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秋の旅

「わたしゃ旅とゆうもんをしたことがないんですわ、看護師さん」
車椅子の男が話しかけてくる。
「そうなんですね」
相槌を打ちながらレバーを握りしめる手に力が入る。
うそつき。うそつき。あれもあれも全部旅じゃなかったと言いたいの。晩秋の紅葉に歓声をあげて澄んだ空の下を歩いた信濃路。コスモスが揺れていた。宇宙を感じさせる花だといわれて素直に感動したものだ。中禅寺湖で釣ったマスを宿で焼いて食べたこともあったっけ。それなのに。私のことをどこかの若い女性と勘違いして旅を知らないんですよだから今度一度つきあってくださいよとでも言葉をつなぐつもりなのだ。ぼけ老人どころかとんだ色ボケではないか。許せない。構わず男は続ける。
「わたしゃ旅に出るような気がする、今年の終わり頃に」
えっ?
「もう見えるんだよね。木々の赤い葉だとかピンクが一面に咲き乱れている様子が。懐かしい顔が手を差し伸べてくるんだ」
イヤ!
お願いだからまだ旅立たないでよお父さん!

410字

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