価値観がアップデートできない時
この間、久しぶりに大勢の前で、「世帯を持たなきゃ親に顔向けできない」的なことを若者に説いているご年配の方を見かけた。
正直、いまだにこれほどの余計なお世話を公言する人がいたことに驚いたし、こうした明治・大正・昭和のみ通用した価値観が、令和においても生き延びていることが実感できた。
世帯を持つとか、結婚するとか、子供を持つとか、親と同居するとか、独立するとか、そんなことは人それぞれだし、個別の事情もある。
あまりに堂々と主張されていたので、こちらも反論する機会を失ってしまい、せいぜい隣にいた女性に「多様化の時代ですからね」と告げることしかできなかった。
あらゆる人が自分が信じる価値観はあると思うし、それはすべからく尊重するべきである。しかし、それを押し付けてくるのであれば、話は違う。
こちらにも正義があるし、心の奥底で温めてきた主張がある。けれど、それは他者を巻き込むものではないと自覚している。
それゆえ、己の価値観を毀損してくるような相手に対しては、看過できないのである。
ただ、この老年の主張を聞いた時に、自分も独自の価値観を他者に押し付けていないかと、ちょっと気になった。
例えばこのnoteでも、好き勝手なことを書いているので、時折、偏った考えであるという指摘を貰うこともある。
普段でも、後輩たちに「こうあるべき」といったべき論を披露してしまうこともある。
その中に、人それぞれの価値観を踏みにじるような内容が無いとも限らない。
以前に比べ、発言に気を遣う必要性が高まっていることは確かで、それは窮屈な側面もあるが、やはり時代の流れは無視できない。
ただ、自分の培ってきた価値観を急に変更することはできないので、徐々に時代にアジャストしつつ、せめて時代にそぐわない可能性のある価値観は、グッと心の中に秘めておいた方が良さそうだ。
価値観をアップデートさせる。アップデートできないのであれば、せめて口を慎む。そういう態度が求められる時代なんだろうなあ、と思う。
