「自分探し」じゃない。私が一人で“言葉の通じない海外”へ行きたくなる理由。
先日、Xでこんな投稿を見ました。
「一人旅が好きな人はメンタルが強いというより、衝動的にあっちに行きたい、こっちに行きたいと思うから、一人旅の方が楽しめる」という内容。
「一人旅の方が自由で楽しい」
という部分には、ものすごく共感しました。
私は海外旅行が大好きです。
これまで30か国以上。
友達や恋人と行く旅行も大好きで、一人旅と誰かとの旅行なら3:7くらい。
(一人旅3)
だから、
「人と旅行するのが嫌だから一人旅をする」
わけではありません。
むしろ誰かと行く旅行には、誰かと行く旅行にしかない楽しさがある。
それでも数か月経つと、
ふと一人で海外に行きたくなる。
しかも私の場合、
国内一人旅ではダメなんです。
海外じゃないとダメ。
言葉も文化も違う場所まで、
わざわざ飛行機に乗って行きたくなる。
なんでなんだろう。
今まで、
「単純に海外旅行が好きだから」
くらいにしか考えていませんでした。
でも最近、
もしかすると私は、
海外に行きたいというより、“日本にいる自分”から一度離れたいのかもしれない。
と思うようになりました。
私の初めての一人海外は、カナダのイエローナイフだった
今考えると、最初から結構ぶっ飛んでいました。笑
初めて一人で海外へ行った目的地は、
カナダのイエローナイフ。
一人でオーロラを見に行きました。


これは最高でした。
今まで一人で行った場所の中でも、
イエローナイフが一番好きです。
ただし問題がありました。
昼間、めちゃくちゃ暇。笑
オーロラは夜。
昼間は本当にすることがない。
スーパーを巡ったり、
丘の上まで行って景色を眺めたり、
地元のレストランに入ってみたり。
それでも時間が余る。
最終的に、
現地で誘われた美容院に行って、
金髪にして帰ってきました。笑
日本にいたら、
「暇だから今日金髪にしよう」
なんて、たぶんやらない。
でも海外にいると、なぜかできてしまう。
一人海外旅行の面白さって、
こういうところにもある気がします。
日本では着られない服も、海外なら着られる
海外にいる私は、
日本にいるときより大胆です。
たとえば服。
日本だと、
「ちょっと派手すぎるかな」
と思って着ないようなワンピースも、
海外では普通に着ます。
一人でレストランに入るのも平気。
高級店でも平気。
知らない人と話すのも平気。
英語がものすごく得意なわけではありません。
むしろ、自分からガンガン話しかけるタイプでもない。
でも現地の人から話しかけてもらったら、
普通に話す。
そして、そういう偶然が結構好きです。
不思議なのは、
海外に行ったから、突然別人格になるわけではない
ということ。
日本で派手なワンピースを着ない私も、本物。
海外で着ている私も、本物。
では、何が違うんだろう。
普段の私は「ポジティブで、能天気で、メンタルが強い人」
周囲から、
「悩みなさそう」
「メンタル強そう」
と言われることがあります。
実際、身体もかなり丈夫。
仕事を休むことも全くない。
だから余計に、
「この人は大丈夫そう」
に見えるのだと思います。
そして、
それを嫌だと思っているわけでもありません。
なぜなら半分は、
自分でそう見せているから。
仕事では、
意識的にポジティブに振る舞うことがあります。
特に人を率いる立場にいると、
自分がへこたれている姿をあまり見せたくない。
問題が起きたら、
「最悪……」
で終わるのではなく、
「じゃあどうする?」
と考える。
しんどい時ほど、
できるだけ明るくする。
「繊細な人」に見られたくない
これについて、
なぜなのか自分でも完全には分かりません。
女性だからという理由で、
必要以上に気を遣われたくないのかもしれない。
負けたくないのかもしれない。
あるいは、
「私は傷つきます」と見せない方が、自分自身も傷つきにくい
と思っているのかもしれません。
弱音を吐くのも、たぶん得意ではありません。
落ち込んでも、
あまり人には言わない。
一人になってから考える。
だから、
「ポジティブで能天気な私」
は完全な嘘ではありません。
本当にそういうところもある。
ただ、
それが私の100%でもない。
そして時々、
その自分でい続けることに疲れることもあります。
人は普段から、無意識に「役」を演じているらしい
これについて調べていて、
面白い考え方を見つけました。
社会学者のアーヴィング・ゴフマンです。
