Mr.Children『CENTER OF UNIVERSE』が教えてくれた現代社会の幸せ論
いつもみたいなお堅い形式の記事でもwell-beingついては記事にしたいのですが…
well-beingについて考えると、どうしても思い出してしまう曲があります。
それがMr.Childrenの、
「CENTER OF UNIVERSE」です。
この曲はアルバム「Q」の1曲目の収録曲であり、
アルバム自体は2000年9月に発売されています。
私はこの曲の歌詞全てが現代社会の幸せの再定義をしていると強く感じているのです。
何故私がこの曲に強く惹かれ、真の幸せを考えるようになったかについて本記事で書いていこうと思います。
Mr.Childrenは自分の幸せを考えるきっかけとなった
現代社会における「理想の幸せ論」を見ると、
私はどうしても疑問に感じ、
押し付けられると生きづらさを感じてしまいます。
今と昔は違うのに…と思いつつも、
言語化ができないまま日々を過ごしていました。
最近になって「自分にとってのwell-beingとは何か」を考えるようになりました。
色々理屈を考えていくうちに、
再度「CENTER OF UNIVERSE」を聴くと、
これが言いたかったんだよ!!!!
と思い、私の中での理屈がすんっと腑に落ちたのです。
アルバム「Q」が作られた時代背景について
「CENTER OF UNIVERSE」の話に入る前に、
今更ながら「Q」が発売された当時の日本の時代背景を考えてみようとおもいます。
2000年というのは、ある種日本の中では象徴的な年ででした。
単に21世紀になったよ!ということではありません。
まず、1991年に日本経済のバブルが崩壊しました。
そこから日本は一気に低成長期に入ります。
1990年代は今以上に混沌に溢れていたという印象があります。
大学に行っても就職が難しい就職氷河期の到来。
1995年には「オウム真理教」事件。
新興宗教の恐ろしさが分かり、また霞ヶ関周辺が混乱に陥りました。
生物兵器を使用した国内でのテロは世界でも前例がなく、この事件は当時、世界的ニュースにもなっています。
そして、同年に阪神淡路大震災が起こりました。
戦後最悪の都市型災害と言われ、大都市であった兵庫県に甚大な被害が出ました。
神戸市は横浜市と同じように栄えていた港町ですが、この時に神戸港の世界的地位が落ちてしまいました。
1997年には通称「酒鬼薔薇聖斗事件」が起きました。
この事件は加害少年の奇行が話題になりましたが、この事件背景には様々な要因があると考えています。
就職氷河期の中でも最も大変だったのが1997年と言われており、共働き世帯が増えていました。
それと同時に、この事件は震災から2年後の神戸市で起きており、「心の拠り所のない子ども」の象徴とも言える事件かもしれません。
また、1999年の「ノストラダムスの大予言」も割と信じている人が多かったです。
私自身も幼いながら、3歳の夏頃に「死ぬのヤダ!」と泣き喚いていた記憶が残っています。
ノストラダムスの大予言は今でこそ馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、
当時の日本人は、そのようなオカルトを信じることで何とか心の安寧を保っていたのかもしれません。
そんな中で、世界が滅びることもなく無事新世紀を迎えることができた…
それが2000年です。
桜井さん自身の生活背景や心境の変化もあるかもしれませんが、
1990年代後半に出ているアルバム「深海」「BOLERO」「DISCOVERY」の収録曲は、暗い曲や社会を皮肉にした曲が多く、
当時の社会の混沌自体を桜井さんが表現していたのかなとも思います。
アルバム「Q」と「CENTER OF UNIVERSE」の位置づけ
対して「Q」は、上記のアルバムと比べると明らかに明るい、少なくとも上向きの気持ちの曲が多いのです。
私個人的には、本当に暗いな…と思うのは、
「Surrender」くらいかと。
長くなりましたが、
そんな上向きの未来を歩いていくような曲が多いアルバム「Q」の「CENTER OF UNIVERSE」は、
現代の日本人が未来に求めている「真のwell-being像」を強く表した曲だと、
個人的には考えています。
理由について、
「CENTER OF UNIVERSE」の歌詞を引用しながら伝えていきたいです。
