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ガキの頃見たメイプル超合金

カズレーザーさんと二階堂ふみさんが結婚しました。


突然のニュースに驚いた方も多かったのではないでしょうか。
カズレーザーさんの結婚というイメージの無さ、そしてお相手が二階堂ふみさんというのも予想が付かなかったですし、週刊誌などに撮られたりリークなどされてなかった事も含めて、電撃婚感があって話題となっていました。

SNSでは祝福のムードでなのか、
過去お2人がバラエティ番組で共演し二階堂さんがカズレーザーさんの事をタイプだとトークしているシーンの切り抜き動画が拡散されていたりしました。


そんなおめでたい空気の中、
ふと思うのは

カズレーザーっていつのまにかキャラ変してるよなぁ

という感想です。


初期の頃のカズレーザーさんはもっと天真爛漫で意味不明な言動行動を繰り出す得体の知れない謎めいたキャラクターとして世に登場してきました。

しかし今やその雰囲気はすっかり影を潜めて二階堂ふみさんと結婚しても違和感のない人物像を気付いたら浸透させていてちゃっかり賞賛されているのです。

仮に出始めの頃からキャラ変が行われず奇天烈芸人のままのカズレーザーさんだったら結婚した時にこういった今みたいな反応になっていたのでしょうか?いや、そもそも結婚できたのでしょうか?あまり想像がつきません。

ただ、同時に思うのは
カズレーザーさんの初期の頃のキャラ造形って何だったんだと問われると、あまりちゃんと語れないというか…

ざっくりと漠然とただただなんか変人だった

奇人だった

という印象、記憶しかありません。



今のカズレーザーさんと明確に違ってたという事実は覚えているのですが、何がどう違っていたのかがあまり覚えていません。

というかそもそも元々のキャラが変人キャラなんだけど何がどう変だったのか意外と批評されてないというか、インパクトは当時からあったけどそれを見てる人々が核心部分を全員スルーしているような、本人の意識としても正体を掴ませないような煙に巻くような運動が常にあって、その実態不明瞭さを維持しながらゆっくりとここまで来たという感触だけあります。

もっと言えば
もしかしたらキャラ変らしいキャラ変も行ってないっちゃ行ってないような気すらするのです。

あまりにインスタントなちゃぶ台返しですが
今のカズレーザーさんも今のカズレーザーさんで昔の変人キャラと同様に何がどう評価されて今の場所に立っているのかよくよく考えたら把握しづらいし、
やはり何を考えているか分からないという点で言えば、実はそこまで大きな変化はないように思えます。

これは、かつてそうだとされてた

"変人"とは何か?

という根本議論でもあると感じます。


カズレーザーさんは何が変だったのか?

またどのようにして今の立ち位置を獲得したのか?

そして変とはそもそも何か?

そういったうっすらとした疑問をあくまで個人的な解釈の中だけの話ではありますが、考えてみて結論めいたものを出してみようと思います。
もしよかったらお付き合いいただけますと幸いです。




カズレーザーという変人

では、まずカズレーザーさんの思い付く特徴を上げ、元々のキャラと今のキャラの違いを見比べてみて何か掴めるか考えてみましょう。


衣装

カズレーザーと聞いて、まず真っ先に思い浮かぶのは
あの全身真っ赤な格好と金髪頭という出で立ちでしょう。


一度見たら忘れられないインパクトで見る人の脳裏に強烈な印象を残すのみならず、
なんとそれは舞台衣装なだけでなく普段からあの格好で生活し、街中を練り歩き、電車に乗車して、家でも普通に暮らしているという、そのエピソードも込みで世間の記憶にカズレーザーという存在を刻みました。

この特徴が1番のカズレーザーさんを象徴するトピックと言いますか、お笑い芸人として最もひっかかりのある目立つ部分であると思います。


と同時に思うのは

この格好ってただ単純に目立つ格好なだけだとも思います。


目立つ格好では確実にあるのだけど行き切った変な格好だとは実は言えないのではないでしょうか。


まず、よくよく観察していくと

今のカズレーザーさんの衣装って大体が赤いスーツ上下で
テレビに出る人としてはそこまで突飛という感じではなく、例えば最近だと全身黄色のきしたかの高野さんや、全身オレンジのティモンディ高岸さん、古くは夫婦揃って全身ピンクの林屋ペー&パー子夫妻など
過去現在見渡してもみてもパターンとしてはよくある、いわばアイコニックな存在としてのテレビタレントの正装ではあります。


