過敏性腸症候群とおともだちになった話。
「うどん1本も食べられない」
ハタチの誕生日を迎えて2ヶ月後。お腹に優しいと思って作ってくれた母。しかしうどん1本も食べられずすぐにトイレ直行。
その後、内視鏡と胃カメラを同時にする羽目に……。
まさかの事態が連発したハタチの年だった。
はじめに
こんにちは。しばみかんです。
普段は強迫観念や強迫行為がある強迫性障害という心の病の発信。この強迫性障害は完治することが難しく、ともに歩む、つまり「おともだち」と受け入れ生活をともにしている。時に症状が悪化することもあるが、今までより悪化せず生活できている。
さて、実はこの強迫性障害とのお付き合いは数年前の話。実はもっと長くお付き合いしている病がある。それは「過敏性腸症候群」というお腹の病気。これはストレスからくる病で、便秘・下痢・混合型の3種類に分かれている。私は下痢型になり、かれこれ10年以上のおともだちとしてお付き合いしている。
これからお話しするのは本当にあったハタチの出来事。当時は大学2年生。自分でも何が起こっているのか分からず。本当にうどん1本も食べられない事態に陥った話。そこそこ知られてきた「過敏性腸症候群」という病ですが、闘病記も交えてどうぞ読んでください。
第1章 私とお腹
まず私の小さい頃の話をしましょう。元々お腹は弱めだった。
例えば、冷房の効いた場所にいるとすぐにお腹を壊す。もちろん、冷房の風が直接当たる場所は30秒以内にトイレに直行する。これを何度も繰り返す。
記憶に残っているのは、百貨店のレストランに入ったら冷房ガンガンの席に案内されてメニューを見ていたらすぐにお腹を痛くなり、トイレに直行した。買い物で一緒にいた母親から
「なんでそんなに(お腹が)弱いのよ」
と嫌な顔をされた。 おそらくこの件だけでなく、何度も冷房ガンガンな場所に行けばお腹を壊すといったよくない循環ができていたのだ。お腹を壊す度に母親から嫌味を言われたと思うけど、唯一記憶に残っているのがこの出来事だった。
お腹を壊す頻度は他の人より高かったので、お腹の薬は出かける度に持ち歩いていた。小児用の正露丸やビオフェルミン、などなど数えきれないほどの胃腸薬を試してみたが、月日が経過してからまたお腹を壊す…という日々を送っていた。
さらにお腹壊さないように色々と試し、決して良い方向に向かわずあまり食べない、お腹を壊した食べ物は控えるようになっていた。特に辛いものはすぐにお腹を壊すので論外。一方でアイスは食べ、冷房がほどよくきいた店内で食べた後はすぐにお腹を壊し、トイレに直行。なんというお腹の弱さ。
また出かけるときだけでなく、小学校の授業でもお腹を壊すことが度々あった。記憶にあるのがとある初夏の日。
私が通っていた小学校の地域ではマンションの建設ラッシュに伴い、生徒が増え、教室が足りなくなりプレハブ校舎が建設。小学6年生の当時、なぜかプレハブ校舎で授業を受けていた。(小学生最後の年なのにプレパブ校舎なんて、と未だに思うときはありますけどね)
プレハブ校舎は簡易的な作りなので、太陽に当たると暑い。教室の中も暑くなり、授業をしているだけで倒れそうになる。そのため先生は冷房を入れてくれたが、その風が見事に私の席に直撃。結果お腹を壊し、トイレからしばらく出られなくなり、保健室で休む羽目になった。
たかがお腹を壊して保健室に行くなんて、と悔しい思いはあったが、ぐるぐるお腹を壊しているので諦めて休んでいたのを今でも覚えている。
中学生からはお腹を壊す要因がわかり少しは学んでいたので、夏場は半袖制服の上にセーターを着て通学していた。温暖化の現代に比べるとまだ耐えられる暑さだったので、セーターを着てもへっちゃらな私。通学は電車を使っていたので、電車の冷房にも耐えることができ、お腹を壊す頻度は減ったのだった。
第2章 ハタチの誕生日を迎えた後に起きた異変
お腹を壊す頻度は減ったり増えたりの日々を送っていたが、なんとかハタチを迎えた。少しばかりのお酒を口にして、アルバイトもほどよくして大学生活を送る私。
ハタチの誕生日を迎えた2ヶ月後のこと。
季節は夏。暑い日々が続いていた。
