あなたはnoteを好き勝手に書きたいの?それとも誰かに読んでもらいたいの?
こんにちは、しちゃうおじさん(以下「しちゃおじ」)です。
突然ですが、ここを読まれている皆さまへの問いかけです!
『あなたは、noteを書きたいのですか? それとも、noteを読んでもらいたいのですか?』
『書きたいのですか?読みたいのですか?』ではなく、『書きたいのですか?読んでもらいたいのですか?』とお聞きしています。
あなたの回答が『noteを書きたい』であれば、自分の好き勝手に思いのままに日記みたく書き散らしていれば済む話なのですが、このnoteという街ではどういうわけか、そんなあるがままの自分のnoteを、ありのままに『読んでもらいたい!』と切望する方がいます。
芸能人でもない無名の一般人なのに、自分の好き勝手をnoteに書いておきながら、それでいて『たくさんの人に読んで欲しい!共感して欲しい!承認・称賛して欲しい!収益化してお金を稼ぎたい!ワクワクポジティブ~』などと夢想している方がごまんといるのです。
でもね、あなたが芸能人になって活躍できるような実力と才能に恵まれた表現者でもない限り、読者さんの存在を無視したひとりよがりのメッセージを熱心にnoteで発信してみても、自己満足にはなりますが、読者さんを誰一人として満足させることができません。
それはつまり、「誰も真剣に読んでくれないし、読む理由がどこにもないnote」になります。
いえ、あなたの回答が『noteを書きたい』であれば、それで構いません。
『自分の好き勝手に書いて何が悪いの?わたしは自分のためにnoteを書いている』の意見や主張は理解できますし、言うまでもなく「しちゃおじ」も自分のために書いています。
しかしながら、本当に『わたしは自分のためにnoteを書いている』のであれば、例え「スキ」や「コメント」がひとつもつかなくとも、例え「ビュー」がスッカスカで寂しくとも、誰にも見せることのない日記帳と同じように、ひとり黙々と書き綴っていれば満足のハズです。
でも、noteの街を観察していると『自分の好き勝手に書いて何が悪いの?わたしは自分のためにnoteを書いている』の意見や主張をされるような方ほど、本当は『読んで欲しい!共感して欲しい!承認・称賛して欲しい!』と切望しているところが見えて面白いです。
ありがちなパターンとしては、スキやコメントがつかなかったり、ビューが寂しかったりすると、まるで進学したばかりの教室で話し相手がいなくて孤独を感じてしまうかのように、どこか楽しそうに見えるコミュニティに参加して自分の居場所を確保してしまうことです。
そういったコミュニティには、同じように『読んで欲しい!共感して欲しい!承認・称賛して欲しい!』と切望している方が集っていますので、「誰も真剣に読んでくれないし、読む理由がどこにもないnote」であっても、傷の舐め合いで、その事実を覆い隠してしまいます。
本来、あなたの回答が『noteを読んでもらいたい』のであれば、『あるがままの自分のnoteを、ありのままに読んで、共感して、承認・称賛して欲しい!』といったワガママをコミュニティでの交流でごまかしていないで、読者さんの需要を満たす記事を書く必要があります。
「読者さんの需要を満たす記事」と書いてしまうと抵抗を覚える方もいるかと思うので、「読者さんの気持ちや感情を理解して、それに応える記事」と理解をしてください。
読者さんは、あなたのパパやママではないので、あるがままのあなたのnoteを、ありのままに読んでくれて、しかも共感をしてくれて、さらには承認も称賛もしてはくれません。
『あなたは、noteを書きたいのですか? それとも、noteを読んでもらいたいのですか?』
あなたの回答が『noteを書きたい』であって、『わたしは自分のためにnoteを書いている』のであれば、誰も真剣に読んでくれなくて当然ですから、スキやコメントがつかなかったり、ビューが寂しくても、そんなことは気にしないことです。
間違っても、コミュニティでの相互交流で自他をごまかして、『自分のnoteはそこそこイケてる!』と見苦しい勘違いをしないでください。
そして、あなたの回答が『noteを読んでもらいたい』のであれば、あるがままの自分のnoteを、ありのままに『読んでもらいたい!』といつまでもワガママしていないで、「読者さんの気持ちや感情を理解して、それに応える記事」を書きはじめることです。
そんな読者さんの需要を満たすnoteを、読者さんが放おっておくわけがないのですから。
『あなたは、noteを書きたいのですか? それとも、noteを読んでもらいたいのですか?』
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以上 – あなたはnoteを好き勝手に書きたいの?それとも誰かに読んでもらいたいの?– でした。
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