見出し画像

「なんとでもなる」 この思考が持てると楽になる。

「なんとでもなる」


この思考が持てると楽になる。

ポタラ宮


2001年。
まだ若かった俺は、
チベットからトラックをヒッチハイクして、
ネパールとの国境の街へ向かっていた。

ヒッチして30分で
パンクするトラック、
更に到着までに2回のパンク。

5時間で着く予定が、
全く言葉の通じない
チベタンのオジさんと
10時間ものドライブになり、
国境の街(と呼べないほど小さな集落)に
到着したらもう陽も落ちていた。

オジサンは、
トラックの荷物チェックを
受けなければいけないとかで(多分)
町外れで降ろされ、
真っ暗な道を歩くこと30分、
灯が見えた時はホッとした。


中国とネパールの国境付近

翌日、
国境を超えてネパールへ。

国境の様子がおかしいと思ったら、
ネパール側の
交通がストライキを起こしていて、
次の街に向かう交通機関が動いていない。

ストはあと2日続くらしい...

でも、
ネパール側の国境には街がなく、
イミグレのみ。

宿泊もできない。

その時、
俺に残さた選択肢は2つ。

もう一度、
中国のビザを取得して
国境を超え中国側の宿に戻るか、
次の街まで山道を30キロ歩くか。

とにかく金がなく、
再度ビザを取得することは
出来なかったので、
隣町まで山道を30キロ歩くことに。


喉の渇きがMAXで
沢の水を飲みながら
1日かけて隣町へ。

宿はあるが、
ココでも2日後までバスがない。

街の端から端まで
歩いて5分の街で2日間。

タイから陸路で
ヒマラヤを越えてきた身体。

疲労のせいか泥のように眠った。

2日後。

ストライキが解除され
カトマンズに到着。

そこで食べた唐揚げ定食の味は一生忘れられない。

この数日後、
ネパールの国王が
息子に殺される事件が起き
カトマンズ市内は混乱するのだが、、、

また機会があれば書きます。

そんなカトマンズに
この秋、
25年ぶりに行くことになった。

ちょっといろいろ思い出したので
書いてみました。

2001年は陸路で
アジア〜中東〜ヨーロッパまでを
旅した思い出の年。

俺の
「大丈夫なんとかなる」
はこの年に作られたんよなぁ。


ヒッチしたチベタンのオジサンと


いいなと思ったら応援しよう!