25歳で諦めた音楽の夢を、月18,000円のAIでもう一度拾いに行った
月18,000円。
しかも、それは最初の3か月だけだった。
その後は、月36,000円になる。
動画生成AI、Veo。
そのVeoを使うためのプラン、Google AI Ultraの金額を見ながら、私はしばらく画面の前で動けなかった。
18,000円あれば、子どもの服が買える。
家族で外食にも行ける。
日用品をまとめ買いして、少しだけ安心できる。
36,000円になれば、もっとそうだ。
4人の子どもを育てている。
家計のことも考えている。
noteでは、お金のことを書いてきた。
そんな私が、夢のためにこの金額を払っていいのだろうか。
節約を語ってきた人間なのに。
母親なのに。
今さら、音楽なのか。
そう思った。
それでも私は、決済画面を閉じられなかった。
画面の向こう側で、25歳の頃に諦めた音楽の夢が、じっとこちらを見ている気がした。
これは、AIで簡単に夢を叶えた話ではない。
一度は音楽を諦めた私が、生活の中に沈めてきた夢を、もう一度拾いに行くことにした記録だ。
諦めるために受けたオーディション
大学3年と4年の間の春休みだった。
まわりは就職活動を始めていた。
スーツを着て、説明会へ行って、エントリーシートを書いて、少しずつ社会に出る準備をしていた。
私も、何かを決めなければいけない時期だった。
好きなことを仕事にするなんて、簡単じゃない。
いつまでも夢みたいなことを言っていられない。
ちゃんと現実を見なければいけない。
そう思っていた。
けれど、自分ひとりでは終わらせられなかった。
音楽が好きだった。
歌うことが好きだった。
でも、好きだけでは進めない場所があることも、なんとなくわかっていた。
だから私は、オーディションを受けに行った。
受かるため、というより、諦めるためだった。
ここで駄目なら、もう終わりにしよう。
誰かに判断してもらえたら、きっと自分でも納得できる。
そうやって、自分に引導を渡すための場所がほしかった。
審査は、好きな曲を1曲歌うというものだった。
私は歌詞カードを持っていかなかった。
見て歌っていいなんて、思っていなかったからだ。
でも、会場に着いて、自分の前の人たちを見て、少し不安になった。
みんな、歌詞カードを持っていた。
手元に紙を置いて、歌っていた。
私だけが、何も持っていなかった。
自信があったわけではない。
ただ、そういうものだと思っていただけだった。
私の順番は、たぶん5番目くらいだったと思う。
名前を呼ばれて、前に出た。
そして、出だしを間違えた。
そこから先のことは、あまり覚えていない。
よくわからないまま歌った記憶だけがある。
諦めるために来たはずだった。
失敗したと思った。
これで終われるのかもしれない、とも思った。
けれど結果は、後日発表だった。
私は、準グランプリだった。
出だしを間違えたのに。
よくわからないまま歌ったのに。
それでも、準グランプリだった。
そのことを、私は1人の友達にだけ伝えた。
うれしかったのか、怖かったのか、今ではよく覚えていない。
ただ、これで終わりにするには惜しい場所まで来てしまったことだけは、わかった。
完全に落ちていたら、もっと簡単に諦められたのかもしれない。
でも、出だしを間違えた私にも、何かは届いてしまった。
だから音楽は、簡単には捨てられなかった。

音楽を諦めても、耳だけが残った
それでも私は、25歳で音楽の夢を諦めた。
音楽が嫌いになったわけではない。
歌うことを嫌いになったわけでもない。
ただ、自分に耐えられなくなった。
頭の中には、理想の音が鳴っていた。
こう歌いたい。
こう響かせたい。
こういう曲を作りたい。
でも、現実の自分はそこに届かなかった。
昨日まで聴けていた自分の歌が、今日はもう下手に聞こえる。
昨日まで良いと思っていた音が、今日は急に薄く感じる。
耳だけが先に育ってしまった。