当時の私は大学2年生、理系で生物を専門とした大学に通っていた。1年生と比べ専門的な内容になり、授業についていくのが大変な毎日。おまけに友人関係で揉め事があり、一緒に授業を受ける友人を変えて新しい友人関係を構築している最中にとある症状が起きた。
それは、お腹の調子が悪くなっていき、おまけに胃も少し痛みはじめた。お腹はグルグルと音を立てるようになり、口は少し酸っぱい味がする時があったのだ。
「まぁ…ストレスだろうな」と思い、いつもの胃腸薬を飲んで過ごしていましたが、胃腸ともに調子は良くならず、悪くなるばかり。
特にお腹の調子は一向に良くならず、歩いていてもお腹が痛み、トイレに直行する時もあった。さらに電車に乗っているにもかかわらず、いきなり下痢になるような痛みが襲ってきて、慌てて電車を降りて駅のトイレに駆け込む状況にまでなっていった。トイレに行った後はスッキリするのだが、また電車に乗って少しすると「ギュー……」と。
こうしてお腹が痛くなって慌てて電車から降り、駅のトイレに駆け込む事態。当時は、大学まで1時間半かけて電車やバスで通学していたので、いつお腹が痛くなるかわからない状態が続いた。
いつしか、駅のトイレの場所を把握しながら通学するようになっていった。
このお腹の状況の中で夏のテスト三昧が終わり、1ヶ月の夏休みが始まった。大学生の夏休みといえばアルバイトで稼ぐといった醍醐味がある。いつもは多忙な日々を過ごしているので、遊びよりアルバイトの私なので夏休みはアルバイト三昧を選択。休まずにアルバイトをこなしていたが、胃腸の調子が悪くなるばかり。相変わらず腸は下痢ばかりで、酸っぱいものが食道まで上がってくることもしばしばあった。
胃腸がこんなに不調なので食べる気力もなくなり、とうとう自分でも何を食べていいのかわからなくなってしまった。
なんとなく不調のままではいかんな、暑い中、仕方なくいつも行っていた小児科に行き、胃腸薬を処方してもらった。(本来は成人になると内科に行きますが、小さい頃から診ていただいたので、その延長線で小児科に行ってました)
当時の小児科の先生に診てもらった時に言われたのが
「乳糖不耐症かもしれないですね」
と。乳糖不耐症とは乳製品に含まれる乳糖を分解する酵素「ラクターゼ」が少ないことで、お腹の張りや下痢などの症状が出る体質を指す。
実は私の家庭では毎朝のドリンクに牛乳が出されていた。夏はアイス、冬はホット。お腹に良いと思って出されたこの牛乳がお腹に悪さをしていたのだ。この事実を知らずに約20年間、ほぼ毎朝、牛乳を飲み続けていた。牛乳を飲む度にお腹を壊して、そのまま学校へ行く日々がなんと約20年も継続。今考えると恐ろしいが、その日を境に牛乳を飲むことを控え、代わりに豆乳を飲むようになった。
何日か経った後、また小児科に行き胃腸薬を処方してもらい、だんだんと胃腸の調子は良くなっていった。
このまま良くなればよかったが……。なんとまた悪化。下痢の日々がまた続き、さらに酸っぱいものも逆流する頻度が高くなった。
この酸っぱいものと対抗するのが大変な体勢があった。それは寝る体勢。これがまた一苦労。横になったら酸っぱいものが食道へと逆流してくるので、痛い思いをたくさんした。おまけにゲップをしたら酸っぱい味がして寝心地が悪かったので、枕の高さを高くしたり、クッションを枕の上に乗せて高さを出したりといった工夫をした。しかし今度は寝返りを打つのが大変になり、結果的に寝不足となった。
最終的にはご飯も満足いく量まで食べられなくなっていった。
1番記憶に残っていることがある。それはお昼ごはんに母親がお腹に優しいと思い、うどんを作ってくれたが、まさかの1本も食べられず。すぐにトイレに駆け込み下痢をした。
母親は驚きを隠せない状態で、私も何が起きているのかわからない状態だった。
このように状態が悪化するばかりなので、暑い中、またまた小児科へ行くと先生の診療ではもうお手上げで
「近所の大学病院に紹介状を書くので、大学病院に行ってくれませんか?」
と。
まぁ、先生の言うこともわからなくない。なぜならハタチの私が小児科で診てもらうのは限界だよね。ごめん、先生。内科に行ったほうがよかったかもしれないが、内科に行ってもお手上げだったかもしれない。私の心は申し訳なさでいっぱいだった。
