#477 島国は危険?~時代を先読みした林子平の警告~
日本は四方を海に囲まれた島国です。
そのため、「海が天然の壁になって外国から攻められにくい」というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
実際、日本は古くから島国であることを理由に、大規模な外国の侵略を比較的受けずに歴史を歩んできました。
しかし、江戸時代後期になると、その「島国だから安全」という考えに疑問を投げかけた人物が現れます。
それが仙台藩の学者、
林子平(はやし しへい)
です。
彼は『海国兵談(かいこくへいだん)』という本の中で、日本が海に囲まれているからこそ、海からの脅威に備えるべきだと警告しました。
今から200年以上前のことです。
島国は本当に安全だったのか?
日本は海に囲まれているため、大陸と陸続きの国とは事情が異なります。
例えばヨーロッパでは、国境を越えて軍隊が侵攻することは珍しくありませんでした。
一方、日本へ攻め込むには海を渡る必要があります。
そのため、古代から中世にかけては「海が天然の防壁」として機能していました。
もちろん、13世紀には元(モンゴル帝国)が日本へ攻めてきた「元寇」がありました。
その元寇も、後に「神風」と呼ばれた暴風雨によって元は撤退しました。
島国である日本は海によって敵の侵攻を防いだのです。
その後は長い間、大規模な外国勢力による侵略はありませんでした。
こうした歴史もあり、多くの人が「日本は島国だから安全だ」と考えるようになっていったのです。
世界では海からやって来る時代になっていた
ところが18世紀になると、世界は大きく変わります。
ヨーロッパ諸国は大型帆船を使い、世界各地へ進出するようになりました。
アジアでも、
インド
東南アジア
中国沿岸
などで欧米諸国の影響力が急速に強まっていきます。
つまり、この時代の「海」は、防壁ではなく「世界へつながる高速道路」のような存在になっていたのです。
日本の周辺でも、
ロシア船が北方へ現れたり、
外国船が日本近海へ接近したりする出来事が増えていました。
こうした変化をいち早く危険視した人物が林子平でした。
林子平が書いた『海国兵談』
林子平は1738年に現在の宮城県で生まれた儒学者です。
彼は各地を旅しながら、日本の防衛について深く考えるようになりました。
そして1791年、『海国兵談』を出版します。
この本で林子平は、以下のように主張します。
「江戸の日本橋より唐(から)阿蘭陀(おらんだ)まで境なしの水路なり。然るを是に備えずして長崎にのみ備るは何ぞや。小子が見を以てせば安房相模両国に諸侯を置きて入海の瀬戸に厳重の備をなし度事なり。日本の惣海岸に備ふる事は先此港口を以て始とすべし。此れ海国武備の中の又肝要なる所なり」
以下、現代語訳です。
江戸の日本橋から唐山(※中国のこと)、オランダまで境界の無い水路である。そうであるにも拘わらず、ここに備を置かないで、長崎にだけ守備を敷いているのは一体何なのか。私の意見としては、安房と相模の両国に諸侯を配置して、湾の入口にある海峡部、すなわち浦賀水道に厳重な備を設けるのであるが。日本の全ての海岸を守備するには、まずこうした港の入口から始めていくべきである。
林子平は、
海は敵国の侵入を阻む防壁ではなく、
船が自由に行き来できる場所であり、外国はいつでも日本のどこへでもやって来られると考えたのです。
そのため、
海岸の防備を強化すること
海軍力を整えること
外国情勢を知ること
の重要性を訴えました。
なぜ幕府は出版を禁止したのか?
ところが、『海国兵談』は幕府によって出版禁止となってしまいます。
江戸幕府は「鎖国」を基本政策としていました。
外国との接触をできるだけ避け、国内の安定を維持しようとしていたのです。
そのため、
外国の脅威を強調する林子平の主張は、人々の不安をあおるとして問題視されました。
林子平は処罰を受け、『海国兵談』も発禁となります。
しかし、その後も写本などによって内容は広まり、多くの人に読まれ続けました。
林子平の警告は現実になった
林子平が亡くなって約40年後、日本は大きな転機を迎えます。
1853年、アメリカのペリーが黒船を率いてまさに林子平が指摘した浦賀に来航しました。
巨大な蒸気船と最新兵器を前に、江戸幕府は開国を迫られます。
まさに、
「海から外国がやって来る」
という林子平の予想が現実となった瞬間でした。
その後、日本は開国し、明治維新へとつながっていきます。
林子平の考えは、時代を先取りしていたと言えるでしょう。
現代にも通じる「海国」の考え方
現在の日本も島国です。
しかし、海は「安全な壁」ではなく、
貿易
エネルギー輸送
漁業
安全保障
など、私たちの暮らしを支える重要な場所になっています。
一方で、
領海問題や海洋進出など、海をめぐる国際的な課題も数多く存在します。
つまり、日本は今も「海とともに生きる国」なのです。
林子平が唱えた「海国」という考え方は、200年以上たった今でも大きな意味を持っています。
おわりに
「島国だから安全。」
かつて多くの日本人がそう考えていました。
しかし林子平は、『海国兵談』の中で、
「海は国を守る壁であると同時に、外国がやって来る道でもある」
と警告しました。
当時は受け入れられなかったその考えは、ペリー来航によって現実となります。
社会科では「鎖国」や「黒船来航」を別々の出来事として学ぶことが多いですが、その間には林子平のように、日本の将来を真剣に考えた人物がいました。
『海国兵談』は、日本が世界と向き合う時代の到来を、誰よりも早く見抜いた一冊だったのです。
【目次】