理想の音はどんどん遠くなっていくのに、私はそこへ近づけない。
音楽が好きであればあるほど、自分の未熟さが見えてしまう。
好きだから苦しい。
好きだから、聴けてしまう。
好きだから、自分に失望する。
だから私は、音楽から離れた。
夢を諦めた。
そう思っていた。
けれど、本当は消えていなかったのだと思う。
長男、次男、三男の名前には、「弦」という字を入れた。
音楽が好きだったから。
そして、夫婦の縁という意味も込めたかったから。
夢はステージからは降りた。
でも、家族の名前の中に、そっと残っていた。
私は音楽を諦めたつもりでいた。
けれど、人生のあちこちに音楽を置いていた。
それは、夢を手放せなかった証拠だったのかもしれない。
かえるこは、生活から生まれた名前だった
noteを始めるとき、私は名前とアイコンにかなり時間をかけた。
認知してもらうには、名前も見た目も大事だと思っていた。
一度見たら覚えてもらえるような、でも自分から離れすぎていないものにしたかった。
「かえるこ」は、思いつきでつけた名前ではない。
4兄妹の頭文字をとった名前だ。
だから、私にはかえるこ以外ありえなかった。
ただのペンネームではない。
かわいいから選んだキャラクター名でもない。
私の生活そのものから出てきた名前だった。
そのときの私は、音楽をやることなんて考えていなかった。
noteでは、お金のことを書いていくつもりだった。
家計のこと。
教育費のこと。
将来のこと。
自分の経験が、誰かの役に立てばいいと思っていた。
当時のAIで、かわいい女の子を生成するのは簡単ではなかった。
何度も試して、直して、また試した。
髪型が違う。
雰囲気が違う。
表情が違う。
これじゃない。
もう一回。
私はただ、文章を書くための名前と、読んでもらうための姿を作っていた。
それが、かえるこだった。
でも今振り返ると、不思議に思う。
音楽に戻るつもりなんてなかったのに、私は家族の頭文字から名前を作り、画面の中にもうひとりの自分を立たせていた。
あとから音楽が戻ってきたとき、そこにはもう、歌わせることのできる私がいた。
夢は、ときどき本人より先に、戻る場所を作っているのかもしれない。
家計簿には、夢という項目がなかった

私はnoteで、お金のことを書いてきた。
家計のこと。
教育費のこと。
将来のこと。
投資のこと。
それは嘘ではない。
4人の子どもを育てる現実の中で、お金と向き合うことは、私にとって大切なことだった。
お金を整えることは、生活を守ることだった。
家族を守ることだった。
未来への不安を少しでも減らすことだった。
でも、自分の夢にお金を使うことには、ずっと臆病だった。
子どものためなら考えられる。
家族のためなら必要だと思える。
将来のためなら納得できる。
でも、自分の夢のためとなると、急に手が止まる。
それは浪費ではないのか。
今さら何になるのか。
もっと優先すべきことがあるのではないか。
家計簿には、夢という項目がなかった。
だから私は、自分の中でいちばん高いものを、無料のふりをして放置していたのかもしれない。
月18,000円。
3か月で、54,000円。
その後は、毎月36,000円。
数字にすると、急に現実になる。
子どもの服なら。
外食なら。
家族のための予備費なら。
そう並べていたのは、たぶん自分への言い訳だった。
本当はわかっていた。
私が払おうとしているのは、便利なAIツールの料金だけではない。
一度諦めたはずの夢に、もう一度場所を与えるためのお金だった。
母親なのに。
節約を語ってきたのに。
家計を守る側の人間なのに。
それでも、私はその金額を見なかったことにできなかった。
生活は、私を守ってくれた。
でもその生活の中で、私は自分の夢を後回しにすることにも慣れていった。
夢は消えたのではない。
家計簿の横で、ずっと静かに眠っていた。
月18,000円のAIに、私は何を払ったのか