その後、受付のおばちゃんが大学病院の初診日を予約してくれて、流れるような字で書かれた封筒に入った紹介状を持って帰った。小児科と家の距離は10分なのに、お腹を壊さないか心配なほどトボトボと重たい足で。
第3章 まさかのダブル検査、そして確定診断へ
後日、予約の日に大学病院へ。 受付をすませ消化器科の前で椅子に座った。
「大学病院の診察は待ち時間が長いんだよな」
ボケーと待っている時もお腹がグルグル騒ぎ始めた。
「うげぇ、下痢かよ。ちと待っててよ、下痢よ」
下痢との葛藤していたら、順番が回ってきて診察に呼ばれた。
診察室に入ったらサバサバとした男性の先生。これまた先生とは思えない容姿。一般人と間違えそうなぐらい何にも特徴がない先生。
私は今までの症状を全て話し、もちろん、うどん1本も食べられないことも懸命に伝えたところ、先生が衝撃の提案をした。
「おそらく過敏性腸症候群と逆流性食道炎だと思うのですが、ガンの有無を確認しつつ、胃カメラと内視鏡をしましょうかね」
わお、ハタチで胃カメラと内視鏡。ダブルで検査するのね……。この衝撃な提案に苦笑いするしかなかった。でもダブル検査してガンでないことがわかれば、適切な治療ができますもんね……。
そして検査する日程を調整し、胃カメラをした2週間後に内視鏡の検査をしたのでした。(同時にやると胃腸に負担がかかるので日を空けないといけないようです)
胃カメラと内視鏡検査それぞれの検査をした当時のことはところどころ記憶にある。まず行っていた大学病院は麻酔薬が氷になっており、これを舐めながら全身麻酔をするところだった。液体、要は麻酔薬を飲まされてまずいなど聞いたことがあったが、氷だったせいか不味さはなかった。ほとんど氷を舐めたところで検査に臨んだ。
ハタチの大学生であった私は体力が消耗し疲れていたのか、胃カメラと内視鏡の検査ともに、検査が始まって数分後に眠りの世界に突入。だから自分の胃腸を観察することもなく、気がついたら検査が終わっていた。
眠りの深さは検査中だけではなかった。検査後の仮眠室でもよく眠っていたようで、仕事を休んで一緒に来てくれた父親に起こされた。あまりにも気持ちよく寝ていたようで、そのまま放っておくわけにいかず。しかしどうやって仮眠室まで来たのかは全然覚えていない。看護師さんたちが運んでくれたのか、半分寝ながら看護師さんたちに連れられて歩いてきたのか…。未だに謎であるが、とりあえず爆睡していたよう。
検査が終わって数日後にそれぞれの検査結果が出た。
胃腸ともにガンは見つからず。これはこれでホッとしたものの、腸は何もなくキレイな状態。胃は胃と食道付近で白いものがあり、胃酸が逆流した後があった。先生はこの結果から
「やはり、過敏性腸症候群と逆流性食道炎ですね」
と確定となりました。
幸いにも胃は思ったほど状態が悪くないようで、そんなに治療しなくても大丈夫でしょうと判断された。これは胃酸は逆流しているけど、そんなに量が多くないしすぐに治るでしょという見解。(ちなみにずっと酸っぱいものが上がってきていたのは胃酸だったようで、ここでようやく分かった)
一方で腸は下痢が続き状態がよろしくないので、薬による治療が始まった。
先生が処方してくれたのは、過敏性腸症候群の適応がある「ポリフル」という薬。合う合わないがあるので、まずは2週間お試し出してくれた。
この薬は楕円形で少し大きい。

↑ポリフルという薬の詳細はこちらから。
初めて飲む人は飲み込む時に少しきついらしい。しかし私は何にも感じずにゴクンと飲んでしまった。大きさに抵抗なくゴクンと飲めた。私の喉、恐るべし。
他にも処方された飲んでいたと思うが…残念ながら記憶にない。当時のお薬手帳も破棄してしまったので記録もないのだが。(もちろん、現在のようにお薬手帳のアプリは存在しない。なぜなら当時はiPhoneが発売されたばかりの時期だったのだから)
このポリフルという薬を飲んでいくにつれて、1つだけ言えることがある。それが「劇的にお腹の調子が良くなっていった!!」
下痢が起こる回数も圧倒的に少なくなり、食べられる物も増えていった。電車も不安なく乗ることができるようになったのだ。
さらに!さらに!跳ねるように嬉しかったのは、
「冷房が程よく効いた場所で冷たい飲み物が飲めるようになった」
「生理中にお腹を壊さなくなった」
