マンドリンが鳴る日に 一五十年後に、好きと言う 一
マンドリンの最初の一音が、
静かなホールにほどけた。
その瞬間、
私は五十年前の教室に立っていた。
窓際の席。
午後の光。
黒板の前で笑うクラスメイトたち。
そして、
斜め前の席に座っていた一人の女の子。
十五歳の私は、
彼女のことが好きだった。
彼女の笑顔が大好きで大好きで、、。
ただ、それだけのことなのに、
その一言が言えなかった。
だから私は、
わざと消しゴムを転がしたり、
どうでもいい話をしたり、
ときには少し意地悪をしてしまった。
本当はただ、
振り向いてほしかっただけなのに。
結局、
私は「好き」と言えないまま卒業した。
——あれから五十年が過ぎた。
昨年、中学三年生の同窓会が開かれた。
だが私は、どうしても都合がつかず参加できなかった。
少し気になりながらも、
忙しい日常に流されていた。
そんなある日、
同級生のLINEグループにたどり着いた。
懐かしい名前が並んでいる。
その中に、
ひとつの知らせがあった。
三年五組だった同級生の一人が、
マンドリンのコンサートを開くという。
その知らせを読んだ瞬間、
胸の奥で小さな音が鳴った。
——行こう。
理由は説明できない。
ただ、
同窓会に行けなかった私に
もう一度与えられた再会の機会のように思えた。
気づけば私は、
コンサートのチケットを
ネットで買っていた。
その夜、
ほとんど眠れなかった。
五十年ぶりに会って、
お互い分かるのだろうか。
記憶の中の同級生たちは
十五歳のままだ。
だが現実の私たちは
六十代になっている。
その時間の距離が
少し可笑しく、
少しだけ怖かった。
コンサート当日。
私は会場に入り、
客席に座った。
ステージから
十五メートルほどの席だった。
同窓生たちは
どこにいるのだろう。
私は会場を見回した。
そのとき、
何人かの人が
私の前を横切った。
特に気にも留めなかった。
その瞬間、
スマートフォンが震えた。
「見つけた!」
LINEのメッセージだった。
顔を上げると、
さっき通った人たちが
こちらに手を振っている。
よく見ると、
確かに面影がある。
笑い方。
眉の形。
少し首を傾ける癖。
五十年という時間の奥から
記憶が一気によみがえった。
「おい、久しぶりだな!」
誰かが笑った。
その瞬間、
私たちは中学生に戻っていた。
そして、
今日、マンドリンを弾く十五歳の面影残す彼女が
ステージに立つと、
静かに演奏が始まった。
柔らかな音色が、
ホールいっぱいに広がる。
弦をつま弾く音が
胸の奥の記憶を揺らす。
教室の窓。
廊下の光。
校庭の風。
そして、
十五歳の私。
ある曲の途中で、
気づけば私は
涙ぐんでいた。
五十年という時間が、
音の中でほどけていく。
コンサートのあと、
私たちは東京駅近くの店で
夕食を囲んだ。
昔話は尽きない。
そのとき、
驚く話を聞いた。
同級生の一人が、
マンドリン奏者の彼女を
五十年間ずっと好きだったという。
「会いたかったんだ。」
彼は笑った。
「好きだって言いたくてさ。」
昨年の同窓会も、
彼が中心になって開いたらしい。
その想いは
ちゃんと彼女に届いていた。
二人は
楽しそうに笑っていた。
その姿を見ながら
私は思った。
すごいな。
五十年。
そんなにも長く
想いを持ち続けられるのか。
そのとき、
胸の奥で小さな声がした。
——お前にもいるだろう。
そうだ。
私にもいる。
十五歳のとき、
好きだった子が。
だが今日、
彼女はいない。
このコンサートには
来ていなかった。
けれど、
夕食会の終わりに
同級生の一人が言った。
「八月にさ、
地元でこのコンサートやるんだって。」
「今日来てない同級生たちも
来るらしいよ。」
その中に、
彼女の名前があった。
胸が
静かに高鳴った。
五十年前、
言えなかった言葉。
十五歳の教室に
置き忘れてきた言葉。
それを
取りに戻る日が
来るのかもしれない。
八月。
私の地元で、
もし彼女に会えたら。
今度こそ、
言おうと思う。
五十年前、
好きだったことを。
マンドリンの音色が
また響くだろう。
そしてその日。
八月、マンドリンが鳴るその日、
私は
五十年前の教室へ、
ようやく帰る。
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