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「人生を取り戻す物語」としての『8番出口』

映画『8番出口』、ちょっとびっくりするくらいの傑作でした。

これ、かなりヒットするんじゃないだろうかと思います。終わった後に「あれはどういうことだったのか?」と語りたくなる。何度も観たくなるタイプの作品だし、体験価値として映画館で観ることに意味がある。

反響は日本だけでなく世界中に広がっていくはず。すでにカンヌでは大絶賛を浴びたようだし、他にもトロント映画祭など各国の映画祭に出品されることも決まっている。NEONによる北米での配給も決定した。現象としては相当大きなものになりそう。

どこが素晴らしかったのか。


■デザインセンスの秀逸さと佐藤雅彦イズム

まずネタバレしない領域で言うと、図抜けているのはデザインセンスです。かなり研ぎ澄まされているし、洗練されている。それが冒頭のタイトルバックからわかる。なんなら作品を観ずとも、印象的な黄色のトーンとロゴを活かしたポスターだけでもわかる。

『8番出口』ポスタービジュアル

そんなの作品に関係ないじゃん?と思う人もいるかもしれないけれど、映画のクオリティを大きく左右するのがデザインセンスであるということは、たとえばポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を観れば一目瞭然でわかることで。

しかもこれは単にシャレてるとか格好いいとか、そういうルックの問題だけでもないんです。デザインを徹底しているということは、作品のモチーフとも深く結びついている。なぜならこれは「ゲームの映画化」だから。『8番出口』は「無限にループする地下鉄の通路を異変を探しながら歩き、脱出を目指す」というインディーゲームが原作になっている。そしてそのゲームにはストーリー性はない。「異変を見逃さないこと」「異変を見つけたら、すぐに引き返すこと」「異変が見つからなかったら、引き返さないこと」「8番出口から外に出ること」というシンプルなルールで成り立っている。

なぜたった一人で作ったインディーゲームが世界中で社会現象化したかというと、そのゲームデザインが秀逸だったからですよね。そして映画『8番出口』もその要素をちゃんと引き継いでいる。

思ったのは、この「デザインの秀逸さ」は、いわば「佐藤雅彦イズム」の継承だということ。佐藤雅彦は「ピタゴラスイッチ」や「ポリンキー」や「だんご3兄弟」など数々の社会現象化した作品を世に送り出したクリエイター。僕はこないだ横浜美術館でやっている『佐藤雅彦展 新しい×(作り方+分かり方)』に行って本当に衝撃を受けたんだけれど、その表現哲学は「ルールとトーン」「つくり方をつくる」ということから成り立っている。

佐藤雅彦と川村元気は2018年の短編映画『どちらを』のプロジェクトで共作している。『8番出口』で川村元気と共同脚本を手掛けている平瀬謙太朗はもともと佐藤雅彦の門下生だ。

川村元気が佐藤雅彦から受けた影響については、以下のインタビューでも語られている。


■主題を提示する「ボレロ」、トーンを規定するサウンドデザイン

そしてもうひとつ、『8番出口』で素晴らしいのが音楽。映画のトレイラーではラヴェルの「ボレロ」が使われ、劇中でも印象的な場面で使われる。『8番出口』に主題歌は存在しないのだけど、この「ボレロ」がまさに映画の主題を表現する曲になっている。なぜならこの曲は「世界で最も有名なループ音楽」だから。同じ旋律が何度も繰り返され、微妙な変化と共に少しずつ発展していく。そういう楽曲の構造が「無限ループの中で異変に気付く」という映画のテーマとリンクしている。

中田ヤスタカと網守将平による劇伴音楽もすごくいい。川村元気と中田ヤスタカは『何者』でもタッグを組んでいるけれど、『8番出口』はそれとは全然違う。一言でいうと、ビートじゃないんですよ。中田ヤスタカという名前で多くの人がイメージするようなエレクトロサウンドじゃない。むしろ不穏なインダストリアルサウンドが主軸になっている。言うならば、中田ヤスタカにトレント・レズナーとしての仕事をさせている。

