#393 昔の人は姓と名前の間になぜ「の」が入る?
蘇我馬子(そがのうまこ)
小野妹子(おののいもこ)
藤原道長(ふじわらのみちなが)
源頼朝(みなもとのよりとも)
・・・etc
主に教科書で鎌倉時代以前に登場する歴史上の人物名には、姓と名前の間に「の」を入れて読むことが多い。
それに対して、
足利義満(あしかがよしみつ)
織田信長(おだのぶなが)
徳川家康(とくがわいえやす)
など、それ以降の歴史上の人物の姓と名前の間には「の」は入らない。
この違いは一体なんなのだろうか?
現代では「姓」と「名字」は同じ意味として使われているが、江戸時代以前は「姓」と「名字」はまったく別のものだった。
これが「の」がつくかつかないかの大きな差となっている。
「姓」とは一族のルーツを示すもので、同じ氏族に属している人は皆同じ「姓」を名乗っていた。
それに対し、同じ姓の人が増えていく中でその土地の地名や歴史的な由来から名乗られたのが「名字」で、次第に庶民にも広まって多種多様化していった。
そもそも、「卑弥呼」のように、原始の日本には姓と名前を分けて呼ぶ習慣はなかったと言われている。
「姓」が用いられるようになったのは大和政権においてであり、
「源(みなもと)」「橘(たちばな)」「藤原(ふじわら)」といった天皇から一族を示すブランド名として授けられた「氏(うじ)」とセットで、「姓」は身分や役職を示すものだった。
その「氏」と「姓」が混同されていき、次第に「姓」は現代で言う「名字」
のようなものになっていった。
そして、天皇によって与えられた氏(姓)を名乗る人物を呼称する際は、姓と名前の間に「の」をつける慣例となっていた。
それに対し、起源は定かではないものの、「名字」は同じ姓の人々が自分の支配する地域を明確にするために、その土地の地名を名乗るようになったことが発祥と言われている。
例えば、伊豆北条を本拠とした平氏の一族は「北条」、伊豆伊東を領した藤原氏の一族は「伊東」を名字と名乗るといった具合だ。
北条氏は桓武平氏をルーツとしているため、有名な北条正子の本名は「平正子(たいらのまさこ)」だとする説もある。
他にも、有名な戦国武将である武田信玄の本名は武田晴信(はるのぶ)だが、源氏の流れをくむため、正式な本名は「源晴信(みなもとのはるのぶ)」だ。
このように、昔の歴史上の人物は「姓」と「名字」を両方持っていることは珍しいことではなかった。
室町時代には庶民にも名字の使用が広まっていったが、江戸時代は武士の特権として武士以外の階級の者は名字を名乗ることが許されなかった。
しかし、明治時代に身分制度が廃止されて戸籍制度ができ、すべての人々が名字を名乗ることが必要になると、今まで名字がなかった人々も自分でつけた名字を名乗るようになった。
次第に姓と名字はほとんど同じ意味として使われるようになり、名字(姓)の前に「の」をつける「姓」としての使い方はなくなっていったのである。
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【参考】