これが少し遡って
M-1決勝進出を果たしてテレビに出始めた頃

いわゆる1週目のカズレーザーさんはジャケットではなくもっとシンプルな上下赤のTシャツやジャージなど着てて、
この頃は「コブラに憧れている」とよく言っていました。

これはこれで、リーズナブルに目立つ手段として選んだ若手芸人の舞台衣装であるし

アニメオタクのコスプレだとして捉えてみても成立する範疇だと思います。

コブラ


これがもっと遡ってライブ時代だと

長髪になって赤いレザージャケットになっています。

ここまで来るとかなり変人感、特殊な格好感が大分と強まってきます。
思想を感じるというか、強い意志でこうなっているのを第一印象では抱いてしまう格好です。


こうして時系列で追って見ると
カズレーザーさんは現在に近付けば近付くほど、全身赤で金髪という要素を維持したまま一応フォーマルに寄っていっているのが分かります。

そりゃテレビタレントとして売れていけばスタイリストが付いて着るものの金額もある程度上がるので良いものを身に纏うからそうなるし、
なにより長くパブリックに出て国民性のようなものを獲得してゆくのなら瞬間の興味よりも少しでも親近感を覚える見慣れやすい姿になってゆくのは、かつて深夜の帝王と呼ばれアイパッチをしていたタモリさんが昼の番組の司会を務めるにあたって色の薄いサングラスになっていった事からも分かる必然性なのだと思います。


ただ、やはりその変遷のスムーズさ

微妙な調整具合によって変人→常人へと徐々にスライドさせている妙技を感じざるを得ません。


また、やはりこの格好って
目立つ格好なだけで行ききった変な格好じゃないのが絶妙だと思います。

「金髪」「赤いシャツ」「赤いズボン」「上下同色」バラバラで見ると変ではありません。

カズレーザーさんが売れた事で減ったのかもしれないけど、たまたま意図せず全身赤的な格好になってる外国人とか見かけたりするし、
別段、昔はあの格好が変だとここまで認定されなかったのではないでしょうか。

「ゴリゴリのタトゥー」「露出度高過ぎ」「バレバレの女装」「住居が無さそうな程汚い」「機能性が全く無い服を着てる」とかまで行ってません。


そういう意味では一般認識としての「変な格好査定」の水準が高まってる気がするし「変な格好=ヤバい奴」だと断定出来てしまう大衆心理も浸透してしまっている気もします。
ここで言ってるのは「ファッションセンス」の話ではなく「常識の範囲内の格好」の話。つまり昔より「服装への無頓着」が潜在的に許されなくなってきてるのかもしれません。

あと、カズレーザーさんも意識してる上であえてそうしていると思うのですが「格好だけでテレビ的なキャラ付け出来てしまえる」という逆説的な方法論でもあると思います。

昔、有吉さんがラジオで「ケンコバさんはキャラが無い。いじってほしいから、自分から下ネタ言ってるだけ」みたいな事を言ってるのを思い出しました。

なんならカズレーザーさんは昔たしかラジオで「全身赤い格好のヤツってヤバいでしょw」と自嘲ではない文脈で喋ってた事もあります。


頭脳

カズレーザーさんのタレントイメージを構成する要素として「頭がいい」という評価も外せないトピックだと思います。


同志社大学卒のインテリタレントとしてクイズ番組やコメンテーター的な仕事を席巻し、もはやそのイメージは浸透しきってしまって元々がお笑い芸人だったという事を忘れてしまっている人も多いかもしれません。

ただその出自とのギャップで深まっているキャラクターの印象なのだとしても、ここまでの頭脳明晰さとその高い評価は単に雰囲気作りだけで形成できるものではありません。

しっかりと裏打ちされた知識と教養
そしてそれを瞬時に出せる回転の早さ

それらは持って生まれた才能だけでなく日々の鍛錬によって仕上げられた努力の賜物でもあると思います。
昔ロンハーで弟子入りドッキリをかけられた時に、たしか徳川15代将軍かなにかをプライベートで暗記している様子が映されていました。