Veoを使うために、Google AI Ultraの画面を開いた。
そこに表示されていたのは、決して気軽に押せる金額ではなかった。
節約家の私には、なおさらだった。
でも、今の私が使えるいちばん新しい道具で、もう一度音楽の方を向いてみたかった。
25歳の私には、こんな道具はなかった。
頭の中に鳴っている音を、形にする方法が少なかった。
ステージに立つには、場所が必要だった。
誰かに見つけてもらうには、運も、環境も、勇気も必要だった。
今もそれは変わらない。
AIを使えば何でも叶うなんて、そんな簡単な話ではない。
それでも、昔より少しだけ、自分で手を伸ばせる場所が増えた。
私はAIに夢を叶えてもらいたかったわけではない。
AIに、自分の代わりをしてほしかったわけでもない。
もう一度、自分で向き合うために使いたかった。
私が払おうとしていたのは、AIの利用料だった。
でも本当は、それだけではなかった。
25歳で止めた時間を、もう一度動かすためのお金だった。
私が本当に払おうとしていたのは、AIそのものに対してではなかった。
もう終わったと思い込んできた夢を、もう一度拾いに行くための入口に、お金を払おうとしていた。
AIの中から、私を探した
AIは、私の夢を一発で叶えてくれる魔法ではなかった。
かえるこの顔は変わる。
パーカーは崩れる。
フードから、あるはずのない後ろ髪が生える。
さっきまでいたはずの私は、次の生成では別人になる。

かわいいけれど、違う。
動いているけれど、違う。
歌っているけれど、まだ私ではない。
何度も生成した。
何度も見直した。
少しだけ良い数秒を拾って、また試した。
選ぶ。
捨てる。
直す。
待つ。
また試す。
最新のAIを使っているのに、やっていることは思ったよりずっと人間くさかった。
私は、AIの中から私を探していた。
思えば、noteを始めた頃もそうだった。
そのときの私は、音楽に戻るつもりなんてなかった。
ただ、文章を書くための名前と、読んでもらうための姿がほしかった。
だから、かえるこを何度も作り直した。
髪型が違う。
表情が違う。
雰囲気が違う。
これじゃない。
もう一回。
その繰り返しの中で、私は知らないうちに、画面の中にもうひとりの自分を立たせていた。
あとから音楽が戻ってきたとき、かえるこはもうそこにいた。
文章を書くために作ったはずの姿が、いつの間にか、もう一度歌うための身体になっていた。
AIは魔法ではなかった。
でも、鏡ではあった。
こちらが何を見たいのか。
何を諦めきれていないのか。
何を形にしたいのか。
それを、何度も何度も突きつけてくる鏡だった。
お金を書く私が、音楽で叫びたかったこと
私はお金のことを書いてきた。
それは、誰かの役に立ちたいと思っていたからだ。
自分の経験が、誰かの不安を少しでも軽くできたらいいと思っていたからだ。
でも、役に立つ言葉の後ろに隠れていた自分もいた。
お金の話は、必要とされやすい。
暮らしに近い。
読んでもらいやすい。
でも音楽は、もっとむき出しだった。
上手いか下手か。
届くか届かないか。
好きか嫌いか。
そこには、評価される怖さがあった。
noteで誰かの作品を見て、すごいと思う。
応援したいと思う。
でも同時に、悔しいと思う自分もいる。
スキの数に揺れる。
コメントの熱量に揺れる。
誰かが前に進んでいるのを見て、焦る。
画面を閉じたあとも、誰かのスキの数が頭から離れない夜があった。
きれいな気持ちだけで創作しているわけではない。
嫉妬もある。
焦りもある。
怖さもある。
でも、今回はそれも入れたかった。
きれいな夢だけではなく、泥のついた夢をそのまま音にしたかった。
誰かに見せても恥ずかしくない自分だけではなく、見せるのが少し怖い自分も、音の中に入れたかった。
25歳の私を苦しめた耳が、今の私を助けた
AIが出してくる音は整っていた。
でも、整っているだけでは足りなかった。
きれいなのに、遠い。