評価されない生き方を肯定するということを読み解く
今僕を取りまいてる 世界はこれでいて素晴らしい
プラス思考が裏目に出ちゃったら 歌でも唄って気晴らし
バブル期の追い風は何処へやら 日に日に皺の数が増えても
悩んだ末に出た答えなら 15点だとしても正しい
どんな不幸からも 喜びを拾い上げ
笑って暮らす才能を誰もが持ってる
イライラして過ごしてんなら愛を補充
君へと向かう恋の炎が燃ゆる
当り散らしは言わずもがなのタブー
総てはそう 僕の捕らえ方次第だ
この曲の背景はバブル崩壊後の日本ですが、
今の日本はそこから更に時間が経ち、
「失われた30年」をとっくに迎えています。
経済も下向き、生活も安定しない…という点で、この時代と酷似しているのです。
実際、今の若者は生きづらさを抱える者が増え、未来に期待が持てず、「今さえ良ければいい」
「タイパ主義」となっていますよね。
正直、どれだけ私たちが頑張っても、
高度経済成長期〜バブル期のような幸せはもう手にすることができません。
あの時代はただ日本人が勤勉だっただけではなく、「朝鮮特需」や「1ドル360円の超円安」等による、国内製造のものを輸出すればするほど経済が潤う環境が整っていました。
今の日本はもうそのような恩恵は得られませんので、勤勉な日本人が頑張ってもあの時代には戻れません。
なので、別にバブル期を享受した人々が口にする「理想の幸せ」を模倣する必要などないのです。
今の日本を生きる若者は山あり谷ありの人生が待っていますが、
その時の選択に周囲にとやかく言われても、
自分で選んだ道なら、それが自分にとっての「正しさ」と信じて生きた方が生きづらさは軽減すると思います。
今時、発達障害、精神疾患、非正規雇用、お金がない、恋愛できない、LGBTQ+、将来に期待が持てない…
などのしんどさがあっても、
自分の選択を信じることで、
誰もが「ミニマムな幸せ」を感じることができるのです。
親のせいとか、世の中のせいにしても未来は変わらないんですよね…
吐き出すのは大事ですけどね!
常にその葛藤を抱えたり、周りに怒りを露わにするより、
今の自分や他者が幸せになる道を選んでいくのが幸せとも言えます。
この歌詞で出てくる「愛」というのは、
恋愛だけではないと思うんですよね。
私の場合は、学マスのアイドルに愛を貰っています。(プロデューサーのこと心酔してくれるし)
デジタルの時代に、自分を癒してくれる何かがあるだけでも良いのかな、と。
昭和の幸せを押し付けられても、自分の人生が不幸…ではなく、どう捉え、どう今後生きていくかの軸を決めていくのが大切なのだと思います。
「現代社会」と「昭和型の幸せ」の乖離を読み解く
誰かが予想しとくべきだった展開
ほら一気に加速してゆく
ステレオタイプ ただ僕ら新しい物に飲み込まれてゆく
一切合切捨て去ったらどうだい?
裸の自分で挑んでく
ヒューマンライフ より良い暮らし
そこにはきっとあるような気もする
ステレオタイプ→昭和の理想の幸せ。
大卒で大企業に就職。結婚して2人の子どもを持ち、子育てをする。マイホームを持ち、マイカーも保有…
って、現代社会でできる人どれだけいますか!?笑
もう、このような価値観に囚われる必要もないですよ。
誰になんて言われようと。
情報過多社会、フェイクニュース、炎上、SNS依存、AI…
目まぐるしく変化する現代社会で、
こういうのにもう付き合っていく必要もないです。
自分の必要なものだけ掴み取る。
自分の大切なものだけ大切にする。
そうした時に、現代人の「より良い暮らし」が見えてくるのかもしれません。
現代社会に生きる人々の孤独の拠り所を読み解く
皆 憂いを胸に 永い孤独の果てに
安らぎのパーキングエリアを捜してる
これは、私がこの曲で1番好きな歌詞です。
「安らぎのパーキングエリア」なんて表現、普通思いつきませんよ!笑
今は核家族化が進み、人間関係が希薄になり、
何かしらの諦め、そして友人や恋人、SNSの繋がりがあるようでないような孤独…を抱えている人が多いのかと。
そんな中でも、どこか「自分自身の拠り所」を探している…ということを、小さなパーキングエリアという言葉で表現しているのだと思います。
「価値のあるもの」とは何か?資本主義と幸せの関係を読み解く
自由競争こそ資本主義社会
いつだって金がものを言う
ブランド志向 学歴社会 離婚問題 芸能界
でも本当に価値ある物とは一体何だ?
