡ほか訳 2007年3月27日 岩波書店 

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