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伊坂幸太郎「逆ソクラテス」が繋ぐ教室と世界、過去と未来

小6の時の担任はとにかく説教の多い教師で、事あるごとに授業を中断し職員室に戻っては僕らに反省を促した。説教のきっかけは納得できる内容もあったが解せないことも多い。社会科の時間で教室全体に質問を投げかけた後、シンキングタイム程度の時間で「もういいです、出ていきます」とキレ出した時のことは未だに忘れられない。あれは何に怒っていたんだろうか。卒業式、担任はわんわん泣いていた。感動には説教が必須だったんだろうか。

休日に一緒に遊ぼうと約束した友達グループが時間になっても全然来ず、1日待ちぼうけしたことがあった。小3か小4だったか。翌日、なぜ来なかったか聞くと「家が微妙に遠かったから」だそう。そうするつもりはなかったが気づいたら泣いていた。彼らに何を求めた結果の涙だったんだろうか。最初から遊びに誘うな、かな。こんな風に関わりを求めたてたのに、その時遊ぶ約束をしてた友達が小5になっていじめられた時は何も助けたりしなかった。

自分が小学生だった時の記憶を掘り起こしてみて出てくる思い出はどれも、時間に流されることなく今なお心の片隅に引っかかり続けているものばかりだ。いまだにイラッとしたり、あれは何だったんだろうと思ったり、どうすれば良かったんだろうと思ったり。底抜けに楽しいこともあったはずだけど、残るのはやはりどこか違和感のあるものばかりで何だかなぁと思う。



伊坂幸太郎が4月に出した「逆ソクラテス」を読んでそんな違和感たちが更に鮮明に思い出された。小学校高学年の教室という、ぼんやりとではあるが社会が形成されつつある閉塞的な空間において生じていた多くの違和感。その1つ1つに、聡明で気が効いたり、天然ボケでその場のムードを一変してしまえる、そんな”痛快な小学生”が立ち向かっていく短編が5作品収録されている。

微笑ましく読み進めると不意に、こちら側へも問いを仕掛けられる。そのたびに自分の記憶に接続され、あの違和感が頭に浮かんでくる。実際のところ、あの違和感を今考えたとしても一生解決しないだろう。しかし、ここから変えていけるものもきっとある。あの時のようにならないためにできること、あの時飲み込んだ思いが紡いだ思いがけないこと、あの時は思いつかなかったけれど今なら言えること。きっと沢山あるはずと思わせてくれる。

「逆ソクラテス」には"過去が今を生かし、今が未来を繋いでゆく"という描写が頻回になされる。つくづく思うのだが、出会いは人を変えてゆく。良い方向にも悪い方向にも、不可逆的に変容させてしまうのが出会いなのだと思う。自分の職業柄、多くの人々のこれまで歩んできた人生を詳しく知ることが多い。あの出会いがなければもしかしたら今この人は苦しんでいなかったかもしれない、と思うことは何度もある。もしくは、この出会いがあったからこそ今この人は踏ん張れているのかな、と思うこともある。そんな風に分岐していく人生の形、在り方がこの小説にはさりげなく描かれている。


この小説は伊坂幸太郎自身の子育ての経験がこれでもかと反映されているように思う。文の組み立てがものすごく慎重だから余計に思う。世界を変える決め台詞や圧倒的なパンチラインが奇跡を起こす、というシーンはない。長い文字数を費やして1つ1つの違和感に対する見解を述べていく。まっさらな気持ちで世界の違和感に接触する子どもに対し、自分の持ちうる全てを丁寧に伝えようとする。そんな親としての姿が文面から滲んでいる気がする。

そんな作品を読んでしまうと、どうしたって自分の未来について考えなければいけない。自分が親となり、子を持つようになる時。混迷を極める世界と"勝つ"ことが求められる社会へと連れ出す上で何を伝えることが出来るだろうか。「逆ソクラテス」は育児本の少し後に必要な言葉が多く詰まっているように思う。自分が子どもにとって良い出会いであれるように。来るべき"違和感"と対峙する日に向けて、この本とともに自分の言葉を磨きたい。


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