上手いのに、私ではない。
音は鳴っているのに、そこにためらいがない。
私が欲しかったのは、完璧な音ではなかった。
25歳のあの日、出だしを間違えたときのような、少し震えていて、少し不格好で、でもどうしても歌い切ろうとする音だった。
ここが違う。
もう少し前に出したい。
この響きは薄い。
このスピードでは軽すぎる。
この感情は、まだ届いていない。
言葉をひとつ変えるだけで、かえるこの表情も、声の聞こえ方も、こちらへの届き方も変わってしまう。
そうやって、何度も聴いた。
何度も言葉を変えた。
何度も選び直した。
AIが出したものを、そのまま受け取ることはできなかった。
そこに私の呼吸を入れたかった。
かつて私を苦しめた耳が、今度は私を助けていた。
25歳の頃、耳だけが育ちすぎて、自分の音に耐えられなくなった。
理想ばかりが遠くなって、私は音楽から離れた。
でも今、その耳があったから、AIの音をそのまま受け取らずに済んだ。
選ぶことができた。
違和感に気づくことができた。
自分の中の「これじゃない」を信じることができた。
過去の苦しさは、全部が無駄だったわけではなかった。
私を音楽から遠ざけたものが、もう一度音楽に戻るための武器になっていた。
画面の中で、かえるこが歌っていた
そして、画面の中で、かえるこが歌った。
少し不格好で、でも確かに私の呼吸が残っている数分間だった。
25歳で止まった時間に、もう一度触れるために作ったMVです。
完成したMVを見たとき、私は「夢が叶った」とは思わなかった。
それより先に、胸の奥がふっと明るくなった。
これから、私の挑戦が始まる。
そう思った。
25歳の私が立てなかった場所に、かえるこが立っていた。
でもそれは、ゴールではなかった。
いつか、かえるこをただのアイコンではなく、音楽の真ん中に立てる存在に育てたい。
そう思えるようになったこと自体が、私にとってはもう、25歳の頃には想像できなかった変化だった。
これは、もう一度始めるための最初のステージだった。
私は、ようやく気づいた。
音楽は、消えていなかった。
家族の名前の中にもあった。
noteの名前の中にもあった。
カエルのパーカーの中にもあった。
家計簿の横にも、深夜の画面にも、ずっとあった。
私は音楽を諦めたのではなく、別の形で持ち歩いていただけなのかもしれない。
出だしを間違えたまま、続きを歌う
あの日の私は、出だしを間違えた。
歌詞カードを持たずに前に出て、よくわからないまま歌い切った。
そして後日、準グランプリになった。
今の私も、きっと似たようなものだ。
AIを完璧に使いこなしているわけではない。
音楽の世界に戻る準備がすべて整っているわけでもない。
家計の不安が消えたわけでもない。
母親としての責任が軽くなったわけでもない。
それでも、もう一度始めてしまった。
もしかしたら私は、25歳のあの日からずっと、出だしを間違えたまま続きを歌う方法を探していたのかもしれない。
夢は、大きなステージの上にだけあるものではないのだと思う。
子どもの名前の中に残ることもある。
家計簿の横で眠ることもある。
noteのアイコンの中で、別の姿になることもある。
子どもが寝静まったあとの、青白い画面の中で、もう一度息を吹き返すこともある。
あなたにも、もう終わったと思っているのに、まだどこかに残っているものはありませんか。
引き出しの奥に。
昔のノートの端に。
何気ない習慣の中に。
誰にも言わずに続けている、小さな選択の中に。
無料のふりをして、眠らせている「あの日の続き」はありませんか。
私は、25歳で置いてきた音を、AIとnoteの向こう側から、もう一度拾いに行く。
出だしは、また間違えるかもしれない。
それでも今度は、続きを歌ってみたい。
ここから、かえるこの音楽が始まる。
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