「どうせなら、コーラが飲みたい」と言い出す赤ん坊『タマシイム・マシン』/タイムマシンで大騒ぎ⑱
いきつけの理髪店で最近「東京卍リベンジャーズ」を読み始めた。(←今更)
何となく内容は聞いていたけど、「タイムリープ+ヤンキー」というジャンルの掛け合わせが新鮮で、かなり面白く読んでいる。(←今更×2)
漫画を読むスピードは速い方だと思うけど、散髪一回につき一冊読むのが精いっぱいで、先日ようやく2巻目を読み終えた。全31巻あるというので、読み終えるのに何年も掛かりそうだが、漫画喫茶などで浮気せずに、散髪時専門にしようと思う。
ところで、「東京卍リベンジャーズ」を最初に読んだときに、「ドラえもん」のとあるお話を思い出した。それが今回取り上げる『タマシイム・マシン』である。
詳細は後述するが、魂だけを過去へと送ることができる一種のタイムマシン(=タマシイム・マシン)のお話で、これを使って過去と現在を行ったり来たりすれば、「タイムリープ」となる。
いつもの「タイムマシン」と大きく異なる点は、現在の体で過去に行くのではなく、過去の体に乗り移れるというところ。周囲から見ると、外見は変わらぬままなので、そこでドラマが生み出されることになる。
「東リベ」では、大人(20代)の心で中学生に体に戻るのだが、周囲からすると何かこれまでと違う印象を持たれたりもする。幼稚な20代だったとしても、厨2と比べれば多少なりとも心は成長しているものなのだ。
さて、藤子流の魂の過去への移動はどんなドラマを生むのだろうか。
「ドラえもん」『タマシイム・マシン』
「小学四年生」1977年1月号/大全集6巻
物置の掃除を頼まれたのび太。ところが赤ちゃんの頃のアルバムが出てきて、「こんな頃もあったんだなあ」と感傷に浸って見入ってしまう。お掃除あるあるである。
のび太は「この頃が一番良かったなあ」としみじみするが、赤ちゃんの頃が一番だったと述懐する小学生というのもどうだろうか。
そこへママが「ちっとも捗らない」とガミガミ注意していくる。のび太は慌てて片付けを再開するのだが、転んでひざを擦りむいて出血してしまう。「血が出た、ママ!」と騒ぐのび太だが、ママは「つばでもつけてなすってときなさい」と冷たいお答え。
のび太は「大きくなるにしたがって、僕は粗末に扱われているぞ」と表情を曇らせ、「あの幼かった頃に帰りたい・・・」と悲しそうな遠い目をするのであった。
そこでドラえもんは「じゃ、帰そう。ほんのしばらくなら」と言って、「タマシイム・マシン」という小さめの機械を取り出す。
魂だけがタイムスリップして昔の自分の体に移れるという道具で、タイマーをセットできるので、過去に行きっ放しにならずに自動的に戻ってこれる。
そこで早速、機械を頭に取り付けて、満一歳の頃へと魂を送り込む。抜け殻となったのび太は、そのまま庭に倒れる。ドラえもんは「たまには思い出の世界で遊ぶのもいいだろ」と、倒れたのび太を放置して、にこやかにその場から立ち去っていく。
そこへママがやってきて、「そんなところで昼寝して」と、もぬけの殻ののび太を叱るのだが、当然全く反応しない。「ちょっと、どうしたの? のびちゃん」と心配になるママ。
一方、のび太の魂は、ベッドで横になっている一歳児の体に入り込む。魂だけではなく、言語能力も移行できているようで、赤ちゃんになった自分の姿を確認して「ワーイ、赤ん坊だ、赤ん坊だ」と口にして喜ぶ。
そこへのび太のママが哺乳瓶を持って現れる。にこやかに赤ん坊ののび太を抱き抱えて、ミルクを飲ませる。
すると久しぶりに飲んだミルクは生温く、赤ちゃんのび太は「あのさあ、どうせならコーラが飲みたいんだけど」と声に出してしまう。