と同時に

出始めの頃、まだここまでインテリ的なキャラじゃなかった頃のカズレーザーさんってどんな感じだったっけ?と思い返すと

筋肉キャラだったよなぁ…という記憶があります。

頭が良いキャラと筋肉キャラって完全に相反する位置にあるわけではないですが
けっこう今のイメージとは逆のニュアンスのいわゆる筋肉バカ的なキャラをもっとやってた感触があって

なかやまきんに君さんや品川庄司庄司さん、サバンナ八木さん、などの伝統的な筋肉キャラの新しい風として登場していた文脈もあったと感じています。

しかしながら、
今も別に完全にそれを脱却したのかと言われるとそうでもない気がするし、もしかしたらいまだに体は鍛えているのかもしれませんが

今のインテリキャラを支える上記したような日々の勉強の積み重ねは、いわゆるトレーニング的なこつこつとした蓄えによる快楽とそう大差ないようにも感じてきます。

筋トレと暗記って似てると思います。

またその頃のカズレーザーさんって今よりバラエティ番組の打席に立つ事が多いからか、めちゃくちゃボケまくってた記憶もあって

口を開けば変な事を言っていたと思います。

そしてそれは要するに
キャラ漫才から雛壇に移行してきたタイプの芸人の宿命というか、ネタとトークのシームレスな連結を求められるがために漫才の人物像のままの喋りを乗りこなしていた時期に他なりません。

カズレーザーさんはそれをあくまで飄々と汗ひとつかかない感じのテンションを守りながら、フられた中での最適解を自身のボキャブラリーの中から瞬時に繰り出して笑いを取っていました。

この常時大喜利状態のパフォーマンスはよくよく考えると実は

クイズやコメンテーターの仕事と同じような理屈で成り立っているのだと思います。

カズレーザーさんは出始めの頃からずっと
問いに対してコンパクトな解を出す
という仕事を基本的にし続けているのです。

それがテレビのメジャーシーンだと学問や時事のサンプリングになって
それが地下ライブの頃のアンダーグラウンドだと突飛なボケ発言や破滅エピソードになって

賢人と狂人の振り子運動を
勉強と筋トレと同じ構造で楔を打って形作ってるのだと


いや、本質的にはインテリジェンスもイグノランスもそう大差はないと

カズレーザーさんに笑われながら諭されてるだけなのかもしれません。



品性

外見と中身の話の次は、もう少しそのどちらでも計れないものとしてカズレーザーさんの性格や、それに伴う周囲の目線などについても改めて考えてみたいと思います。

今回の結婚が直近でいちばん分かりやすい世間のリアクションだと思うのですが
カズレーザーさんに対する品行方正感、道徳的信頼感、シンプルな好感度の高さなどは、一体なんなのでしょうか?


それは聖人君子とは言わないまでも
昨今のテレビタレントを中心とした芸能人、有名人に求められるクリーンさ、清廉潔白さにある程度該当しているからこその評価の高さであると言えるし

前述した頭の良さや歯に衣着せぬ発言の気持ち良さ、もしかしたら赤い格好で社会生活を営んでいるというポイントでさえ堂々と自分を貫いててカッコいいという価値転換が起きている人々も多いのではないかと予想できるほど

カズレーザーさん本人も操縦できないと感じてるような気がするくらいその人柄へ注がれている視線はある種の大衆的羨望を誇っていると思います。



と同時に思うのは

元々のカズレーザーさんはもっと好感度や品性の外側に居て、評価されるかどうかの土俵に入る以前の存在だったとも思います。


この項目を語る時に思い出したいのは

カズレーザーさんのテレビバラエティ初期段階の武器としてよく提示していたバイセクシャルという要素です。

これはなにもそれに対する偏見を今から注ぐわけではないのはもちろんですが、

というか、どちらかと言うと
そのバイであるという要素の活かし方。カズレーザーさん自身がそれをどう提示してバラエティコードに乗せていたのかについて捉え直してみると

割と、いわゆるオネエキャラという手法に近いものを取っていたと思います。

バイとゲイは厳密には違うし
マツコ・デラックスさんやミッツ・マングローブさんのように女装をしていたりオネエ口調ではないのですが
LBGTQ的な感覚の理解も含めてその題材をどう扱うのかが時代背景的にもまだ過渡期だったテレビバラエティのシーンだと、大きな括りとしてその文脈で料理されカズレーザーさん的にもそこにある程度乗っかったという形なのだと思います。

