雑談ができないと自らを苦しめることになる
雑談というと、こんなイメージを持つ方もいらっしゃると思う。
・特に仲良くもない人と、さも親しげに会話をする
・中身はその場限りで、まるで発展性はない
・この会話をきっかけにもっと関係性を深めたいとも思わない
・あくまで表面的、表層的な間柄に留まる行為である
けれど、こうした他愛のない会話を二度三度繰り返していると、なぜかお互いに打ち解けていくのがわかる。
会話は相変わらず弾むわけではないけれど、双方を隔てる変な間が消えて、駆け引き的なことはしないで済むようになる。
そうなると心が楽になり、その人が近くにいても何ら気にならなくなる。
そんな風に、上っ面なやりとりを延々と繰り返しているのが僕である。
雑談に積極的に取り組んだ結果、周囲とは大体打ち解けて、気軽に話しかけられるようになり、こちらからも遠慮なく会話を申し込むことができている。
そんな僕が常日頃気をつけているのは、苦手な人をなるべく作らないようにすることだ。
苦手だなあと思うと話しかけづらくなるし、向こうもきっとそう思ってしまう。結果、関係がギクシャクしてしまう。
ギクシャクした関係性は単純にストレスの素になるし、ストレスの素が増えていけば、それだけ生きづらくなる。
それほど親しくもない周囲の人との間にストレスが生まれ、それが原因で嫌な気持ちで過ごさねばならないのは、ちょっと度し難いことである。
けれど、残念ながら人間関係は放っておいても何ら進展しないし、むしろ何を考えているかわからんというストレスが生まれてしまうことになる。
残念ながら、僕らには表層的な会話=雑談が必要なのだ。
大げさではなく、雑談ができないということだけで、その後の自分自身を苦しめてしまうことにも成りかねない。
身を守るため、なるべくリラックスして過ごすため、僕は極めて表面的な雑談に臨む。
それも躊躇なく。
