記憶の夏をたどりなおす
海外で暮らすようになって、今年で三十三年になる。
日本で当たり前だった四季や季節の行事は、今ではほとんど記憶の中にしか存在しない。
もちろん、昔とは違う。インターネットのおかげで、日本のニュースも、季節の話題も、ほとんどリアルタイムで知ることができる。
阪神タイガースが優勝した夜でさえ、その熱狂を地球の裏側から一緒に味わうことができた。
それでも、画面越しでは決して届かないものがある。
手に触れるもの。
肌に感じるもの。
そして、生き物たちの気配だ。
桜が散ればツバメが戻ってくる。
田んぼではカエルの大合唱が始まり、ニイニイゼミが鳴き出す。やがてアブラゼミが混じるようになり、夏休みが近づく頃にはクマゼミが公園を支配する。
カミキリムシが木に集まり、シジミチョウやモンシロチョウの間を、アオスジアゲハやアゲハ、キアゲハが舞う。
池ではトンボが飛び交い、アメンボが水面を滑り、メダカが群れになって泳ぐ。
夏祭りの夜店ではカブトムシやクワガタムシ、ヤドカリが売られていた。
こうして書き並べてみると、日本の夏は驚くほど多くの命で満ちている。
昆虫好きだった子どもの頃には当たり前だった光景も、ヨーロッパで暮らすようになると、それが決して当たり前ではないことに気付かされる。
幸いなことに、2023年からは毎年一時帰国もできるようになった。
仕事の都合で帰国はほぼ夏に限られるが、それでも日本の夏をなぞることができ、幸せだと思う。
今年、広島県福山市の明王院を訪ねた。

バス停から寺まで続く道は、舗装こそされていたものの、どこか農道のような雰囲気だった。
本当にこの先に国宝の五重塔があるのだろうか。
半信半疑で歩き続け、ようやく静かな境内へたどり着いた。
参拝客もほとんどいない。その静けさの中で五重塔を見上げた瞬間、「来てよかった」と素直に思えた。
参拝を終え、帰りの石段を下りていると、足元で何かが飛んだ。
静かに近づくと、それはハンミョウだった。

日本に暮らしていたのは人生の半分にも満たないが、実物を見るのはこれでようやっと二度目だ。
鋭い顔つきをしているのに、金属のような輝きを放つ美しい昆虫だ。
少し歩くと、今度は風にあおられるように何かが飛んできた。
着地した先を見ると、ゴマダラカミキリ。

小学生の頃以来ではないだろうか。
夢中になって追いかけた、濃紺の体に散った白い斑点。質素な美しさを表現している。
さらに歩くと、ニホントカゲがいた。

子供の頃は自宅周辺で見たことがなかったが、毎年、日本へ帰るたびにどこかで見かける顔だ。
鮮やかな尻尾を高く持ち上げているので、「何をしているのだろう?」と不思議に思って眺めていると、そのまま糞をした。
「ああ、尻尾はこういう時には邪魔になるのか。」
そんな、どうでもいいことに妙に感心してしまった。
別の日には、石清水八幡宮の参道でタマムシを見つけた。

すでに息絶え、地面にうつ伏せになっていたが、実物を見るのは初めてだった。
古来より先人を魅了し、教科書や図鑑でしか知らなかったあの輝きが、確かにそこにあった。
そして津和野では、夕暮れの山から聞こえてくるヒグラシの声。
京都に住んでいた頃は、夏の夕暮れには夕方の挨拶のように毎日耳にしていた。
今ではゲーム機の中で聞いても、忘れていた郷愁が掻き立てられるサウンドだ。
日本で暮らしていた三十年間、気にも留めず通り過ぎていた夏の風景。
今年の一時帰国では、その一つひとつを、まるで人生の忘れ物を拾い集めるように見つめ直していた気がする。
海外に住んでいると、日本の四季は遠い。
全ての風景をなぞり返すことは、もう叶わないだろう。
しかし、一匹のハンミョウ、一匹のカミキリムシでさえ、手放し、忘れていた感情を思い起こさせてくれる。
今年の夏は、さまざまな命が記憶をたどりなおす旅先案内人となってくれた。

