未来の当たり前にしたいこと:本屋のある街
未来の「当たり前」として残したい景色がある。
それは、街角に本屋がある風景だ。
自動運転やAIが生活の基盤となりつつある今、なぜそんなアナログな場所が必要なのかと問われるかもしれない。確かに、Amazonをはじめとするネットショッピングは魔法のように便利だ。欲しい本を検索し、ボタンを押せば翌日には手元に届く。そこには無駄がない。
けれど、私たちが人生で真に必要としている出会いは、往々にして「検索ワード」の外側にある。
書店という空間は未知なるものへの入り口だ。 整然と、あるいは雑然と並ぶ背表紙の森を歩く。ふと、独特のインクの匂いとともに、一冊の本が目に留まる。 それは書店員という目利きの誰かが、情熱を持ってそこに置いた一冊かもしれない。タイトルも著者も知らなかったその本を手に取り、ページを繰る瞬間。そこにはアルゴリズムでは弾き出せない偶然が潜んでいる。
一方、ネットの世界はあまりに「私」に最適化されすぎている。 購入履歴や閲覧データから導き出された「おすすめ」は、確かに私の好みを反映しているだろう。だがそれは心地よい鏡の部屋に閉じ込められるようなものだ。 いわゆる「フィルターバブル」である。自分の思考や趣味嗜好に近い情報ばかりが優先され、異質なもの、理解しがたいもの、あるいは自分を根本から揺さぶるような新しい価値観が、知らぬ間に遮断されてしまう。思考の幅が、意図せず狭められていくのだ。
本を読むことは、決して楽な行為ではない。 動画を見たり、SNSを流し見たりする受動的な時間とは異なり、能動的に文字を追い、想像力を働かせる労力を要する。 しかし、その「手間」こそが内面を耕す鍬となる。文字という記号を脳内で映像化し、感情を重ね合わせるプロセスを経ることで、私たちは自分以外の誰かの人生を生きることができる。
本を読む人は死ぬまでに千の人生を生きるが、読まない人の人生は一度きりだ。
A reader lives a thousand lives before he dies.
The man who never reads lives only one.
私たちに与えられた人生は物理的には一度きりだ。 時間も場所も限られている。どんなに急いでも、すべての景色を見ることはできないし、すべての感情を味わうこともできない。
だからこそ、私たちは本屋へ行く。 数千の人生、数千の哲学、数千の異世界が詰まった棚の間を彷徨うために。 効率化された社会の隙間で、あえて迷い子になる贅沢を味わうために。
私が未来に残したいのは、単に本を売る店ではない。 自分の小ささを知り、同時に世界がいかに広大であるかを教えてくれる、あの静謐な空間そのものなのだ。
今日もし時間があるなら、スマホをポケットにしまって街へ出てみてほしい。 検索せずに入った書店の棚の片隅で、あなたの人生を変える一行が、静かにその時を待っているかもしれないから。
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