#91 バブル景気はどのように始まり、どのように終わったのか
1980年代後半から90年代初頭にかけてのバブル景気はどのようにして始まったのか。
80年代前半の日本は、1ドル=240円代という今では考えられない円安水準でアメリカへの輸出を伸ばしていた。当時のアメリカは対日貿易赤字が10兆円に迫り、国家財政も巨大な赤字をかかえていた。所謂「貿易摩擦」である。
アメリカは円高=ドル安にすることで貿易摩擦を改善しようとして日本に圧力をかけた。中曽根政権時の1985年、ニューヨークのプラザホテルにおいてアメリカと会談が行われ、「プラザ合意」が結ばれた。
その結果、主要5か国(G5=アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ)の政府がドル売り円買いを行い、2年後には1ドル=140円台となる急速な円高=ドル安が進んだ。日本製品はアメリカでプラザ合意以前のおよそ倍の値段となり、次第に売れなくなっていった。
そして、安い生産コストと為替リスクの低減を求めて日本企業は海外進出を進めた。これが「産業の空洞化」である。
一方日本政府は、不景気対策として教科書通りの政策を行った。公共事業を増やし、日本銀行は企業に融資を行う際の金利をおさえるために公定歩合を下げた。その結果、市場にはお金が溢れる状態になったのだが、産業の空洞化が進んでいたため、肝心の設備投資にそのお金は使われなかった。
企業は行き場のなくなったお金で土地や株を買い、値上がりしたら含み益で新たに土地や株を買うというループで土地や株の値段が高騰していった。これがバブル経済が始まった仕組みである。
では、バブルはなぜ崩壊したのか。主な要因は3つある。
1つ目は、1988年に国際決済銀行が発表したBIS規制だ。BIS規制とは、銀行の自己資本率を8%以上に定め、できない銀行は海外取引を禁止するという規制である。BIS規制はバブル経済のもと巨額の資金を持った日本の銀行の力を弱めるためのものだった。当時の日本の銀行は自己資本率が3%程度だったため、貸し出しの規制と資金回収を行い、銀行から企業へのお金の流れが滞っていった。
2つ目は公定歩合の引き上げである。1989年、日本銀行はバブル抑制のために公定歩合の引き上げをはじめ、1990年には6%まで上昇。これによって企業から銀行への貸し出しの金利は10%近くなり、企業は銀行からの資金調達がしにくくなっていった。
3つ目は、1990年に行われた大蔵省による不動産投資の総量規制である。大蔵省は土地の異常な値上がりを防ぐために、土地を買うために銀行がお金を貸すことを実質できなくした。
このような意図的な日本の銀行への貸し出し抑制の政策が内外で行われたことで、企業が土地を変えなくなり、1991年以降土地の値段は暴落していった。バブルはいつか弾けるものとはいえ、日本のバブル崩壊は意図的に起こされた。日本は100兆円を超える富を損失し、日本は「失われた10年(20年、30年とも言う)」と呼ばれる暗黒の時代へ突入していった。
【参考】
