#387 旧国名だと東北地方が大雑把なのはなぜ?
白村江の戦いに敗北した朝廷は、日本各地への支配を強めて国力を高めるために、各地に国司を配置して中央集権化を進めた。
その際に日本列島は50~60数国の「国」に分割された。
現在の都道府県分割のもとにもなっている令制国(旧国名)である。
奈良時代から平安時代初期にかけて分割統合が繰り返されたものの、最終的に68か国となった令制国は廃藩置県が行われる明治時代まで変更がなかった。
この令制国の区分けを見ると、当時の朝廷が日本列島をどのように支配していたのかがよくわかる。
東日本、とくに東北地方の区分けがかなりおおざっぱだ。
陸奥国は現在の青森県、岩手県、福島県、宮城県、秋田県の一部が含まれており、出羽国は山形県と秋田県の大部分が含まれている。
それに対し、西日本、とくに中国~近畿地方は細かく区分けされており、現在の都道府県がより分割されている国も多い。
これは、当時の朝廷が西日本を中心とした政権であり、西日本に比べて東北地方への影響力が小さかったことが分かる。
平安時代には東北地方の北部に住む人々を「蝦夷」と呼び、その人々を従わせるための将軍を「征夷大将軍」としたことからも、東北地方に住む人々が朝廷の「外」と認識されていたことが分かるだろう。
律令という政治のしくみや、稲作、仏教といった日本の中心となる文化や制度は中国や朝鮮半島を通して日本の東側から輸入され、広まっていった。
そのため、当時の日本の中心が西日本であることは当然の結果とも言える。
旧国名や現代の都道府県の地図から、当時の朝廷の支配のあり方を考えてみるのも面白い。
☆今回参考にした本がこちら↓↓
【目次】