そして、それがどうと言うわけではなく

そのレールの中で展開されていたカズレーザーさんのバイキャラ的なものは、本人の性格や大喜利的なボケ回答とも相まって、あっけらかんと淡々と事実を話すという話題提供になっていきます。

そこでよくあったパターンは「男女の好みは季節で変わる」「10対10の合コンは俺に取っては1対19」というエピソードトークや、
男女共に好きなタイプと容姿の採点をしてゆく毒舌芸めいたものや、
番組によっては男性タレントとキスをする罰ゲーム要員などで登場していたりしました。

こうして見てゆくとカズレーザーさんの歯に衣着せぬ発言や堂々とした態度などは、下地にオネエキャラ的な治外法権性が組み込まれているためにテレビバラエティ空間で成立しているキャラ造形でもある事がなんとなく感じられてきます。

そういう点で眺めていくと
カズレーザーさんの品性はお笑い芸人という質感でもありますが、やはりオネェタレント的な方法論によって性的な話題を含んだ言論空間でタガを外していく面白さになりやすく、そこだとむしろ普段の好感度を逆手に取った下品な発言のオンパレードになっていきます。


そこまで把握してみて語るカズレーザーの品性とはなんなのか?

少なくともシンプルに好感度が高く、端正な顔立ち、ルックス、知性溢れる振る舞いと、かつて提示していたキャラクターには大きなギャップがあり、なんならもう少しさらに時代が遡ればたぶんにキモキャラ的な箱に入れられてた可能性もかなり高かったんだろうなと感じます。

そして、それは
品性というものそれ自体が、人間の本能や社会の俗習に対して治安や態勢を守るために倫理的コーティングを被せる事で作り上げられる共同幻想である事を語らずも表しているからカズレーザーさんの品は厚くなっているのではないでしょうか。


また、
これがゲイという触れ込みでなくバイという言葉を使っていたからこそ、まだ当時そこまで分類を細かく理解していた人がテレビ的な大衆シーンではおそらく少なかったであろうからことから、
逆にその直前の切り替わりとしてのドサクサ紛れでオネエタレント的な仕草で席を確保しながらも、今となってはそこを通り過ぎて結婚しても波風が立たないところまで到達したのかなと朧げながら感じたりします。


交流

カズレーザーさんと言えば、芸人仲間といまだに暮らすシェアハウスという要素も語りしろがあると思います。

トレンディエンジェルのたかしさん、演芸おんせんの矢巻さん、三日月マンハッタンの仲嶺さんらと暮らす共同生活はバラエティ番組の中で面白おかしく話されながらも、
カズレーザーさんがゴールデン帯でMCを務めてる現在も暮らし続けているという事実は、売れてる芸能人らしからぬ変人的なプロフィールでありつつ
経済的な理由だけではなく本当にその空気感が好きというか、落ち着くというか、初心忘れるべからずというか、カズレーザーさんの地下芸人時代からのスタンスそのものを表しているようで、
いまだに飲み会などをして皆で騒いでいるというエピソードを聞くたびになんとも言えない安心感を覚えます。

と同時に

カズレーザーさんがこういう空気感の交流を好めば好むほど浮き彫られる今現在の仕事内容とのギャップ感について、本人はそこまで深く考えてはなさそうだけど自覚がないともあまり思えません。

カズレーザーさんは芸人同士の交流にアイデンティティを持ちながらも、そこを軸とした仕事内容ではなくなっている事を俯瞰的に理解できていなければ安定しないようなバランス感を駆使してタレント像を築いています。


クイズ番組の常連回答者になり、
朝の番組でコメンテーターのレギュラーを務め、
「文化人になった」的な周囲からのいじりも含めて、
本人の意志と芸能界に長く居ようと思うなら確実な選択である事は感じるのですが、

