見出し画像

#399 金閣寺はなぜ国宝ではないのか?

金閣寺は国宝ではない?

誰もが一度はその美しい姿を教科書や写真で目にしたことがある京都の「金閣寺(※正式名称は鹿苑寺)」。京都観光の目玉であり、1994年にはユネスコの「世界文化遺産」にも登録されています。

しかし、生徒たちに「実は金閣寺は日本の『国宝』ではない」と教えると、教室内は驚きの声に包まれます。これほど有名で、世界にも認められている建造物がなぜ国宝ではないのでしょうか。
その背景には、昭和の時代に起きたある悲劇的な事件と、文化財を守る日本の仕組みが深く関わっています。

かつては間違いなく「国宝」だった

誤解されがちですが、金閣寺は最初から国宝でなかったわけではありません。室町幕府の三代将軍・足利義満によって建てられた舎利殿(金閣)は、明治時代の1903(明治36)年に解体修理が行われ、その後国宝に指定されていました。

室町時代の華やかな「北山文化」を今に伝える貴重な建築物として、500年以上の時を超えて大切に守られてきたのです。

歴史を変えた1950年の「金閣寺放火事件」

国宝指定が取り消される原因となったのは、1950(昭和25)年7月2日の未明に起きた放火事件です。金閣寺で修行中だった若い僧侶の手によって火が放たれ、国宝であった舎利殿はまたたく間に全焼、完全に崩れ落ちてしまいました。

当時のニュース映像はこちらで見られます↓

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009182952_00000

この衝撃的な大事件は、後に文豪・三島由紀夫が小説『金閣寺』を執筆するきっかけになったことでも有名です。

日本の文化財保護法において、建物が「国宝」や「重要文化財」に指定されるには、「当時のまま現存していること(歴史的・美術的な価値がオリジナルとして残っていること)」が極めて重視されます。火災によってオリジナルの木造建築が完全に失われてしまったため、金閣寺の国宝指定は解除されることとなりました。

現在の姿は「昭和の再建」

現在私たちが目にする金閣寺は、事件から5年後の1955(昭和30)年に復元・再建されたものです。幸いにも明治時代の修理時に詳細な図面が残されていたため、外観は極めて忠実に再現されました。

しかし、日本の法的な基準では「昭和に建てられた近代建築(レプリカ)」という扱いになります。国宝や重要文化財に指定されるほどの歴史的な年月を経ていないため、現在も国宝には指定されていません。

ちなみに、よく比較される「銀閣寺(慈照寺)」は、室町時代の造営当時の建物がそのまま現存しているため、現在も国宝に指定されています。

国宝ではないのに、なぜ世界遺産?

ここで新たな疑問が浮かびます。「国内法で国宝ではないのに、なぜさらにハードルの高い世界遺産になれたのか?」という点です。

実は、世界遺産に登録されているのは金閣の建物そのものだけではありません。金閣寺(鹿苑寺)の敷地全体、特に金閣を水面に映し出す「鏡湖池(きょうこち)」を中心とした池泉回遊式庭園が評価されたのです。この庭園は国の「特別史跡・特別名勝」に指定されており、これは国宝と同等の高い価値を持つと見なされるため、無事に世界遺産の仲間入りを果たしました。

【関連記事】

【目次】

【参考】


いいなと思ったら応援しよう!