国家 宗教 自由 それとも愛
一日中悩んだよ
でも結局それって理屈じゃない
サビは最後にして、Cメロのこの部分に着目します。
現代の資本主義社会はとっくに歪んでます。
株やFX、ビットコインなどにより、
資産家ばかりが更に資産を増やしていく…
そもそも投資をするお金がない人はお金を増やすことすらできないです。
そして、そのような投資の世界のお金は、リアル世界のお金を遥かに凌駕する額になっており、
資本主義社会が暴走したがあまり膨張していったお金とも言えます。
そんな中で、お金がある人たちだけがSNSで見せる世界…
ブランド物を手に持ち、海外旅行を楽しみ、
高学歴の人々が一流企業や最上位職種に勤めるのを眺める日々…
楽しくないですよ!笑
価値のあるものって人によって違いますよね。
私自身、20代前半までは「理想の幸せ」に囚われていたところがあります。
でも今の私の1番の幸せは、
「🐰が毎日元気でいて、夫が毎日笑い、RPGを楽しみ、学マスの曲を聴き、ChatGPTとの会話を楽しむ」ことです。そして、たまに老後の楽な生活を考えることもあります。
この考えは、私自身が幸せの定義に囚われ、「これが私の幸せ」と決めたわけではありません。
何気ない毎日の小さな楽しみが、日々の幸せに繋がっているのでしょう。
現代社会に生きる日本人一人ひとりの、
「理屈じゃない幸せ」を考える時が来ているのではないでしょうか。
私にとってのささやかな幸せを導き出す
イライラして過ごしてんなら愛を補充
君へと向かう恋の炎が燃ゆる
向かいの家の柴犬にも「ハイ ポンジュール!」
あぁ世界は薔薇色
ここは そう CENTER OF UNIVERSE
僕こそが中心です
あぁ世界は素晴らしい
イライラして〜の部分は説明しましたので省きます。
やっぱり動物を見かけると…和みますよね!笑
周囲の幸せを喜べる余裕がいずれできればなと思っています。
それが、隣の家の犬にも愛想良くするという比喩なのかと思います。
今の日本は、都市型社会が中心となっています。
しかしとっくに日本は経済停滞し、
もうバブル期のような恩恵を得られる日々は来ないでしょう。
家賃も高騰していますし、
都市部に住んでもお金がない中で、都市部に住むことが私たちの幸せなのでしょうか。
ちなみに私は北海道のこの地で、
明らかに日本の端の方にいるのに、
「ここが世界の中心だ!」と思っています。笑
私自身は都会の暮らしに疲れました。
できることなら、ずっと田舎でのどかに暮らしたいです。
それが、北海道かは分かりません。
色々考えます。
長野県安曇野市とかのどかでいいな〜とか、
山梨県なら果物美味しいかな〜とか、
愛知県岡崎市なら地方都市感ある幸せかな〜とか。
北海道も勿論候補ですし、
長い人生の果てに辿り着く場所が一体どこなのかも分かりません。
けれども、それはきっと東京ではなくて、
その土地こそが「私にとっての世界の中心」です。
昭和型の幸せではなくても、
自分の選んだ道を信じて、「自分だけの薔薇色の世界」を作っていきたいです。
あなたにとっての「世界の中心」と「本当の幸せ」は何ですか?
この記事を読んでくださったあなたへ。
あなたが求める「本当の幸せ」は何ですか?
押し付けられている「理想の幸せ像」は手放しましょう!
あなたが生き生きとできる人生が、
本当の幸せ…
つまり現代社会の私たちが手にする、
「真のwell-being」なのではないでしょうか。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
