No.81 『現状や自分のお気持ち、そして今後どうなりたいか』について

0. Abstract

 表題の件について, 急遽『自分の言葉』で書かなければならなくなったので, 勢いでサッと書いてみる. 

1. 現状や自分のお気持ち

 「現状」については不満はない. いや, これは嘘である. 寧ろ, 世の中に対してはほぼ不満しか抱いていない. 正確に言えば, 不満というよりは憤り, 怒り, あるいは哀しみ, 虚しさといったものの類である (例は``無限''に存在するので挙げない). ただこれに関しては30年くらい前からそうだから, 別段今に始まったわけではない. そういう意味では,

「大域的」には, 「現状」は stable である

と言えよう. 
 他方, 「局所的」, つまり「自分の近傍」においては不満はない. 仕事も, 金も, 趣味も, その他諸々も, 人並み, あるいはそれ以上に恵まれており, 特にどうこうしようという気もない. というより話は逆で, 「大域的」な不満に対し,

「不満がない領域」を「自分の近傍」と定義している

気がする. だから本来「局所的」に不満がないのは当然なのだ. 
 このように「不満」の有無を軸に「大域」と「局所」で住み分けているわけだが, この住み分けがうまく出来ている分, まだ恵まれており, 健全なのだと思う. 少なくとも「不満がない」としている「自分の近傍」に「大域」からの不満が漏れてくるほど, ヤバい状況ではないからである. 

 だから「現状」としての不満や問題点はさして感じていないのだが, 強いて難点を挙げるとすれば, やはり

結婚

ということになるだろう. 何せ年が明ければ私も36だ. 親やBoss達にせっつかれるまでもなく, そりゃあ結婚できるものなら, 明日にでも結婚したい. ただ, これは私の努力でどうこうなるわけではなく, 私の伴侶になる者の存在が無ければ実現しないのであって, 端的に言ってどうしようもない.「自分にとってどうしようもない」という意味では, これはある種「大域」の問題であり, そもそも問題にしようがない(解決しようがない)気もする. つまるところ

なるようになるか, ならぬか

ただそれだけなのだ. 
 それに, 樹木希林だったか, 

『結婚は, (何も考えない)勢いが大事だから, 若いうちでないとできない』

といった類のことを言っていたような気がするが, 私の場合, 

「何も考えない」ということができない

ので, 必然的に若かろうが, 歳を取ろうが結婚できないことになる. 「酒」にすら(酔った状態を理性的に俯瞰, 矯正して)酔えぬようでは, 「色」には到底酔えまい. 実際, 私が逆の, つまり将来的に私の伴侶になる立場だったとすると, 私という人間に生涯を賭す理も, 故も, 何一つ理解できない(そんな理由が存在するとは思えない). 
 尤も, 世の人を観察していると, どうもそんなことをマジメに考え, 悩んでいるとは到底思えない. とすれば何も考えずに勢いで, 自らの生涯を賭け合える彼ら彼女らは完全に狂っているのだろう(私にはない狂気なので, ある意味, 羨ましくもある). あるいは, そんなことをバカ正直に考えて, 悩んでいる私の方が狂っているのだろうか. 

2. 今後どうなりたいか

 以上のように別段不満がないので, 「今後どうなりたいか」も特にない. とりあえず

「フツーに生きたい」

というのは, どうも無理そう(運命がそれを許さなそう)なので諦めた. なので

「なるようになりたい」

あるいは

「己が運命に従って生きたい (『あの日から続く願いを背負って生きたいだけ』)」

というところか.
 歳を取れば取るほどに感じることは,

「自分が, 正に「数奇」な運命に導かれるが如く生きてきた」

という実感である. 人生における数少ない成功も, 数多の失敗も, そのいずれもが今この場所に私を導くための, 必然の帰結であったようにさえ感じる. そしてそれは私にとって, 楽だったわけでもないが, 決して悪いものではなかった. 少なくとも今までは. 
 だからこれからも, 

「その運命に導かれる先はそういう悪いものではない」

と信じ, 生きていく. というより, そう生きていく以外に, 私はもう自分の人生の生き方も, 扱い方もわからない. そして

「それでいい」

と思えるようになった. だから, この話はこれで終わりで, 論じることは何もないのだ. 

 なのだが, それでもあえて何かを望むとすれば, 最近, 割と唐突に「約束の地」が見えたような気がする(幻覚?)から

「預言者になりたい」

かな. 「預言者」とは

「約束の地, 遥かに遠き理想郷を目指し, それを目にすることはできるが, そこに決して辿り着けない者」

の意だが, 私の場合, あと50年(あと50年で世の中どれくらい変わるだろうか)頑張ったとしても, 力量不足で

「目にすることもできない」

かもしれないし, 最悪

「存在しませんでしたオチ」

までありうるけど, せめてその存在は信じ, あるいは人に信じさせたまま死にたい. それだってできなかった偉大な先達は, 文字通り五万といるからイヤになっちゃうんだけど, せめてそのロマンに生きて, そのロマンに死ねたのなら満足すべきなのだろう. 

 あと「人からの預かりもの」が余りにも多いので, 少しでもそれを誰かに渡したい. まぁ, 私で捨ててしまうには惜しいものが多すぎるとはいえ, これも「大域」の問題で私が頑張ったところで, ダメなものはどうしてもダメなのだろう. ただ同時に, 歴史や運命はそれなりに信じているので, 仮にそれが私で途絶えても, 本当に必要なものであるならば, 全くの別ルートから何某かの形で継承されていくはずだと, 楽観的に考えることもある(というかそう考えないと, その重みでこちらが参ってしまう).

 つまりこれも結局は

「なるようになれ (なんとかなれ)」

になるわけで, やはり「あえて」を論じたところで結論同じ.

だからこれで本当におしまい.

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