プライドを捨てよ、と言うけれど。
仕事をする上で、「プライドを持て」とか、逆に「プライドを捨てろ」などと、自己啓発的場面でやたらと俎上に上る言葉が「プライド」である。
でも、そもそも「プライド」という言葉の定義が非常に曖昧な気がしたので、改めて手元の辞書を引いて調べてみることにする。
すると、下記のように記されている。
プライド:誇り、自尊心
わかったような、ますます曖昧なような・・・。
そこで今度は「誇り」と「自尊心」について調べてみる。
誇り:自分の置かれた立場がやましくないと自ら恃(たの)む(やった仕事は意義が有るもので、少しも他人にひけを取るものではないと思う)気持ち。また、そういう気持ちを起こさせるもの・人。
自尊:①自分自身を相当な存在であると思いこむこと。②自分を大事にし誇りを持つこと。
「思い込む」とか、「やましくないと自ら恃む」とか、少々手厳しいニュアンスが含まれている。
ここで少々脱線するが、僕が手元に置いている国語辞書は、「新解さん」と呼ばれている個性的な辞書、「新明解国語辞典」である。
この辞書の特に古い版では、驚くほど辛口な言葉の定義が出てくるので、読み物としても楽しい一冊となっている。
上記の「誇り」や「自尊」は、そんな辛口言葉の好例と言えそうだ。
「誇り」とは、一般的には「自分が自分のことを名誉と思う感情」のことだが、「新明解」では、その感情に含まれる恣意的なニュアンス、自己満足的な危うさみたいなものが見事に表現されている。
「自尊」の項目では、自尊という感情は「思いこみ」だとまで言い切っている。
すなわち、新解さんの解釈を少々広げて受け止めるならば、プライドは自らが作り出した幻影である可能性があるので、少なくとも取り扱いには注意すべき言葉、ということが言えそうである。
僕自身、余計なプライドは捨てろとか、もっとプライドを持てとか、まるで180度異なるアドバイスを受けて育ってきたが、そのどちらにも与することはできない。プライドの扱いは、もっと微妙なものなんだと思う。
例えば「プライドを捨てろ」と言われた通りに全て捨て去ってしまうと、自分自身の存在や、これまで取り組んできたことがまるで意味がないように思ってしまうかもしれない。
そうなると、自分に自信を持てない状況に追い込まれて、まともな判断が下せなくなるだろうし、何より心が傷んでしまう。
誰彼問わず「プライドを捨てろ」と助言してはならないように思う。
一方で何でもかんでも「プライドを持て」というのもどうだろう。プライドとは、自分で自分の尊さの分量を決める性質のものなので、無尽蔵にプライドを持たれても、周囲とのギャップが生じてしまう。
つまり自分が評価する自分(自己評価)と、他者から評価を受ける自分(他己評価)に、強烈な差が生まれてしまう可能性があるのだ。
それは傍目にも単なる「痛い人」だし、どこかで過剰なプライドが傷ついて、心的ショックを受けるかもしれない。
やはり、誰彼問わず「プライドを持て」とアドバイスしてはいけないものなのだ。
僕自身を見つめてみれば、プライドについては、やはり人並み以上に胸に秘めているものと思う。「これだけやってきたのだから」、「これだけ考えてきたのだから」という過去の積み上げを根拠にして、プライドを作り上げてきた。
でも、自分の能力が世の中に大いに貢献できるものなのかと問われれば、プライドは簡単に揺らいでしまう。根拠なく自分に能力があると思い込めない性格でもあるからだ。
人はプライドを持って生きるべきだが、プライドを清潔に保ち続けるのは困難だ。プライドを持つ根拠が絶対的に必要だからである。
つまりは、自尊心や誇りを持ち続けるためには、たゆまない根拠作りの努力が欠かせないということなんだと思うのである。
