ARグラス+Apple Watch+Qwen3.8によるライフログ&思考サポート環境Artemis
これまでにApple Vision Proや、もっと大昔には片目用ディスプレイなど、いろいろと頭につけるデバイスを試してきたが、最近流行りの何度目かのARグラスブームに居てもたってもいられず、ついにRokid Glassを買った。
なぜこの機種にしたのかというと、まず、Metaの日本版の製品ではカメラはついていてもディスプレイがついていなかった。Even G3は、ディスプレイはついているけどカメラはついていなかった。
それだとどちらもあまり実用性がない。
GOROmanのEven G3をかけさせてもらったことがあるが、会話に割り込んできて要約だの翻訳だのが表示されるのだが、基本的に邪魔である。
唯一、SDK(ソフトウェア開発キット)が充実していてカメラもディスプレイもついているのがこのRokidだけだった。
昔だったらたとえSDKがあったとしても「あたらしいSDK覚えるめんどくせえ」と敬遠していたところだが、今はAIがある。
AppleWatchの画面からSSHコンソールを叩こうかと思ったが画面が小さ過ぎて断念した。RokidならたとえばSSHで学習やレンダリングの途中経過を確認したりできる。
またそれ以上に魅力的なのが、ここ数ヶ月開発しているApple Watch用アプリとの連動だ。
最初はiPhoneで音声認識してiPhoneの端末内でLLMが動いて1日のできごとを要約するというものにしていたのだが、最近は母艦のMacに直接音声データを送り、Mac上でQwen3.8 27Bを動かしてかなり高度な要約ができるようになった。記録だけでなく音声コマンドで調べ物をさせて、その結果をRokidグラスで受け取れるツールを早速作ってみた。

これは意外とイイ。
Even G3のように勝手に検索してくれるのは便利だが鬱陶しい。これは「⚪︎⚪︎について調べて」とか「過去のログから⚪︎⚪︎について言及してるところを探して」とか言うと、めちゃくちゃ賢いQwen3.8 27Bが過去ログや自分のローカルのMacのファイルをエージェンティックサーチしてくれて「それは⚪︎⚪︎です」と答える。まさに記憶の拡張装置だ。

当然ながらiPhoneに内蔵されているAIよりMacで動くAIの方が強力だし高速だ。そのうえクラウドのAIを使わないのでプライバシーの問題も大丈夫だ。暗号化もPQC(ポスト量子暗号/耐量子暗号)に対応したのでHNDL攻撃(Harvest Now Decrypt Later,現在暗号化されたままの情報をできるだけ採集しておいて量子コンピュータが実用化されてから復号する)にも対抗できる。
とにかく到着初日から実用的なアプリに応用できて驚いた。まあAIがすごいんだけど。そういう時代なんだろう。
これからの時代、自分の記録をどこまで自分で持っているか、自分で管理するかが最も重要になる。公開された知識や情報は学習され、没個性化されてしまうからだ。
自分しか持たない経験、自分しか知らない感情といったものが人間の一番大きな財産になる。ボケてきてからでは遅い。
さらに、実験的にだがRokidで一定時間ごとにシャッターを切るライフログカメラ的な機能も作ってみた。ただしRokidは撮影するたびにLEDが点灯するのであんまり頻繁だと鬱陶しい。
Apple Watchで常時録音+Rokidでオンデマンドで情報の掲示はかなり相性がいい。Rokidアプリを直接作らなくてもiPhoneアプリの通知機能を使えばRokidにリアルタイムで表示できるため、例えば自宅のMacとかLinuxマシンとかで動いてる自作のエージェントハーネスからDiscord経由で自分にメッセージを飛ばせば表示できる。
ただ問題があるとすれば、夏の日中は屋外でほとんど表示が見えないこと。まあこればっかりは現代科学の限界かな。
でも、未来のメガネ型コンピューティングがどうなるか、そのプロトタイプを作るテストベッドとしては優秀だと思う。
