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選挙演説の喧噪の中で思うこと

自分の住んでいるところは、どうやら激戦区と呼ばれる選挙区のようで、ひっきりなしに選挙カーが通り、駅前のロータリーでは頻繁に街頭演説が行われている。「○○氏来る!」といった立て看板も目につき、大物議員の応援演説なども行われているようだ。

僕はこれまで投票する機会はあれば、必ず投票してきたので、今回もきちんと日曜日に一票を投じてこようと思う。


ときに、こちらのnoteではあまり政治的な発言をすることを控えているが、これは藤子F先生の姿勢を勝手に見習ったものである。

藤子作品を読むと、社会の諸問題に対してどこか達観したところがあるが、かといって無視を決め込んでいるわけではない。

例えば、「T・Pぼん」の『戦場の美少女』では戦争がもたらす悲劇を真正面から描いているし、「ドラえもん」の『モアよドードーよ、永遠に』では人間中心の考え方が自然界にとって悪い影響を与えていることを明らかにしている。

ただし、個別具体的な、現体制を批判するような政治的・社会的な発言をせずに、大所高所な視点からの、人間の愚かさや業の深さなどを描いているように思う。


今回の選挙では裏金問題に端を発した「政治とお金」というテーマが語られるが、藤子流で言えば、裏金を作るような政党を支持しない、というようなメッセージを発することはしない。

それよりは、賄賂に満ちた社会を笑い飛ばす方向で描く(例:「ドラえもん」『Yロウ』)。

批判するにしても、そこにはユーモアが組み込まれて、メッセージ性が前面に出ないような作りとなる。

もちろん、世の中を笑い飛ばすだけでは、単なる冷笑主義に陥ってしまう。間違っている部分はきちんと指摘して、世の中の歪みを矯正させねばならない。

しかし、世の中の歪みを偉そうに指摘しても、聞く人を選んでしまっては意味がな。それよりは、大笑いさせながらも、「あれ、これって世の中おかしいせいだよね」と自発的に考えさせることを狙っているように思う。いわゆる「問題提起」である。


僕個人はそんなデキの良い人間ではないので、プライベートでは散々政治的発言をしているし、個別具体的な批判ばかりの男である。

けれど、WEB上で残る文章については、必要以上に何か特定のものを絶対的な批判をしないように心掛けている。こういう発言する人なんだと思われた場合に、他の文章も読んでもらえなくなると考えているからだ。

世の中に何かを残すことって、そう考えると本当に難しい。驚くべき量の作品を残し、それでいて何か極端な思想を感じさせない藤子作品の懐の深さに、改めて感銘を受ける。

選挙演説の(空疎な)喧噪の中で、そんなことを考えたのであった。




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