ゴフマンは代表作『The Presentation of Self in Everyday Life』で、人間の社会生活を「舞台」にたとえました。
私たちは相手や状況に応じて、自分の見せ方を調整している。
上司の前の自分。
部下の前の自分。
友達の前の自分。
恋人の前の自分。
家族の前の自分。
全部少しずつ違う。
これは「偽物の自分を演じている」という単純な話ではなく、
人は日常の対人関係の中で複数の役割を担い、
相手に与える印象も調整している、という考え方です。
これを知ったとき、
ちょっと腑に落ちました。
私にも、仕事という舞台で演じている役があります。
「大丈夫な人」
なのかもしれません。
問題が起きても大丈夫。
忙しくても大丈夫。
多少嫌なことがあっても大丈夫。
明るい。
ポジティブ。
へこたれない。
それも間違いなく私です。
でも、舞台から降りる時間も必要なのかもしれない。
そして海外には、私の「役」を知っている人がいない
海外の街を一人で歩いていると、
当然ですが、
誰も私のことを知りません。
何の仕事をしているか知らない。
どれくらい稼いでいるかも知らない。
普段どんなキャラクターなのかも知らない。
何を持っているかも知らない。
私が普段、
「大丈夫な人」
として振る舞っていることも知らない。
そこでは、ただの旅行者です。
これって、思っている以上に自由なのかもしれません。
私が一人旅で欲しいのは「孤独」ではなく「自由」なのかもしれない
心理学には、
自己決定理論(Self-Determination Theory)
という有名な理論があります。
人のwell-beingに関わる基本的な心理的欲求として、
autonomy(自律性)
competence(有能感)
relatedness(関係性)
などを重視する考え方です。
特にautonomyは、
単純に「一人でいること」ではありません。
自分の行動を、自分自身で選んでいる感覚
に近い。
そして旅行研究でも、旅行中のautonomyやrelatednessといった心理的欲求の充足が、旅行者のwell-beingと関係することが報告されています。
これを読んで、
私が一人海外旅行を好きな理由って、
「一人」が好きだからというより、
「全部自分で決められる」が好きなのかもしれない
と思いました。
今日は何時に起きる。
どこへ行く。
何を食べる。
疲れたから帰る。
予定を変える。
スーパーだけ見て終わる。
暇だから美容院に行って金髪になる。笑
誰にも、「次どうする?」と聞かなくていい。
逆に、誰にも合わせなくていい。
全部、自分で決める。
だから私は「国内一人旅」ではダメなのかもしれない
ここが自分でも面白いところです。
単純に
「一人で自由に行動したい」
だけなら
国内一人旅でもいいはずです。
でも私はあまり惹かれません。
海外じゃないとダメ。
なぜだろう。
言葉が通じないこと自体が好きなわけではありません。
普通に困ることもあります。笑
それでも物理的に日本から離れることで、
日常との距離も一気に広がる。
時差がある。
景色が違う。
言葉が違う。
食べ物が違う。
街の匂いまで違う。
いつもの生活を思い出させるものが少ない。
だから私にとって海外旅行は、
強制的に日常のチャンネルを変える行為
なのかもしれません。
心理学には「仕事から心理的に離れる」という考え方もある
これにも、ちゃんと名前がありました。
psychological detachment from work
日本語なら、
「仕事からの心理的離脱」
のような意味です。
単に会社にいないことではありません。
仕事をしていない時間に、
頭の中でも仕事から離れること。
2025年に『Journal of Applied Psychology』に掲載された休暇とwell-beingに関するメタ分析では、32研究・256の効果量を分析した結果、休暇は従業員のwell-beingに大きな効果を持ち、従来考えられていたほど早く消えない可能性が示されました。
さらに休暇中の回復経験では、仕事から心理的に離れることと身体活動がwell-being改善に特に有益である可能性が示されています。
別の2025年の研究でも、仕事から心理的に離れることは、仕事満足度だけでなく生活満足度など幅広いwell-being指標と関連していました。
これを読んだとき、
「あ、これかもしれない」
と思いました。
私は海外に「逃げている」のか?
