17歳で盛大にコケてから今年で10年、その軌跡【1】
どうも、くろむです。僕は今年で27歳になります。17歳の時に人生を盛大にコケてから10年の節目(?)となる年なので、その過程をここに書き記そうと思います。
多分長くなるので2,3記事に分けて書きます(この記事は約3300字あります)。
これは、気づいたらドン底に落ちていて、気づいたら死のうとした僕の、それでもなんとか生きようと足掻いてきた記録です。
高校2年生の9月、僕は学校に行けなくなった。何が決定的な理由になったのか、正直今でもわからない。それでも原因として考えられる理由を書いてみようと思う。
心当たりがあるとすれば、小学校3年生から中学2年生までの出来事と、高校の部活動である。
僕は4歳から8歳までの4年間、親の仕事の都合で海外に住んでいた。最初の2年はバングラデシュ、後の2年はアメリカのニューヨークだった。それから日本に帰ってきた僕は、当たり前だが日本の小学校に通う事になった。小学校3年生の頃である。ここで僕は、非常に肩身の狭い思いをする事になる。
小学校に転入した僕は、しばらく周りからまるで珍しいものを見るかのような目で見られ続けた。高校や大学ならともかく、小学生の帰国子女は実際あまり見ないので当然と言えば当然だ。しかし、僕はどうにも居心地が悪かった。
そしてそれに拍車をかけるように、僕は何もしていないのにクラスの約3分の1くらいの人に速攻で嫌われた。話しかけても冷たく返されたり、一部の女子集団からは「近づくな」と言われる始末だ。注目を掻っ攫ったことが気に食わなかったのか、別の理由があるのかは定かではない。
転入してわずか1週間で僕は学校に行くのが憂鬱になっていた。「何にもしてないのに、なぜそんな言われようをしなきゃいけないんだ」「アメリカの学校ならこんなことなかったのに」と、環境の変化に苦しんだ。
さらに、同時期にサッカーのクラブチームにも入った(気づいたら親に入れられてた)が、そこでもチームメイトの約半数から初っ端嫌われた。ここまで来ると、もはや自分に原因があるのでは?と考えるようになっていた。
無論、全ての人がそうというわけではなかった。仲良くしてくれる友達もできたし、その子たちと放課後に遊んだりもしていた。
しかし、当時の僕にうまく感情を処理する能力があるわけでもなかったので、「学校やクラブといった集団の場に自分の居場所はない」というネガティブな印象が強く残ってしまった。そしてそこから中学3年生になるまで、学校もクラブ活動も
楽しめないままやり過ごした。
中学3年では神様が慈悲を与えてくれたのか、一転してだいぶ良くなった。クラスメイトとの関係も良く、学校に行く事に抵抗がほとんど無かった。「高校もこのクラスで過ごせたらいいのに」と思えたくらいには、これまでの学校生活で最も充実した1年だった。
ちなみに、クラブ活動はこの頃人数不足に陥っており、自分含めて4人くらいしかいなかったが、全員と仲が良かったので、試合はおろか練習すらまともにできなかったが、それでも集まってただボールを蹴るだけでも楽しかった。
しかし、何事にも終わりは来るもので、卒業と同時にその生活も終わりを迎え、僕は公立高校へ進学した。
そこで僕はメンタルを木っ端微塵にされる事になる。
高校に進学した僕はさも当たり前のようにサッカー部に入部した。
ちなみに僕のポジションはゴールキーパーだったが、正直言って下手くそだった。具体的には、セーブ力とキック力は多少あるが、判断力が絶望的になかったのである。さらに、キーパーに転職した中学時代に基礎をほぼ教わらなかった(独学で多少補ったが、焼け石に水だった)こと、そして上でも書いたように中学3年のときにはチームの人数不足でほとんど試合ができなかったこともあり、入部初日の紅白戦でミスを連発、同じチームの先輩から「死ね!!!」と試合中に怒鳴られる有様だった。