時たま口にする「若手は誰もカズレーザーに憧れてない」的な自嘲を込めた語りに、本人が思っていたよりもお笑いから、ましてや地下芸人的なアイデンティティから遠ざかってしまっている現状になんとも言えない憂いがある雰囲気を勝手に覚えたりします。


そこら辺に芸人カズレーザーとしての葛藤と人間味の面白さが、赤いコスチュームの隙間から見え隠れしてる気がしてて、

自分があくまで個人的に勝手に感じてるだけなのですが、
例えばオリラジ中田さんなどのタイプに見られるような、能力主義者のナチュラルなエリート思想、テクノリバタリアン的感覚、効率化を優先しすぎる意識構造などに陥りがちな現象にカズレーザーさんも実は複雑な形で収まっているような気がしないでもありません。だからこそ芸人さんはそれも把握して権威性と庶民性の重なった領域で揺れ動きながらそれを笑いにしようと自虐や誇張などをしてボヤかしたりもしますが。


カズレーザーさんの場合はすごく若い頃に売れたわけじゃないから立ち振る舞いとして無意識に敵を作るような部分を削ぎ押しているのだとは思います。
ですが、よくよくつぶさに見てゆくと相方の安藤なつさんへの容姿いじり、自身のバイシェクシャルキャラでの男性の容姿を採点してゆくトーク、岡村さんの風俗嬢発言や小山田圭吾さんのいじめ問題の時でのコメンテーターとしてのぶった斬りなど


実は間を取ってるようで、かなり分断的な価値観による倫理性の越境をパフォーマンスにしているところがあると感じています。端的に言えば、全部上から目線です。

ただそれが「街の変わり者」を自覚しなおかつ公言する事によって許容範囲を見極めながら
「カズレーザーだから仕方ない=そこまで言及できるなんて、さすがカズレーザー」という評価の反転をさせ続けている事で成立させるテクニックを常に行使しているのだと感じています。

ただその方法論は実質的に評価が上がってしまうと「謎の上から目線」というボケだったものが「本当に上から目線」にジワジワと入れ替わってしまうので、本人としてもそれを避けたそうだなと感じています。

これはかなりこじつけ的な暴論なのですが
だからこそ地下芸人的な帰属意識や精神的保険をいまだに確保しているという見方もできたりするのではないでしょうか。

本当にかつて苦楽を共にした仲間たちとの絆をいまだに大切にしているのだと思いますし、単純に地下芸人という文化が好きなんだろうなとも感じますが、ある種の執拗なこだわりというか逆を言えば変化を求めない交友関係は、カズレーザーという文化人の根幹を支えるための何者であるかを確認する実存のゼロ地点としてのシェアハウスなのかもしれません。



安藤なつという異形

さて、ここまでカズレーザーという芸人のその変人と呼ばれる要素を眺めてみて

常に赤い格好&金髪 ⇄ タレントのフォーマル衣装

クイズに強いインテリ文化人 ⇄ 大喜利の上手い筋肉バカ

品行方正な好感度タレント ⇄ 下ネタで燥ぐバイセクシャル

シェアハウスで暮らす仲間想い ⇄ 地下芸人への選民的帰属意識

などなど
その変さは時系列や視点設計により対極にまでも変容し、そして変の反対は正常なのではなく別の変さによって相互作用で打ち消し合うという単純なのか複雑なのかよく分からない事実がそこにある事が理解できました。

変人であるという事はむしろ何よりも普通であるという事なのかもしれません。


ただ、
ここまで振り返ってみて思うのは

この列挙とも言えるべき変人的プロフィールとそれをその構造そのままに常識人にまでアジャストできるブランディング能力を携えたカズレーザーという人物が、

なぜここまで売れたのか?

