ないない様 11話

11

「あ、洋介。ごめんね、昨日はお誘いをすっぽかしちゃって」
 仕事を終え、梢は少し早めに洋介の働く会社のそばの駅にたどり着いていた。日名子の葬儀に参加したときよりも、うんと足取りが軽い。
 携帯を耳にあてながら、洋介に話しかける。
『ああ、いいよ。実はあのあと俺も急に忙しくなっちゃって、実は今、徹夜明けなんだ。だから今日は早く帰れる』
「そうなの? 私ももう今日は終わらせたから、よければ一緒にごはんでもと思ったんだけど」
『なら、梢の手作りがいいな。それなら食ったらそのまま寝られるし。迎えに行くから俺の家に来てよ』
「いいけど、材料あるの?」
『ないから途中のスーパーで買っていこうよ』
「徹夜明けでお疲れじゃない?」
『そりゃ、もう今にも倒れそうなほど眠いけど……、悪い、そろそろ車出す。どこまで迎えに行けばいい?』
「あ、じゃあね、洋介の会社に一番近いコンビニあるでしょ。あそのこの駐車場で待ってるわ」
『了解』
 電話を切ってからも、達成感が梢を満たしていた。
(わかってくれた)
 梢の伝えたいことを、玲は涙を流しながら理解してくれた。
(これできっとこの負の連鎖を断ち切れるわ。……張間くんのお母さんと日名子さんの、お墓参りにいかなくちゃ。そこで報告するの、もう終わりましたよ、って……)
 実際、問題はとても簡単なことだったのだ。誰かがないない様の存在も含めて、玲と真正面から向き合えばいいだけの話だった。
(親子でも、最近はそういうの、減っているのかもしれないし)
 梢は親ではないのでそのあたりの事情はよくわからないが、親になろうねという話なら、洋介とときどき話すことがある。具体的にいつ結婚するとは決めていないが、彼は梢の婚約者だ。そういった話題が出てもおかしくない。
(私……いい親になりたいな。子どもに好かれるお母さんに)
 お互いに仕事を抱えているからと伸ばし伸ばしになっている結婚話ではあるが、今日の夜あたり、話し合ってみるのもいいかもしれない。けれど、洋介は徹夜明けだ。疲れているときにそんな話は迷惑だろうか。
 などと色めきだちながら道を歩き、洋介との待ち合わせ場所であるコンビニの前にたどり着く。しばらく携帯をいじって時間をつぶしていたが、ブオン、と聞きなれたエンジン音に、梢ははっと顔をあげた。
 違う車だった。ポケットに携帯を突っ込んで、なんのあてもなくぼんやりとする。
(でも、張間くんが一人暮らしっていうところは、聞き流しちゃいけなかったわね。明日にでもそのことについて話を聞いて、お父様に連絡して、もし誰も助けてくれない様子なら、児童相談所に……)

『……いね。………いね』

(え?)
 耳朶に直接響くような声に、梢は辺りを見渡した。通行人さえまばらである。目の前に立っていたコンビニの店内は、都心のコンビニには珍しいほどがらがらで、店員の姿はなかった。
 まるで今この瞬間の世界を切り取ったら、梢ひとりしかいないのではないかと思えるひとけのなさだった。
『いらないね。いらないね。ないないしようね。いらないね』
 男の声とも女の声ともつかない声だった。耳朶を通り越して頭に直接響いてくるような声に、梢の肌はぞっとあわ立つ。
『いらない、ない、ないないないない、ないないないないないないないない…………』
 どくん、と心臓が大きく脈打つ。
(これ、って)
 まさか――。
『いらない、ない、ないない!』

 ブオン!

 聞きなれたエンジン音が響いたと思ったら、目の前の道から洋介の車が走ってくるところだった。
 しかし、様子がおかしい。運転席の洋介は、こっくりこっくりと居眠りをしている。あの洋介に限って、そんな馬鹿な――。
「洋介! 洋介!」
 叫んでも無駄だという意識は、そのときはなかった。ただただ、自分に直進してくる洋介を目覚めさせなくては、という気持ちでいっぱいだったのだ。
 洋介は目覚めなかった。それどころか車はますます勢いを増し、梢のいるコンビニ前に突っ込んできて――。
 瞬間、すべてがパノラマになった。
 どうして梢が免許を取ろうとしなかったのか。それは。
(お父さんが、事故で、コンビニに突っ込んで、しまって)
(コンビニと車の間に、被害者の女の子を挟んでしまって、それで)
(すごくもめていたから、私は事故を起こす前に免許自体をとることをやめよう、って――)
 まさか自分が加害者ではなく被害者になるなんて。
 車体に押しつぶされながら、梢は意識を手放した。

   **

 少し前から親しくしている子どもがいる。子どもといっても、小学六年生だから、ほとんど中学生みたいなものだろう。リカと三つしか違わないその子は、しかし六年生にしては体が小さく、そして美少年だった。中性的な顔立ちの雰囲気から、男子は嫌いなリカでも嫌悪感を抱かずに接することができる。
「お待たせー」
 授業を終えたリカがその少年――張間玲のもとへ駆け寄っていくと、それまで無表情だった玲がほどけるように笑顔を浮かべた。信頼されている、とわかる仕草が、リカの気持ちをくすぐったくさせる。
「お疲れ様、リカさん」
「あはは、別に疲れることなんてなんにもしてないけどねー。玲くんこそ待った?」
「ううん、さっきまで学校に居て、今来たところだから」
「本当に待ったときは待ったって言っていいんだからね?」
「うん」
「で、今日はなに食べよっか」
 リカは制服の腕をまくってみせる。
 食べようか、と言っても、出来合いのもので盗めるのはたかが知れている。
 リカは万引きの常習犯だった。スーパーでカップ焼きそばを万引きしていたところをこの少年に目撃され、口封じのために路地裏へ連れていったら、自分にもそのやりかたを教えて欲しいと請われてしまった。自分には食べるものがないから、と。
 なんだか面白くなってきて、以来リカは子分のように玲を連れて歩いている。学校帰りに待ち合わせをして、お菓子やカップ麺を盗んで、一緒に食べ、それぞれの親の悪口を言う。玲にはどうやら母親はいないらしく、お金を振り込んでくれる父親はいるが、お金だけでは調理ができず、出来合いのものばかり買ってすごしていたが、そうこうしているうちに家の中が大荒れに荒れてしまい、居づらくなって帰りたくないのだとか。
「それって一人暮らしってこと? すごいじゃん! いいな!」
「一人暮らしって不便だよ。家の中どんどん汚くなるし……」
 純粋だった玲に万引きを教えたのはリカだ。それだけではない。リカはさまざまな処世術を玲に託した。たとえば、大人に面倒なことを言われたら、うそ泣きすれば話は簡単に片付くこと、など。
「あっ、霊柩車」
 スーパーで食材をあさることにした道すがら、セレモニーホール前を通り過ぎると、ちょうど中から霊柩車が出てくるところだった。喪服姿の人が多い。
「なんか最近続いてるよねー、お葬式。今度はどんな人のお葬式だったんだろう」
「別に……どうでもいいよ」
「それはそうだけどさー」
 玲がきゅっとリカの服のすそをつかんだ。まるで母親にすがる子どもみたいに。
「きっとお説教がしたいだけの、ただの人だよ。――リカさん、行こう」
 玲に制服を引っ張られながら、リカが歩き出したそのとき。

 いらない、ない、ないないないない……。

 すぐそばで声が聞こえたような気がして、リカは歩を止め振り返った。

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

10


いいなと思ったら応援しよう!