見出し画像

自分を変えると周りも変わる

 暑さに打ちのめされたのかベンチにへたり込んでいる人物を見かけたエスは、大丈夫ですかと声をかけた。
「近くに僕らの溜まり場があってエアコンも効いていますから、よかったら来ませんか。四角い箱はあなたの持ち物ですか。では遺失物だろうか。警察に届けなくてはね。とにかくうちの部室にどうぞ」
 エスはエフと名乗る四角い落とし物とは無関係らしい人物を連れてSF研究会の部室に向かった。

「興味深いね」
部員たちは落とし物の箱に強い関心を示した。

『夫が家事をしないと嘆く妻はあとを絶たない。うちもだ。オムツ替えどころかトイレットペーパーの補充さえしない。そのうえやるべき仕事を増やし家事の邪魔さえする。もちろん犬だって粗相してトイレを汚すことくらいあるがこれは仕方がない。可愛いから許すしかない。(中略)家事は生産性のない退屈な作業の繰り返しだと思われがちだが実はクリエイティブでやり甲斐のある労働だ。例えばゴミ仕事。ガラス瓶のすき焼きのたれとかポン酢醤油といった表示を剥がして内側を丁寧に水洗いする。ガラスは本来の透明感を取り戻して最後の輝きを放つ(瓶は紙ラベルを貼られ容器の機能のみ要求され期限が切れれば捨てられる。まるで私のように)。ダイレクトメールは油性マジックで住所氏名などの個人情報を塗りつぶして捨てるが縦半分に折り内側に糊を塗り千代紙で包めば栞の誕生だ。レシートや映画や展覧会の半券と違っていつ誰と行ったのかとか、なぜこんな物を買うんだとしつこく追及される心配もない』

 研究者らは四角い物体を開いて夢中で記された文字を追った。
「夫?」
「ゴミって何?」
文は日本語だが知らない単語が散りばめられている。
「もしかしたら」
エスが恐る恐る口を開いた。
「並行して存在すると噂のディストピアの人が書いたんじゃないかな」
 存在は密かに囁やかれていた。どこにあるのか、どうやって辿り着くのかは見当もつかないが。

「本当は君のものだよね?」
ひっくり返すと裏側にFの頭文字があり表面には『息苦しい世界を生きのびる』とある。
「結局は何なの」
「紙の本です」
観念したのかエフは口を割った。
束の隙間からはみ出した長方形片には『夏の大感謝セール』と記されている。角を捩ると剥がれて内側が露わになる。黒く線を引かれた部分に除光液を塗り光を当てるとフジタヨシコ様の文字列が見てとれた。
「これを書いた僕の元配偶者です。僕は彼女に虐待されていた。だから苦労してここまで亡命したんだ」エフが独白した。つねに『姓』が争点となり、片付け問題の焦点の一つである排泄物の処理に『紙』の使用がまかり通るらしい伝説の異世界が実在していたとは。

 その後エフは被虐待体験談を売り物にしてこちら側で立場を確保した。ついでに藤田芳子であることも白紙化したのだった。もっとも注目を集めたのは紙そのものだったのだが。

 カミがなければ人は争わないのだろうか。カミのみぞ知る。

1199文字

#秋ピリカ応募

いいなと思ったら応援しよう!