というシンプルな疑問が残ります。


単純に考えれば、これだけの自己プレゼン力、コミュニケーション能力、キャラを演じきる胆力、などがあるから売れたのだと言えるのですが

少し冷静になってみると

それって一般社会でも問われるスキルと言いますか

カズレーザーさんってよくよく考えてみると普通の企業とかで働いたりする方が出世そのものは早かったんじゃないか、と思わされる仕事の出来る感・能力高い感がベースに耕されていると思います。

言ってしまえばカズレーザーさんの提供している変さというのは芸能人という異形の存在にしては、かなり表面的な変さなのです。

普通さ、真面目さの上に成り立ってる奇人的演出。もうそう言ってしまっていいと思います。

そんな人がなぜここまで芸能人として抜きん出たのかを思い巡らせてみた時に、すぐ隣の方から相方である安藤なつさんの浮世離れさがジワリと立ち籠ってきます。

なつさんはメイプル超合金の結成前から、
お笑い好きであれば認知している人もそこそこ居たのではいでしょうか。

伊集院光さんの番組や、志村けんさんの番組など
その巨漢を活かした役回りでスポット的に出演してて、割とキャリアの早い段階からずっとうっすらと地味に既存メディアには出続けていました。

また先輩芸人からエピソードトーク的に語られるなつさんの人間性は極めて常識的で、逆を言えばその体型以外のプロフィールに芸人として突出した要素が当時あったかと問われると、平均的な若手芸人像だったと言えると思います。

だからこそ巨漢であるという事実が際立っていたのだとも思います。


この安藤なつさんの常識的であろうとするけど異形の存在感を自然と放ってしまう状態と、

カズレーザーさんの変人であろうするがために結果滲み出てしまう真面目な一般人感が、

組み合わさる事でメイプル超合金という漫才師の変さのダイナミズムが生まれているのだと感じています。


この相乗効果がカズレーザーさん、

もといメイプル超合金の2人が売れた理由なのではないでしょうか。


変形するメイプル超合金

メイプル超合金が売れきったあと

カズレーザーさんが完全にインテリキャラの椅子に座ってコンビでの仕事が少なくなってから、久しぶりに2人でMCをつとめてたナイツザラジオショーの代理回が面白かったです。


安藤なつさんがツッコミとして居る事と、また納言の薄幸さん、トレンディエンジェルたかしさんなどの普段の飲み会メンバーも揃ってて、

もうあまりバラエティ番組で奇天烈キャラでなくなってたカズレーザーさんが、ここぞとばかりに縦横無尽にボケまくってて、これだよこれと思いました。

そういう意味では安藤なつさんの安定感によって中心が動かないでいてくれるからこそ、カズレーザーさんのキャラ変は綺麗に遂行されたんだろうなとも思いました。


もっと細かく見てゆくとそんなカズレーザーさんの今の立ち位置も常に微妙に変動はしていて

何年か前のアメトーークのプレゼン大会で「夢の老害芸人」という企画を自身もそこに組み込んで掲げていました。

このプレゼン内容も
これをプレゼンする事自体もおもしろいけど、
「それをカズレーザーが言ってる」という事にテクニカルな面白さを感じました。

自身を「老害寄り」側に置いて話してるけど、そこに自己定義を設定するには、まだやや早いタイミングだと思います。先回り的です。


なんというか、絶妙に
「芸人じゃなくなった」という評価を避けようとしているし、かといって

「クイズタレントやコメンテーター的なキャラからはもうすぐには降りれない」状態だとも思うので、

自虐と他虐どちらにも捉えられるコメントを出力しながらポジションを探ってる感じがして、
タモリさんやふかわさんが「深夜の密室芸人」「シュールなすべりキャラ」から脱却しようとして踠いていた時期の動きに近いものを感じました。


こういう開き直りと自己認識の狭間で笑いを取りながらエアポケット的な立ち位置を獲得するのがまさにカズレーザーさんだし、

もしかしたら彼がお笑い芸人という職業を選んだ理由も


こういった自身の立ち回りの上手さによって規定のレールが引かれてしまう事への俯瞰的な理解と、それを把握してしまう能力があるために生じる周囲との乖離、それによって出来上がる自分へのメタ的な自意識を、どこか打破したいと思っていたからこそ

全身真っ赤の金髪で街を練り歩くという反骨精神にいたったのかもしれません。


「ガキの頃見た街の変わり者に、まさか自分がなるとはな」



そんな風に嘯くカズレーザーさんの自己認識芸を

これからもテレビの中や社会のどこかで

見かけ続けられたらいいなと思います。






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