愛するということ
「私はやっぱ東京嫌い」
「東京の人ってみんなテイカー」
松山の狭いホテルの一室で床に座り、私のあげたチョコレートを食べながら彼女は言った。
私は東京の人だけど、彼女の言っていることがよく分からなかった。
昨日はジョイフルというファミレス(四国と九州にしかないらしい。東京の人である私からすると、ジョイポリスとジョナサンの狭間みたいで何かイメージできるようで何もイメージできない。)で、「私はやっぱ東京嫌い」と言った友達と、その友達のずっと愛媛にいる女の人に会った。
初めて会ったその女の人が21時頃に放った言葉が忘れられない。
「人にやってあげたら絶対返ってくるよ」
「私は人にやってあげたいからやってる。どうしたらこの人を喜ばせられるかな、楽しませられるかな、立ててあげられるかなって考えるのが好き」
あんな綺麗事をあんな綺麗な目で話す人を初めて見た。
嘘をついてない目。
「俺は目を見て話してくれる人は全員信じるよ」
今日は朝起きてメイクをしてホテルを出たらまず古本屋に行った。フロムの『愛するということ』を買った。800円だった。新宿の紀伊國屋書店にもあると知っていたが、今必要だと思った。
カフェに入って少し読んだけど落ち着かなくて、外に出て城山公園を歩いた。愛媛の公園には仕切りのないベンチがある。そこでは、寝転がって本を読むことができる。


「与えることはもらうよりも喜ばしい。それは剥ぎとられるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。」
「与えることは、他人をも与える者にする。」
「愛とは愛を生む力であり、愛せなければ愛を生むことはできない。」
昨日ジョイフルで見たあの目を思い出す。
まっすぐな目で「人にやってあげたら絶対返ってくるよ」と言ったその人は、確かに「与えるという行為が自分の生命力の表現」である人だった。
昨日「私はやっぱ東京嫌い」と言った友達が、私とその女の人に「2人は今まで行ったカフェの中で一番やばかったカフェどこ?」と質問した。
私は彼女の使う「やばい」というのが、食器が全て大蔵陶園で、立派な百合が生けてあって、ジャズが流れており、注文を取るウェイトレスのペンがふさふさの羽根ペンであるようなことだと知っていた。
しかしその女の人は、「私あるで。きったないゴミ屋敷みたいなカフェなんやけど、ケーキのサンプル置いてあるのにケーキはないって言われて、アイスならあるって言われたからコーヒーフロート注文したんよ。したらグラスに注がれたコーヒーだけ出てきて、後からジジイが手でアイス握りしめて上に乗せてきよったんよ。」と言った。
本当に素敵な人だ。
昨日はずっとこんな調子でこの人の面白さに殴られ続けた。私と友達は手も足も出なくて、ただその人の面白さにひれ伏し、壁にしがみついて笑った。
仕舞いには3人でたらふく食べた回転寿司の会計を「絶対に受け取らんから」と言って奢ってくれた。
ふと思った。面白い話を浴びるほど聞かせてくれてお寿司まで奢ってくれて、私たちなんて完全に彼女の客という感じだったのに、彼女はどうして全く痛々しくなく、むしろ喜びに満ちた顔をしていたのだろうと。
私は最近人に期待されるようになった。どこに行っても「あなたは何を考えてるの」「あなたは何になるの」とキラキラした目で聞かれる。私は人に嫌われるのが嫌いだから、人の期待に応えたいと思う。その人が私に望むものを、私から奪いたいものを探る。それはまるで深い海の底に潜っていくようで息が詰まる。逃げ場がないと思う。
「ゆきのちゃんはなんで東京好きなの?」
「私はやっぱ東京嫌い」と言っていた友達に聞かれた。
私は自分も含めて東京には利己的な人が多いと思う。
みんな自分の人生が一番で、お互いのテンションが合う時に会う。
私はその距離感が心地いいと感じていた。
この人の人生は私が現れたくらいで崩れたりしないんだということが私を安心させた。
友達は「東京の人ってみんなテイカー」と言ったけど、私はそうは思わなかった。
だけどじゃあ、私が人の期待に応えようとすると「苦しい」と感じるのはどうしてだろう。
まっすぐな目をして「人にやってあげたら絶対返ってくるよ」と言い、ジジイが手にアイスを握りしめてコーヒーの上に乗せてきよった話やそれくらい面白い話の数々を惜しげもなく披露し、たらふく食べた回転寿司の会計を「絶対に受け取らんから」と言って奢ってくれたあの人と私は何が違うんだろう。
その答えは今日、フロムから教わった。
私は与えることを剥がされることだと思ってる。
それは私が人から与えてもらうことをどこか当然のように感じていることの裏返しだ。
あの人は、与えることを生命力の表現だと思っている。与えることは、他人をも与える者にすると知っている。
だから何って話でもあると思う。
これも綺麗事ではなくて、じゃあ利己的な人は悪で利他的な人が善ってわけでもないと思う。
私はやっぱり東京が好きで、東京の人をテイカーだとは思わない。
だけど、「人にやってあげたら絶対返ってくるよ」と言った彼女の目に憧れてしまったのも事実だ。
信じている人の目は信じられる。
私はこの人の信じているものを信じてみたいと思った。
そして、信じてみたい人が東京にもいる。
それは両立すると思う。
それは両立するということを私が信じたいと思った。