「お腹を壊す食べ物リストに上がっている食べ物を食べてもお腹を壊さなくなった」
などと良いことがたくさん舞い込んできた。
下痢になる頻度がだんだんと少なくなり、数ヶ月後、治療のために通っていた大学病院とおさらばした。
第4章 また過敏性腸症候群になる
それから数年後。
大学院まで通って社会人になった私。またもや過敏性腸症候群になる…。
人生で2回目の下痢の日々。当時は1時間半ぐらいかけて電車通勤していた。電車に乗っている時間が長く、またトイレがどこにあるか把握している自分がいて、仕事中も電車に乗っている中でも、お腹がグルグル騒ぎ始める。こりゃまた下痢の日々が続くと食欲に影響出ると察し、今度は家の近くにあった消化器内科のクリニックへ駆け込んだ。
駆け込んだそのクリニックの先生はなんといい先生で「おじいちゃん神かよ」というぐらい優しさに溢れていた。
私が「多分また過敏性腸症候群になったみたいなんです。下痢が治らなくて」と訴えると
「それは大変だね。仕事のストレスかい?」と親身に聞いてくれた。
神様仏様おじいちゃん先生さま!でも見た目がおじいちゃんなだけで、もしかしたら若かったかもしれない。ごめん先生。
その時に処方してくれたのはあのポリフルと下痢を抑えてくれるイリボーという薬だった。ちょうど病院に行った時期に「イリボーという薬は強い薬だったのだが、臨床試験の結果から女性にも適応されたんだよ」と先生から案内があった。どうもイリボーという薬は人によっては強いらしい。しかし私の下痢にはどうてこともなく、飲んでいたら下痢が治った。

↑イリボーという薬の詳細はこちらから。
このクリニックには3ヶ月ぐらい通い、ちゃんと薬も飲んだ結果、過敏性腸症候群とはおさらばした。おじいちゃん先生とのおさらばはちょっと寂しかったけど。
第5章 過敏性腸症候群とおともだちになる
これを最後に過敏性腸症候群とは無縁の生活を送っている。無縁といっても、ときどき下痢を起こすこともある。最近は食べ過ぎや食の食べ合わせでお腹を壊したり、冷房の風でトイレに直行することもある。
それから乳糖不耐症と言われて以来、牛乳を極力避けて豆乳を飲むようにしている。ただ無調整の豆乳を飲んでいる。なぜなら調整した豆乳はお腹を壊す成分が入っているのだ。豆乳を飲んでいてお腹を壊していた時期があったが、調製豆乳を飲んでいたのが原因だった。これ以降は無調整豆乳を飲んでいる。ただ、カフェラテは飲めるしヨーグルトも食べられるので乳製品全般がダメじゃない。これはこれで不思議。
お腹を壊した時によく飲んでいる市販薬がある。それはミヤリサンという薬だ。乳酸菌の一種である“宮入菌“は善玉菌を殺さず悪玉菌を殺してくれる菌である。よく聞くビオフェルミンは善玉菌と悪玉菌両方を殺す役割がある。おまけに乳糖不耐症を持った人にはビオフェルミンと相性が悪い。私もその1人で、小さい頃に風邪でお腹を壊した時には整腸剤で“ミヤリー“という薬を処方してもらっていた。(…あれ、私が通っていた小児科の先生は昔から乳糖不耐症を見抜いていたのかな)
このミヤリサンとの出会いは大学病院に通院していた頃、処方箋を出しに行ったドラックストアの薬剤師が勧めてくれた。「まさに善玉菌を殺さず、下痢を起こした時はミヤリサンを飲むとよいですよ」と。これ以来、お腹を壊したらまずミヤリサンを服用している。
過敏性腸症候群はいつ起こるかわからない。
過度のストレスがかかると腸にくる。
腸は脳につながっている、第二の脳だと言われている。
強迫性障害と同じく「おともだち」として過敏性腸症候群ともに歩んで生活している。
あとがき
最後に1つだけ言いたい。
それは初めて過敏性腸症候群と逆流性食道炎になったハタチの時。
当時のテレビCMでこの2つの疾患をそれぞれ啓発するCMがバンバン流れていた。これを見た母親が「あんた、流行りの病気になったの?」と言ってきたが、たまたまだと思いたい。未だにそう思っている自分がいる。
たまたまだよ、多分。
おわり。
🍊🍊🍊🍊🍊
私の代表作がノミネートされました。
残念ながら大賞受賞とはなりませんでしたけど、この機会に読んでみてくださいね。
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