とにかく開封して一時間で自分の思い通りのアプリが作れたのは感動した。
さらにRokidで開発したいと思うと、iPhoneアプリだけでは足りなくなる。本当はRokidは開発用ケーブルがあるとRokid内のAndroidを直接プログラミングできる。それを使うとSSHクライアントも作れるのだが、そのケーブルはまだ届いていない。
届いたら真っ先にSSH経由でエージェントハーネスに組み込もう。
ヘッドマウントコンピュータの変遷
ちなみに頭につけるディスプレイで本格的に何か作ってみようと思ったのは15年ぶりくらいだ。
このとき、自転車用のARグラスという概念を考えた。もちろんそのままでは無理なのでiPhoneをチョンマゲのようにヘルメットの上に固定し、コンパスを使って画面に地図や目的地を示す方向を表示した。
ただこの頃のARグラスというのは、本質的にただのディスプレイなので計算やらなんやらの処理は全部iPhoneでやらなければならなかった。当時のiPhoneは今とは比べ物にならないくらい非力なCPUなので、地図とか目的地への方向とか走行距離とかを表示するので精一杯だった。
ただまあこれはそこそこ危ない。
ただ、この動画は16万回再生され、その後いろいろな仕事につながった。みずほ銀行のARアプリなどはこの動画がきっかけで開発することになった。
その後、もう少し進化したiPhoneで拡張人間というアプリを作った(非公開)。

これはAIが搭載されていて、今見ているものがなんなのかリアルタイムで教えてくれるというものだった。

でもこの時思ったのは「目の前のものがテレビであることなんかわざわざAIに教えてもらわんでも」ということだった。
生まれながらのサイボーグ
人間は生まれながらのサイボーグである。
なぜなら、生まれてすぐ生湯に浸かり、柔らかいタオルに包まれ、服を着て、育つからだ。通常、人間は生まれたままの姿、つまり服を着ていない状態の方が全生活で一番短い。
ヤドカリも似た性質があるが、ヤドカリは自分の子供のために貝殻を作ったりはしない。
人間は自ら道具を作り出し、それを使いこなすことで進化を続けてきた。ゆえに、生まれながらのサイボーグと言える。
これまで人類は数々のものを拡張してきた。
衣服と家で生存性を高め、車輪で運搬能力を高め、抗生物質で病原菌への耐性を身につけた。パンデミックが起きても、メッセンジャーRNAワクチンを開発して防いだ。
コンピュータというテクノロジーは、本質的に精神の自転車である。これはAI時代になっても変わらないどころか、ますます加速している傾向だ。
この言葉の意味するところは、決して「精神のオートバイ」ではないということだ。もちろんAIをそう呼ぶ人もいるが、僕は違うと思う。
それが自転車なのかオートバイなのかといった本質的な違いは、自転車はあくまで自分の力の拡張に過ぎないのに対して、オートバイは自分の力とは関係なく意思の増幅装置に過ぎないからだ。
これは哲学の話であって、どちらが正しいかというよりも、どちらを設計思想に置くかという問題だ。べつにバイクでも自転車でもいいが、僕はAIをバイクのように使うことは不可能どころか危険だと思う。バイクは運搬するだけだが、機械を使った移動手段の中で事故での死亡率が最も高い(英国の2025年統計では、走行距離あたりの死亡・重傷リスクが道路利用者の中で最も高いのがバイクで、道路交通量の約1%しかないのに道路死亡者の25%を占めています)。
AIをバイクのように扱いたいか、自転車のように扱いたいかというのは設計者の思想、哲学の問題でしかない。僕はAIをバイクのように扱いたいとは思わない。
特にAIは、人間の心や知能といったものに完全に連動する。運搬能力というのは知能と直接連動することはほぼないが、AIがもたらす知的拡張は、人間の知能と本質的に似たものなので連携が強い。
特にコンピュータ、個人用のパーソナルコンピュータとなれば、この思想が大切になる。スティーブ・ジョブズが「精神の自転車」と自社のパーソナルコンピュータを定義したとき、世界の一般的な認識はどちらかというとオートバイ寄りだった。
