私の父は、セミのお医者さん。
私の父は、昆虫好きだ。
虫取り少年、いや、言うなれば、虫取りおじさん。
小さい頃からずっと続けている趣味は、どうやら昆虫採取らしい。
子供の頃は、とんぼやカブトムシなど、
あらゆる昆虫を採って持ち帰っては自分の部屋に放ち、
たまたま部屋に来たおばあちゃん(私の曽祖母)はびっくり仰天。
すぐさま外に逃しなさい、と言われたそうだが、
懲りずに何度もやり続けたようだ。
そんな父は、若い頃、周囲の大人に理解されなかったようで。
大学は園芸学部に進みたかったようだが、
「それじゃ食べていけないだろう」と両親(私の祖父母)の猛反対に遭い、
違う道に進まざるを得なかったそう。
せめて自分の子どもには好きなことをやらせてあげたいと、身を粉にして働き、
お陰で私たち(3人兄弟)は、望む道へと進むことができた。
お父さん、ありがとう。
そんな父が、夏に変わらずやること。
それは、セミの命を救うこと。
セミには失礼だが、何となく、あらゆる昆虫の中でもずば抜けて頭が悪いように思う。
バタバタとこちらにぶつかりそうな勢いで飛んでくるなと思った瞬間、木にぶつかったり。
なぜ、蝶々やトンボのように優雅に飛べないのだろう。
予測不能な飛び方をするので、個人的には苦手だ。
そしてよく地べたでひっくり返っているのも、セミな気がするのは私だけだろうか。
ひっくり返ったまま放置をすると、昆虫はいずれ死んでしまう。
そうしていつの間にか、アリの餌食となるセミを、私は幾度となく見てきた。
父は、そんなセミたちが不憫でならなかったのだろう。
俗には7年と言われる長い時間を土の中で生き、
やっと地上に出てきたと思えば数週間で死んでゆくセミ。
せめてセミとして、精一杯鳴くだけ鳴いて、命を終えて欲しい。不慮の事故でひっくり返ったまま死ぬなんて、可哀想だと。
だから、いつかの夏から、我が家のLINEは、
父からのセミのメッセージでハックされるようになった。
「今日の患者さんだよ。」
!?!?!?
ある時は、マンションの入口でひっくり返っていたセミを助け、
ある時は、駅のホームでひっくり返っていたセミを助ける。
またある時は、夜コンビニの前で必死にもがくセミを助け、我が家に持って帰ってくる。
そして一晩、家の観葉植物に止まらせて、翌朝元気に飛ばしていく。
元々、昆虫が得意でなかった母も、
「あら、また今日も患者さんが来たのね。」
そんな感じで、今では慣れっこだ。
父の趣味に付き合うのも我々息子娘の大事な任務。
今でも、セミの幼虫やカブトムシ、クワガタ探しをする父に付き合う。
暗くなってから男一人、ガサガサと雑木林に入っていくと不審に思われるかもしれないから、
「子どもたちと一緒に行けば安心だ」と父は言う。
いやいやお父さん、私たちももう30前後、
世の中の子どもたちから見ればもう、立派な大人なんだけどね。
そう思いながらも、父子水入らずの時間は今となっては貴重なので、実家にいる時は問答無用で付き合う。
2022年の夏。
いつもはアブラゼミばかりだけど、初めてニイニイゼミの幼虫を見つけた父と私。
久しぶりに、セミが成虫になるまでを鑑賞した。
小さい頃から何度も見ているのでもう慣れっこなはずなのだが、あら不思議。
セミセラピーとでも言うのだろうか。
殻から透明な成虫が出て来る様子は、何度見ても神秘的。その美しさといったら、ため息ものである。
ひとつの命が重大な局面を迎え、やがて成虫になる。目の前で懸命に命を繋いでいる。間違って地面にでも落ちてしまえば、途切れてしまう命。時間にして数時間、固唾を飲んで見守る我々。そして、無事に変化を遂げる姿に、なぜか心を打たれてしまう。
翌朝、元気よく飛んで行ったセミを見て、ほっとする父と私。
やはり親子である。
以前、ふと父に聞いてみたことがある。
お父さんの子どもの頃からの夢、今からでも叶えてみたら?
そう。昆虫博士になるという夢。
今から大学に行ったっていいじゃない。我々子ども達も応援したいし、金銭的な問題がネックになるなら、支援だってできる。
(というか、父のスネをかじり倒したので…)
「それはいい考えだなあ〜」
父はそんな風に言うが、本気で動こうとしない。
そんな父のことを、何でだろう、といつも不思議に思っていた。
一方、父は父で、今のあり方に満足しているようだった。
たまに行動にも移していた。
退職した方が多く集まる社会人大学に行って、里山散歩のようなイベントに参加してみたり。
地球の神秘、生き物の進化、のような番組は欠かさずチェックしていたり。
旅行中は人一倍、空や地面に目を向けて、植物や昆虫を愛でたり。
私がアフリカで撮ったサルの写真を家族LINEに送ると、
「これ知ってるよ!ベルベットモンキー!顔が黒くてお尻が青いサル!」
嬉々として教えてくれたり。
アフリカ人よりも父から、アフリカの昆虫や動物の名前を教わった気がしている。
60歳を過ぎても少年の心を失わない父。
それでいいのかも。
ふと、思った。
父が幸せならば、今のままでいいのかも。
というか、昆虫博士になるって夢、もう叶ってるのかも。
だって、家族や親戚の誰よりも、私が出会ってきた誰よりも、詳しいのはお父さんなんだもん。
私にとっては、立派な博士だ。
なかには世間に分かりやすい形で夢を叶える人もいる。
でも本来は、「夢を叶える」って、それで食べていくとか、試験に受かるとか、そんな客観的な成果だけに縛られる必要もないのかも。
父を見て思った。
それらはきっと、こんな風に日常の小さなひとコマに散らばっていて、
「あ、今まで積み重ねてきたことって、こういうことだったのか」と気づく。
小さなことでも、目の前にいる誰かを助けたり、教えたり、楽しませることができた瞬間、
「あ、あのときの学びが役に立った」と思う。
それもひとつの、想いが花ひらく瞬間。
そういう経験は、きっと、誰にでもある。
セミを愛する父の何気ない習慣から生まれた、セミ救助。
今では、我が家の夏の風物詩だ。
来年の夏は、どんなセミに出会うかな。
父からのLINEが、早くもちょっぴり楽しみだ。
あえてここでこっそり注文しておくとしたら、
少しでも多くのセミの命を助けてあげて欲しいなと思う。
一見簡単なことだけど、誰にでもできることではない。
これは、父だからこそ自然にできる技なのだと、私は知っているから。