そして、劇中では音がとても重要な役割を担っている。その最たるものが、予告編でもフィーチャーされている「♪ヒンホーン」という音。地下鉄の改札口で鳴っている視覚障害者向けの案内音を歪ませたようなサウンドだ。これが何度も繰り返されることで、ループ世界の不気味さと不条理さが浮かび上がってくる。

一方で網守将平も後半の印象的な場面など、とても大事な仕事をしている。

列車の走行音がいつしか「ボレロ」のリズムに変化する「Bolero」のアイディアも鳥肌立つくらいすごい。


『8番出口』を映画館で見るべき理由のひとつに、「音を体験する」価値がある。サウンドデザインもこの作品の魅力に大きく寄与していると思う。





そしてここからネタバレ。




■「見て見ぬふりをすること」と「気付いてケアをすること」

この『8番出口』で感銘を受けたのは、ちゃんとエンタメ作品でありつつ、物語が現代社会に対してのメッセージにもなっているということ。

二宮和也演じる主人公の「迷う男」は、冒頭、イヤホンをしながら地下鉄に乗っている。聴いているのは「ボレロ」だ。ふと目をやると、車内で赤ん坊が泣いている。それに怒って母親を怒鳴りつけているサラリーマンがいる。

でも二宮はそれに目をそらし、再びイヤホンをつけてスマホを見る。イヤホンをつけるとノイズキャンセリングのおかげで周囲が気にならなくなる。このノイズキャンセリングが「無関心」の象徴として描かれる。

電車を降りると、病院にいるという別れた元カノから電話がかかってくる。。妊娠したらしい、という。すぐに現実を受け入れられないまま歩いていると、ループする通路に迷い込んでしまう。

この設定がとても秀逸だなと思ったわけです。

というのも、この冒頭で示唆されたものを見れば、観客はちゃんとストーリーの出口をイメージできるから。ゲームの映画化としても、ストーリー設計の常道としても「最後に8番出口から外に出て現実に戻る」というエンディングになるのは外せないと思う。とはいえ、ただ「よかった、外に出られた」でハッピーエンドになるわけがない。そこには物語がない。

そうではなく、二宮演じる「迷う男」は、ループする地下通路を歩くうちに、少しずつ自己変容していく。襲いかかる異変は、彼自身に内在する不安や後悔や罪悪感と結びついたものになっていく。それをひとつひとつ乗り越えていく。果たして自分は父親になれるのか。命の責任を引き受けられるのか。

そして大事な場面で彼は救うことを選ぶ。

『8番出口』は「行きて帰りし物語」の構造を持っている。

だからこそ、最後は胸のすくようなエンディングに辿り着く。

『8番出口』は「人生を取り戻す物語」だ。二宮和也の演技がそれを象徴している。ぜんそくの発作で何度も咳き込み、血色の悪い顔色をしていた男は、無限ループで疲弊しているはずなのに、後半、いつの間にか力強い意志を持った表情を見せるようになっていく。

彼がそれまでの人生で選び取ってきた選択肢は「見て見ぬふりをすること」だった。無関心の累積が、いつの間にか彼を無限ループの地下通路に迷い込ませてしまった。途中でそのことに気付いたからこそ、現実世界に戻った彼は違う選択肢を選ぶことができたのだと思う。

『8番出口』は「見て見ぬふりをすること」と「気付いてケアをすること」の差分を描いた作品だ。

ちゃんとエンタメ作品としての面白さも持っている。サイコスリラー映画として96分何も考えずに楽しめることができる。

でも観終わって気付く。これ、誰しもにあてはまるような話だ。映画館の帰り道に地下鉄に乗ってスマホを開いた瞬間に「あれ……?」と感じる人は少なくないんじゃないかと思う。もし自分が冒頭のあの場面に居合わせたら。やっぱり「見て見ぬふりをすること」を選んでしまうのではないか。

「異変に気付いて脱出を目指す」というゲームデザインの骨格の部分を、現代社会を鋭く射抜く問いかけにまで昇華している。そこに凄みがあるなと思う。

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