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#403 1200年燃え続ける「消えずの火」とは?

広島県・宮島の弥山(みせん)山頂付近にある「霊火堂(れいかどう)」が全焼したというニュースが、大きな注目を集めています。
2026年5月20日朝に火災が発生し、建物は焼失。
霊火堂は宮島を代表する文化財の一つだっただけに、多くの人に衝撃を与えました。

特に話題となっているのが、霊火堂で守られてきた「消えずの火」です。

この火は1200年間燃え続けており、日本の宗教文化や近代産業、さらには平和への願いまで、さまざまな歴史が重なっているのです。

空海が灯した「消えずの火」

霊火堂の「消えずの火」は、平安時代の僧・空海が灯した火だと伝えられています。

伝承によれば、空海は806年頃、宮島の弥山で100日間の護摩修行を行いました。護摩とは、火を焚いて祈りを捧げる密教の修行です。
その際に用いた火が、現在まで一度も消えずに受け継がれてきたとされています。

もちろん、同じ炎が物理的に1200年間燃え続けているわけではありません。歴代の僧侶たちが火種を守り、代々受け継いできたのです。
それ故にこの炎は「消えずの火」と呼ばれるようになりました。

建物が焼けても火は守られてきた

今回の火災でも「消えずの火はどうなったのか?」という点に注目が集まりました。

実は、霊火堂は過去にも火災で焼失したことがあります。
近年では2005年にも全焼していますが、その際も火種は別の場所へ移され、守られていました。

火種は宮島内の別の寺院施設で維持され、再建後に再び霊火堂へ戻されたとされています。

つまり、「消えずの火」は常に同じ建物の中だけにあったわけではありません。建物が失われても、火を絶やさず受け継ぐことで、「1200年続く火」が維持されてきたのです。

「消えずの火」は、奇しくも日本の歴史と大きく関わっていくことになりました。

消えずの火は八幡製鉄所の「種火」になった?

1901年、日本の近代化を象徴する国家事業として、福岡県に官営八幡製鐵所が操業を開始しました。
製鉄には巨大な溶鉱炉を動かす必要がありますが、高炉は一度火を消すと再稼働に莫大な時間と費用がかかります。そのため、「最初の火入れ」は特別な意味を持っていました。

その最初の火入れに、消えずの火が用いられたと言われています。
日本では古くから「神聖な火」を重要な場面に用いる文化がありました。
そこで、近代日本の象徴ともいえる製鉄所の操業開始に、1200年続く霊火堂の火が結びつけられたのです。

空海の護摩修行の火が、近代日本の重工業の象徴である製鉄所へ受け継がれた。つまり、「祈りの火」が「産業の火」にもつながったと考えられているのです。

「平和の灯」にも受け継がれた炎

さらに、消えずの火は戦後日本の平和とも深く関わっています。

広島市の平和記念公園には、「平和の灯(ともしび)」があります。これは、「世界から核兵器がなくなるまで燃やし続ける」という願いを込めて1964年に点火されたものです。

そして、その種火の一つになったのが、宮島・霊火堂の「消えずの火」でした。空海の修行の火は、戦後の広島では「平和への祈り」の火としても受け継がれているのです。

「消えない」のは火ではなく祈り

現代では、スイッチひとつで火を使える時代になりました。
しかし昔の人にとって火は、生活を支えるだけでなく、神聖な存在でもありました。
だからこそ、「火を絶やさない」という行為には、「祈りや願いを絶やさない」という意味が込められていたのです。

空海の修行、近代日本の産業発展、そして広島の平和への願い―。
さまざまな時代の思いが重なりながら、1200年以上守られてきた文化遺産でした。

今回の火災で残念ながら霊火堂の建物は焼失してしまいましたが、本当に受け継がれてきたのは、「火そのもの」だけではなく、「火を守り続けようとする人々の祈り」なのかもしれません。

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