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アプリの「不具合を修正しました」と実盛虫(さねもりむし)――なぜ私たちは、見えない虫を村境まで送り出すのか

こんにちは。民俗学准教授の東条紗季です。

スマートフォンのアプリを更新すると、必ず短い告知が添えられています。

  • 「軽微な不具合を修正しました」

  • 「パフォーマンスを改善しました」

おそらく皆様は、これを読んでいません。私も読みません。それでもこの文章は、世界中のあらゆるアプリに、判で押したように掲載され続けています。

読まれないのに唱えられ続ける言葉を、民俗学では唱え言(となえごと)と呼びます。本日は、この定型文の正体を解剖してまいります。結論から申し上げましょう。私たちは今も、虫を送り続けているのです。


「バグ」は、比喩ではなく虫だった

不具合を意味する「バグ(bug)」という語には、有名な逸話があります。1947年9月9日、ハーバード大学の計算機マーク2(Harvard Mark II)が誤動作を起こし、技術者が内部を調べたところ、リレーに1匹の蛾が挟まっていました。取り出された蛾は業務日誌に貼り付けられ、虫が見つかった実際の最初の事例である、と書き添えられます。この日誌は現在、スミソニアン協会の国立アメリカ歴史博物館に収蔵されています。現場に居合わせた数学者グレース・ホッパーが後年、講演でこの一件を繰り返し語ったことで、逸話は広く知られるようになりました。

ただし、これを「バグの語源」と述べるのは正確ではありません。技術者が機械の不調をバグと呼ぶ習慣は、それ以前から存在していました。トーマス・エジソンは1870年代の書簡で、発明の過程に現れる小さな不具合をこの語で呼んでいます。1892年に刊行された電気用語辞典にも、電気装置の障害を指す語として定義が載っています。

注目していただきたいのは、語源そのものではありません。原因のわからない機械の不調を、人間が反射的に「小さな虫のしわざ」と表現した、という一点です。

稲を枯らす虫を、村の外へ「送る」

同じ発想を、日本の農村は数百年にわたって制度化していました。虫送り(むしおくり)です。

『日本民俗大辞典』によれば、虫送りは稲につく害虫を追い払う行事で、虫追い・虫祈祷・ウンカ送り・実盛送りなど、地域ごとに多様な名で呼ばれます。一般的な形式はこうです。村人が寺社に集まって祈祷や法要を行い、日が暮れてから松明を掲げ、鉦と太鼓を打ち鳴らしながら行列を組む。水田の畦道を巡って稲の虫を集め、村境や川まで送り出す。西日本には、サネモリサマと呼ばれる巨大な藁人形を担いで歩く地域もありました。

徳島県立博物館が記録した海陽町樫ノ瀬の事例では、行列に「ムシイレ」という道具が加わります。竹を筒状に切り、そこに実際の虫を入れて運ぶのです。

ここが決定的に重要です。虫送りは駆除の儀式ではありません。送別の儀式です。殺すのではなく、丁重に集め、境界の外まで見送る。絶滅させるのではなく、退去していただく。

虫の正体は、討たれた老将だった

では、なぜその藁人形は「サネモリ」と呼ばれるのか。

斎藤実盛(さいとう さねもり)『平家物語』巻第七に最期が描かれる、平家方の武将です。寿永2年(1183年)、加賀国篠原の戦い。味方が総崩れとなるなか、実盛はただひとり踏みとどまって奮戦し、木曽義仲の部将・手塚光盛に討たれました。このとき実盛は、老齢を侮られまいと白髪を墨で黒く染め、錦の直垂をまとっていたと語られます。討ち取られた首を池で洗わせたところ、墨が流れ落ちて白髪が現れ、ようやく正体が知れた——物語はそう伝えています。

そしてもう1つ、後世に付け加えられた伝承があります。実盛の乗る馬が稲の切り株につまずいたために討たれた、というのです。そこから、無念の霊が稲を食い荒らす虫になったと語られるようになりました。ウンカを実盛虫と呼ぶ地方があるのは、このためです。名古屋市博物館の解説によれば、この伝承は西日本を中心に分布し、愛知県が東限とされています。

災厄に、名前と物語が与えられている。これは御霊(ごりょう)信仰の典型的な構造です。

名前をつけた瞬間、災厄は交渉相手になる

当時の農民に、ウンカの生態はわかりません。突然湧き、稲を枯らし、その年の労働を無に帰す。原因不明の災厄ほど恐ろしいものはありません。

ところが「これは実盛様の無念である」と定義した瞬間、事態は一変します。相手に名前がつく。素性がわかる。素性がわかれば、供養できる。慰められる。そして——境界の外へ、送り出せる。

私はここに、虫送りの本質があると考えています。害虫対策としては、たしかに非効率でしょう。しかし対処不能な災厄を、対処可能な対象へと変換する技術としては、きわめて有効だったはずです。

ソフトウェアの現場で起きていることも、構造としては同じではないでしょうか。「なぜか動かない」は際限のない不安ですが、「バグがある」と言い切った瞬間、それは特定され、番号を振られ、囲い込まれ、修正されうる何かになります。デバッグとは、虫を退治する作業である以前に、正体不明の異常に「虫」という名を与える儀式なのです。

リリースノートは、現代の唱え言である

そう考えると、あの読まれない定型文の意味も変わってきます。

虫送りの行列では、地域ごとに定まった唱え言が繰り返されました。内容そのものより、唱えること自体に意味がある言葉です。「不具合を修正しました」もまた、誰も読まないことを前提に、それでも必ず唱えられる。読者への情報伝達ではなく、儀礼の完了報告として機能しているように、私には見えます。

送り先まで用意されているのが、また念入りです。バグは修正されても消滅しません。課題管理システムに記録され、「修正済み」の印を押されて、履歴という村境の外へ移送される。殺さずに送る、という作法がそのまま保存されています。

最後に、少し不穏な問いを

虫送りには、決して口にされない前提がありました。村境の外にも、田んぼはあるということです。送り出された虫は消えたのではなく、隣村へ移動しただけかもしれない。だからこそ隣村もまた虫を送り、行列は次の境界へと続いていきました。山口県の一部地域では、実盛人形を隣の地域へ順に送り継いでいく形式が、今も無形民俗文化財として続いています。

修正されたバグは、どこへ行くのでしょうか。別の環境へ、別の依存関係へ、あるいは次の更新が生む新しい不具合へ。今夜も皆様の端末では、眠っている間に自動更新が走り、松明の代わりにプログレスバーが静かに進んでいることでしょう。

行列は、まだ終わっていません。


それでは、また次回の講義でお会いしましょう。

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