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【岩国取材その1】気がつくと、お会いしたことがない千代さんのことを、身近に感じるようになっていた。

それは『せとうちスタイル』で、宇野千代さんを特集させていただくにあたり、お話をおうかがいしたいとご連絡させていただいたときのことだった。「岩国にある先生の生家にうかがうので、そこでお会いしませんか」。
電話の向こうで思いがけないうれしい言葉をかけてくださったのは、株式会社宇野千代の代表取締役、藤江桂子さんだった。

桂子さんは、宇野千代さんが書かれたお料理の本に「とても旨い料理を作ってくれる料理の名人」として何度も登場される。千代さんは桂子さんの顔を見ると、「今日はどんなご馳走が出るのかな」と楽しみにされていたと言う。

桂子さんとの待ち合わせ場所は、「いつ、こけるか分からん」と弟さんから生家について報告を受けた千代さんが、1974年77歳のときに自ら修復した岩国の生家。現在は岩国市が買い上げ、2006年5月から「宇野千代生家」として一般に公開されている。約束の時間に到着すると、すでに桂子さんが待っていてくださった。

錦帯橋から徒歩20分ほど。国の登録有形文化財(建築物)にも登録されている「宇野千代生家」

「兄と義理の姉が、先生のもとで長く勤めていたんです。私は着物の展示会をお手伝いしたりしていましたが、そのとき先生は80代。私が存じ上げる先生はおしゃれで、声が高くて若々しくて。とてもすてきなかたでした」
桂子さんの義理のお姉さん、藤江淳子さんは千代さんが亡くなるまで40年近い年月を「四六時中、親と子が一緒にいるような格好」で、公私にわたり支え続けたかた。桂子さんはその跡を継ぎ、事務所を運営されている。

「スイートポテトをつくって持っていくと、おいしいねってとてもよろこんでくれました。先生は料理をいろいろ創作することもお上手でした。牛肉を焼くときにブランデーをいっぱい入れる『極道すき焼き』とかちょっとぜいたくなお料理もあれば、普段は旬の素材に先生ならではのひと工夫を加えたお惣菜をよくつくられていましたよ」と桂子さん。
桂子さんに千代さんとのお料理の思い出をうかがいながら、千代さんの著書『生きて行く私』(角川文庫)に、「いろいろな料理を自分流に発明して『私の発明料理』などと言って、得意になっている」という一節があったことを、ふと思いだした。

桂子さんの岩国の旅には桂子さんの息子さんで株式会社宇野千代の取締役を務める康弘さんと直子さんご夫妻も同行されていた。
「当時わたしは幼稚園に通うぐらいの年齢で、毎年お正月にお年玉をもらっていました。作家だとはもちろん知らなくて、先生のことはおばあちゃん、親戚のように思っていました。すごい先生だというイメージはまったくなかったです」と、子どもの頃を思い出しながら康弘さんが笑顔で話してくれた。

株式会社宇野千代 取締役 藤江康弘さん・直子さんご夫妻と、オリーヴ兄弟・兄こと小豆島ヘルシーランド株式会社・株式会社瀬戸内人 代表取締役社長 柳生敏宏(右)

小説を書き、着物をデザインし、桜が大好きで、お料理がお上手で、日本初の女性ファッション誌『スタイル』を発行したときには出版社の経営、編集長、モデルまでこなして。おしゃれを楽しみ毎日お化粧を欠かさず、98歳の人生を生涯現役の作家として過ごした宇野千代さん。愛用されていた家具や道具、資料などで生前の千代さんに触れることができる生家で、桂子さんたちとお会いしお話をうかがったことで、気がつくと、お会いしたことがない千代さんのことを、岩国を訪れる前より身近に感じるようになっていた。

岩国から編集部に戻って数日後、千代さんのお料理の本『私の長生き料理』(海竜社)を読み返していたら、そうめんを炒めた「焼きそうめん」という料理が紹介されていた。読みすすめると、小豆島でオリーブ油を作っている会社の柳生さんという知人に食べてもらったということが書かれていた。ここに出てくる柳生さんは、わたしのnoteにオリーヴ兄弟・兄として登場する当社の社長のお父さんのことで、焼きそうめんを食べた柳生さんがお代わりしたということも書かれている。次は社長のお父さんに千代さんのお話をうかがわなければ、である。

協力:株式会社宇野千代、NPO法人宇野千代生家
写真:本田史郎
参考文献:『私の作ったお惣菜』宇野千代著 海竜社、『私の長生き料理』宇野千代著 海竜社、『生きて行く私』宇野千代著 角川文庫

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