その時点ですでに僕のメンタルはボロボロだったが、チームのもう一人のキーパーだった同級生Y君に励まされた事、「自分の実力不足だからそう言われても仕方ないし、1回で辞めるのは逃げだ」と謎にバカ真面目考えた結果、そのまま続ける事にした。
それから僕は自分が初心者であるという気持ちでなんとか練習についていったが、それでも紅白戦では相変わらずミスをする事が多かった。その度に先輩や同級生のキャプテン格の人からキツく怒られ、徐々に僕は萎縮していった。
「ミスをしたら怒られる」という恐怖が常に頭をチラつくようになり、どんどん消極的になっていった。そしてそんな状態でいいプレーができるわけもなくミスをしてまた怒られるという、負のループにハマっていった。
そして、Y君は安定したプレーでチームメイトの信頼を得られている一方、「自分は何の役にも立てていない」という劣等感と無価値観が日に日に強くなっていく中で、僕は「ここには居場所がない」という感覚に再び陥るようになった。
さらに、部活が始まる前や終わった後、部室でチームメイト同士が話しているところに自分が発言した時に急に静かになって誰も反応してくれないという事がたまにあった。そのたびに笑って流したが、回数が重なるにつれて居場所がない感覚の蓄積速度は加速していった。
その状態に耐えきれなくなった僕は、1年生の終わりに退部を届け出た。が、顧問と意外にも同級生に全力で引き止められた。その時、あるチームメイトに言われた言葉がある。
「お前は上手くなるために部活以外の時間とかで努力してるか?してねえだろ」
それを聞いた時、僕は何も言い返せなかった。一応家で本や動画を見て、そこで学んだことを練習で意識してやってみるという事をしていたが、それだけであり、反論するには弱いと思って言えなかった。
そして最終的にはまた「自分の実力不足を辞める理由にしてはならない」と考え、続ける事にしたのである。
2年生になった僕は、キーパーからフィールドにポジションチェンジをした。味方に迷惑をかけたくないというのが表向きだったが、単に逃げただけである。結果、若干メンタルはマシになったが、根本的な解決になっていないことと、練習外で一瞬無視される問題も解決されなかったので状況は大して変わらなかった。
しかし、僕はそれすらも「仕方がない」と受け入れてしまった。思えば、これが一番よくなかったのだと思う。
そして高校2年の9月、それは唐突にやってきた。
ある朝、僕は親が家を出た後に学校に欠席の連絡を入れた。自分でも驚くほどに「学校に行かないこと」に対して罪悪感がなく、自分でも何を考えているのか分からなかった。
その日は1日ゲームをしていた。それも楽しいからではなく、ただ機械的に、何の感情も持たずにやっていた。そしてその日以降、僕が学校に戻る事はなかった。
親にはその日のうちに学校に行かなかった事がバレて詰められた。そんな親に対して僕は気づいたらキッチンにあった包丁を手に取って切先を向けていた。この時の自分が何を考えていたのか、今ではもう覚えていない。ただ、その時から自分を責める人は全てが敵に見えていた。一種の防衛反応だったのだろうか。
それからはあくる日もあくる日も、起きて、自分のパソコンでゲームをし、夕飯を食べて寝るというサイクルを機械的にこなしていった。身体だけ現実世界にあって、意識は別のどこかにある、そんな感じだったと思う。診断こそ受けなかったが、おそらくゲーム障害を併発していたのだと思う。
親は何度も僕に対して「なぜ学校に行かないのか」と問い詰めては外に出そうとしたが僕はそれを見ても何の感情も抱かなかった。
最初の頃は「部活の人間関係が嫌になった」と言っていた気がする。しかし、それに対して「なら部活を辞めればいいじゃないか」と返ってきてから会話するのをやめた。「そうか、誰も自分のことを理解してくれないんだ」と、他人、あるいはこの世界との対話を諦めた。
そこからはあまり覚えていないが、僕は翌年の4月に定時制の高校に転入する事が決まった。
次回に続く。
