ギルティ消費に思うこと
コンビニの新作スイーツの棚の前で、たぶん3分くらい立ち尽くしていた。
生クリームがこれでもかと詰まったエクレア。
チョコレートが二重に重なったパフェ。
「濃厚」「贅沢」「背徳」と、パッケージの文字がいちいち強い。
仕事帰りで疲れていて、夕飯はまだで。それなのに、というか、それだからこそ、私は「生たい焼き」をかごに入れていた。
レジで会計をしながら、ふと思った。
背徳って、なんだろう。
家に帰ってたい焼きを食べながら、スマホでなんとなく検索してみる。どうやら最近は「ギルティー消費」というのがトレンドらしい。罪悪感を感じるような、でもだからこそ気持ちいい消費。
糖分たっぷりのドリンク、揚げ物まみれの夜食、深夜のアイス。
「ギルティドリンク」と銘打って売り出される商品まであるという。
おもしろいなあ、と思った。
健康的な食生活がこれだけ大事だと言われている時代に、わざわざ「これは体に悪いですよ」と前置きしたうえで売り出している商品があるなんて。
しかもそれが売れている。
みんな、わかっていて買っている。
わかっていて、食べている。
ふと、徳って何だっけ、と思った。
健康に気をつかうことは、たしかに「いいこと」とされている。
野菜を多めにとって、お酒は控えめにして、運動して、早く寝る。
それはきっと正しい。
でも、それが「徳」だと言われると、なんだか急に窮屈になる。
じゃあ、夜中にポテトチップスを開けてしまう私は、徳がないのか。
タバコもお酒も、体に悪いと言われながら、コンビニの棚に当たり前に並んでいる。「20歳になってから」と注意書きはあるけれど、それでも売られている。やめられない人はたくさんいるし、やめないと決めている人もいる。それを善い悪いで切り分けるのは、たぶん、そんなに簡単な話じゃない。
吉田兼好は『徒然草』のなかで、こう書いている。「よろづのことは頼むべからず」。
何ごとも、当てにしてはいけない。
健康も、寿命も、明日も、誰かの言葉も、自分の決意さえも。
鎌倉時代のおじいさんの言うことが、令和のコンビニスイーツの棚の前で妙にしみる。
健康的でいれば長生きできる、というのも、たぶん「頼むべからず」のひとつなんだろう。気をつけていても病気になる人はいるし、好き勝手やって長生きする人もいる。だからやけになる、という話ではなくて、「正しさ」を握りしめすぎなくていいんじゃないかな、と思っただけだ。
たい焼きはおいしかった。
食べ終わって、この自分の選択について少し考えた。今日、私は夜遅い時間にもかかわらずたい焼きを選んだ。
明日の朝は、たぶんサラダを食べるだろう。
来週はジムに行くかもしれないし、行かないかもしれない。
お酒は週に何回か飲むかもしれないが、タバコは吸わない。
これが私の今の選び方なんだと思う。
誰かにとっての「正しい消費」と、私にとっての「今夜必要だったもの」は、いつも一致するわけじゃない。
世の中はわかりやすい二択を提示してくれる。
健康か、不健康か。
徳か、背徳か。
でも実際の暮らしは、その間の淡いグラデーションでできている。今日はこっち、明日はあっち、と、毎日小さな選択をしながら、なんとなくバランスをとって生きている。
「背徳」と名づけて売る側も、たぶんそれをわかっている。本気で体に悪いものを売りたいわけじゃなくて、「たまにはいいよね」という気分を売っているのだ。罪悪感ごと、おいしく消費させてくれる。
何を選んで、何を選ばないか。選択肢はいつでも目の前にある。誰かが「これが正解」と決めてくれたらラクなのに、現実はそうじゃない。だから私たちは、今日もコンビニの棚の前で、ちょっとだけ立ち止まる。
明日のことを少し考えて、今日の自分のことも考えて、結局はその日の気分で何かをかごに入れる。それでいいんだと思う。背徳でも、徳でも、どちらでもないなにかでも。自分で選んだものなら、ちゃんと自分のものになる。
たい焼きの空き袋を捨てながら、明日の朝はちょっといいコーヒーを淹れようと決めた。それくらいの小さなバランスで、私の毎日はなんとか成り立っている。
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