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錆色の猫

子供の頃、実家にご飯を食べに来ていた猫がいた。もともとは近所の祖父母の家で飼われていた子だったが、祖父母が面倒をみなかったので我が実家に出入りするようになったのだ。年齢不詳。聞いたところによると20歳以上。結構大柄。体全体錆色。顔は美形。尻尾が分かれてないか確認したものだが、尻尾は一本のみ。

実家の部屋の中までズカズカ入ってきては、あくびをしながら炬燵の掛け布団の上で大の字に。たまにその布団の上でおねしょもした。実家では猫用のトイレを置いていたが、なかなか使ってはくれず。猫が粗相をするたびに母が怒る。母に叱られた猫は、鬱憤を私にぶつけるべく、私の手に思い切り噛みつき、爪を立て、両足で私の腕や足を全力で蹴り倒す。おかげで、子供の頃の私の両手両足は、噛み傷や引っ掻き傷だらけだった。猫が実家内の人間の順位をどのようにつけていたかは知らないが、間違いなく私の順位は家族の中で最下位であったと思われる。

猫は猫らしく、家族の誰にも媚びなかった。来たい時に実家にふらりとやってきては、数日家でゴロゴロしたり、ご飯だけ食べてすぐ外に出ていったこともある。彼女は自由に生きていた。私が学校から帰ると、よく実家の庭に生えていた柿の木に登って辺りを見回していた。木の枝の又に優雅に寝転び、風に吹かれていた。私が帰ってきても一瞥もくれない。いつものことだ。

ある日、学校から戻ると、猫が柿の木の枝に寝転びながら、私を見て『にゃー』と一声鳴いたのだ。私は嬉しくて『ただいま』と答えた。おそらく猫語で『おう、よう帰ったのう』と初めて言ってくれたのだろうから。珍しいこともあるもんだ。


ところが。


その日を境に、猫は実家の家族の前から姿を消した。私はあちこち探したのだが、彼女はどこにもいず、その痕跡すら残っていなかった。野に生きる猫は、死にゆく己の姿を見せないという話を思い出した。本当に、彼女はそれっきり姿を現すことはなかったのだ。まるで初めから存在しなかったかのように。見事な幕引きであった。あの『にゃー』は、『元気でな』っていう別れの一声だったのか。


今でも、実家の庭の柿の木の枝に寝そべって、気持ち良さそうに風に吹かれていた猫の姿を思い出す。その最期が、穏やかなものであったことを願って止まない。








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