当時(1980年代)はコンピュータを会社に導入することをOA、オフィス・オートメーションと呼んでいた。つまり、モチベーションは自動化であって精神の拡張ではなかった。これはとても非人間中心的な考えである。
OAの文脈でもっとも成功したのがコピー機で、恐るべきことに今も複合機へと進化して使われ続けている。本来のOAではとっくに滅んでいるべき時代の徒花が、今日も元気に働いている。
コピー機は非人間中心的である。
なぜなら、コピー機はある特定の情報を文字どおり大量にコピーすることを目的とし、それがほぼ唯一の価値である機械だからだ。そこには人間の個性といったものが組織には不必要なものという思想が根底にある。
軍隊やそれに倣った大企業なら、その思想はある程度は正しい。全ての人間は同じように働いてもらわなくてはならず、また同じように働いてもらうことが組織を大きくし、利益を最大化する。組織にとって属人性は敵であり、一人のスーパースターよりも個性を殺してただ「評価」の高い優秀な凡人が求められる。なぜか?その人が死んでもいつでもかわりのいる状態を保たなければならないからだ。これが大企業病と呼ばれるものがうまれる本質的な原因である。
もっとも、それが病気であると認識されたのは、2000年代に入ってからで、21世紀は紛れもなくスーパースターの時代だったからだ。
スティーブ・ジョブズなしのAppleの成功はあり得ず、イーロン・マスクなしのTeslaやTwitter(x.com)の成功も考えにくい、もちろんジェフ・ベゾスなしのAmazonやラリー・ペイジなしのGoogleも考えられない。
面白いのは、本来は1950年代の日本の新興企業群はまさにスーパースターの時代だったことだ。ソニーの井深大と盛田昭雄にホンダの本田宗一郎、ダイエーの中内功といった綺羅星のごときスターたちがうまれ、会社は創業者への信仰と忠誠のようなもので世界的な急成長を遂げた。
しかし創業者が引退し、サラリーマン社長の時代に突入すると、信仰は薄れていき、創業理念は単なるお題目となった。
日本企業が最高に低迷していた時代に、シリコンバレーでは次々とスターが生まれた。
AIがこれだけなんでもやってくれる時代、箸の上げ下げまでやってくれる時代においては、再びスーパースターの時代が来るだろう。しかもそれは戦後直後の日本とか、シリコンバレーとかに限らず、世界中のどこでも生まれる可能性がある。
AI以後の時代、没個性な仕事は本当に価値がなくなる。どう考えてもAIもしくは機械がやったほうが効率がいいからだ。これ以降の時代は、個性を武器に生き残っていかなければならない。もしくは、UberEats配達員やタイミーのごとく、AIに従って最後の数メートルを埋める仕事をするかだ。
よく、「AIに使われるようになったら終わりだ」という心配をする人がいるが、UberEats配達員経験者からすると、それは全く杞憂で、むしろ人間の命令に盲目的に従うよりよほど人間らしい生き方ができる。
何が素晴らしいかと言うと、UberEatsはいつでも休めるしいつでも配達を拒否できるのである。これ、人間の会社でやったらクビ、ないしは「あいつにはもう何も頼まない」と干されて会社内失業者になる。UberEatsは完全に自動化されているため、その心配はない。
また、配達員、レストラン、顧客は360度評価なので、誰に対しても丁寧に接している人が常に高評価される。顧客といえど態度が悪いと配達員からマイナス評価を受け、マイナス評価の顧客は配達員が見つかりにくくなる。
UberEatsで働くということは、自分のペースで働けるということ。これは管理者が人間ではないからできることだ。
このようなギグワークは時代と共に洗練され、進化していくだろう。
それもだからそこまで悪い選択ではない。
けれども、それ以外の方法で生きるためには、いかに自分の個性を武器にするか、伸ばしていくか。そのためには自分のライフログが実は一番重要になる。その人がその人として生きた人生の記録こそが真に高い価値を持つからだ。