数か月に一度海外に行きたくなります。
特に仕事が立て込んでいる時。
「もう無理!全部捨てて逃げたい!」
みたいな感じではありません。
むしろ旅行を予約すると、
「高いな……」
「このスケジュールで仕事大丈夫かな」
「引き継ぎちゃんとしなきゃ」
「帰国した後大丈夫かな」
と普通に考えます。笑
旅行の直前まで、結構現実的。
でも、海外に着くと切り替わる。
旅行中は仕事の連絡も基本的には切ります。
もちろん本当に重要なものは拾えるようにはしています。
でも、
普段の仕事モードからはかなり離れる。
そして帰国すると、
「また頑張ろう」
と思える。
だから、「現実逃避」という言葉は、
案外悪いものではないのかもしれません。
逃げる=弱い、ではない
「現実逃避」というと、
少しネガティブな響きがあります。
問題から逃げる。
向き合わない。
弱い。
そんなイメージ。
でも私の場合
海外に行ったからといって、
仕事を辞めるわけではありません。
問題が消えるわけでもない。
数日後には帰ってきます。
そしてまた普通に働く。
だったらこれは、
現実から永久に逃げているのではなく、
現実と少し距離を取っているだけ
なのかもしれない。
ずっと舞台に立ち続けるのではなく、
一回、舞台袖に戻る。
そしてまた出ていく。
「誰も私を知らない場所」が好きなのかもしれない
海外で派手なワンピースを着られるのも、
これと関係している気がします。
日本では、
「これ派手かな」と思う。
海外では着る。
なぜ?
別に海外の人が全員派手だからではありません。
たぶん、
「どう見られるか」を考える相手との関係性がないから。
明日も会う人ではない。
仕事で関わる人でもない。
私がどういう人なのかそもそも知らない。
だから、
「こういう私だと思われたい」
を少し手放せる。
今日着たい服を着る。
行きたいところへ行く。
食べたいものを食べる。
疲れたら帰る。
一人旅は「自分探し」じゃなかった
一人旅というと、
よく「自分探し」と言われます。
でも私は海外で新しい自分を発見した!
みたいな経験はありません。笑
イエローナイフから帰ってきたら、
オーロラを見た私が突然悟りを開いていた、
なんてこともない。
金髪にはなっていましたが。
でも今回いろいろ考えてみて、
私にとって一人旅は、
自分を探しに行くものではなく、自分にくっついている役割を一度減らしに行くもの
なのかもしれないと思いました。
仕事をしている私。
上司としての私。
明るい私。
強い私。
ポジティブな私。
ちゃんとしている私。
全部本物です。
だから、
「本当の私は繊細なのに、普段は偽物を演じている」
という話でもない。
全部、私。
ただ日本にいると、
その中のいくつかを長時間使い続ける。
海外に一人で行くと、
それを一度全部テーブルの上に置いて、
「今日はどの私でもいい」になる。
何者でもない時間が、たぶん必要なんだと思う
仕事も、
年収も、
持っている時計も、
肩書きも、
海外の街を一人で歩いている時には、
ほとんど意味がありません。
レストランの店員さんからすれば、
私はただの客。
隣に座った人からすれば、
たまたまそこにいる日本人。
スーパーでは、
ただ買い物をしている人。
誰も
「強い人でいて」
なんて求めてこない。
誰も
「ポジティブでいて」
とも言わない。
そして私自身も、
何者かであることを証明する必要がない。
もしかすると私はこの時間が好きなのかもしれません。
それでも私は、また日本に帰ってくる
ずっと海外にいたいわけではありません。
旅行が終わったら日本に帰ります。
そしてまた仕事をする。
また数字を見る。
問題が起きたら解決する。
明るく振る舞う。
たぶんそれも好きなんです。
だから私は
日本の自分から「逃げたい」のではなく、
一度だけ離れたい。
離れてまた戻ってくる。
2025年の休暇研究が示すように、休暇は単なる贅沢ではなく、仕事から心理的に離れて回復する機会になり得ます。
私にとってそれを一番強制的にやってくれるのが、
一人海外旅行なのだと思います。
私は「強いから」一人で海外に行くわけじゃない
一人で海外へ行くと言うと、
「すごいね」
「一人で怖くないの?」
「メンタル強いね」
と言われることがあります。
でもたぶん違う。
強いから一人で行ける、
というより、
普段ずっと強くいようとするから、一人で行きたくなる。
のかもしれません。
誰にも合わせなくていい。
誰にも大丈夫な顔をしなくていい。
誰にも何者かを説明しなくていい。
日本では着ない派手なワンピースを着て、
知らないレストランに入って、
現地の人と片言で話して、
暇だったら美容院で金髪になる。笑
それで数日経ったらまた帰ってくる。
一人旅で探していたのは、「新しい私」じゃなかった。
自分探しではない。
人生を変えたいわけでもない。
何かから永久に逃げたいわけでもない。
ただ、
いつもの自分を一回休ませたい。
そのためには、
私の場合、
日本から物理的に離れるくらいがちょうどいい。
だから数か月すると
また航空券を検索してしまう。
「次はどこに行こう」と思う。
そして帰国したらまた頑張れる。
もしかすると
一人海外旅行は私にとって、
「何者でもない私」に戻るための、数日間の休憩
なのかもしれません。
次はどこに逃げようかな。笑
Serena