突然しゃべり出しただけでなく、その内容が「ミルクではなくコーラが飲みたい」という衝撃発言だったので、ママは飛び上がって驚き、慌ててパパを呼びに行く。
そんなわけないと、疑いの表情を浮かべたパパとおばあちゃんが連れられてくる。パパが「のびちゃん、コーラって言ってごらん」を声を掛けると、赤ん坊のび太は「パパ」と返事をする。
一歳児に「パパ」と呼ばれたパパは大喜び。続けて「ママ」「おばあちゃん」と声を掛けたものだから、大人たちは「こんな利口な子、初めて見たよ」と大騒ぎになる。
そんな大人たちの反応を見たのび太は「あまり喜ばせると後でがっかりするから気を付けよう」と内心反省する。
ちなみに小学四年生の頭脳で幼児に戻って、天才児だと勘違いされるという展開は、本作の三か月後に発表となる『人生やりなおし機』でさらに深堀りされることになる。
赤ん坊となったのび太は、大事にされるこのひと時を満喫する。パパに高い高いをしてもらい、おばあちゃんにおんぶしてもらって散歩に出掛ける。ボール遊びでは「おじょうず」とママに褒められ、不用意に金魚鉢をひっくり返しても叱られない。
ここで、我が子のことを思い出すが、確かに赤ちゃんだった頃は、僕も妻も小言を言うことはなかった。叱ったり注意したりは、成長を促す行為ではあるのだが、赤ちゃんの時代は、好きなことを好きなだけやらせることが教育だったのだ。
この作品で描かれるのび太の赤ん坊時代は、ママもパパもおばあちゃんも、いつもニコニコと表情が緩んでいる。赤ちゃんがいる暮らしとは、にこやかな時間が流れているということなのだ。
ゴロゴロしているのび太を見て、ママが「そろそろおねむなのね」と、ベッドに連れていく。そして「お歌を歌ってあげますからね」と言って
「坊やはよい子だねんねしな。坊やのおもりはどこ行った。あの山(越えて)里へ(行った)」
と江戸子守唄を歌うと、赤ちゃんのび太の気が遠くなっていく・・・。
のび太が目を覚ますと、そこは小学四年生の世界。先ほど庭で倒れこんだのび太に魂が戻ってくる。目の前では、ママが一生懸命にのび太の体を揺すって、涙を零している。
ママはのび太が庭に転がっている姿を見て、ずっと心配していたのである。「気が付いたのね、良かった! 死んじゃったのかと思ったわ」と号泣してのび太に抱きつく。
普段は小言だらけでも、我が子ののび太のことを心配し、愛してくれているのである。
のび太はそんなママが意外で、「そんなに心配した?」と尋ねると、「当たり前でしょ、心臓が止まりそうになったわよ」と、心から安堵した様子である。
ママはまだ膝がガグガグする。熱が出たみたいとショックを隠せず、部屋に戻って寝転がる。頭には冷やしたタオルを置いている。
ママの様子を確認したのび太は、先ほど赤ちゃん時代にママに歌ってもらった江戸子守歌を歌いながら、掛け布団をママに掛けてあげるのであった。
感動的かつ、どことなくシュールな終わり方が、なんか好きである。
「東京卍リベンジャーズ」では、中学生に大人の魂が宿るが、それが抜けると中学生の頭に切り替わる。周囲からすると、大人っぽい主人公と中坊の主人公が切れ目なく居ることになる。
それは相当な違和感に違いない。
本作で言えば、小4ののび太の魂が抜けた赤ちゃんのび太は、再び普通の赤ん坊へと逆戻りとなる。短い期間だったとはいえ、ちょっとした確変の余波は残ったのではないだろうか。
またこの後に『人生やりなおし機』でも天才的な子供だと思われ、それもまた終わる。
のび太の幼少期は何かと能力のバラつきがあるように見えたはずで、周囲の家族はどんな気持ちになっていたのだろう?
そんなことを考えたりするのは、子の親になったからだろうか。
