ぼくは彼女の弟さんに恋をする
ぼくの彼女には高校生の弟さんがいる。ぼくの彼女の由梨は、桜木町のほうにある実家で、お父さん、お母さん、その弟さんと4人で暮らしている(私生活の暴露)(プライバシーの侵害)。先日、いつものように由梨と一緒にご飯を食べていると、弟の誕生日記念にこの前家族でフレンチレストランへ行った、牛フィレ肉のポワレが美味しかった、という話を聞かされた。さすが裕福なご家庭は違いますね。ぼくはポワレとやらが何なのかさえ分かりませんよ。名探偵ポワロの親戚か何かですか? きみの彼氏はいま食べているカプリチョーザのシチリア風ライスコロッケがこの世で最も高級な料理だと思っていましたよ(だってこれ1個で860円もする)。
「写真見る?」と由梨はかばんからスマホを取り出し、フレンチレストランで撮影した写真をぼくに見せてくる(ぼくはまだ見るとも見ないとも言ってないぞ)。ぼくらが付き合い始めて一年になるが、ぼくが由梨の弟さんの写真を見るのはこの日が初めてだった。由梨と弟さんは席が向かい合わせだったのだろう、その写真は弟さんのワンショットで、濃緑のシャツを着た若い男の子が微笑をたたえてこちらを見ている。ここではその弟さんの名前を仮に「孝彦くん」としておこう。きょうだいだけあって孝彦くんは由梨と似ているといえば似ていたが、それは「この二人はきょうだいです」と言われたらそうですよねと思う程度の感じで、特に目の印象が違っていた。
かわいい。かわいすぎる。えっと、えっと。なにこれ。あっ、胸がドキドキする。かわいい。かわいい。これが恋というものかしら。
ご存じない方のために言っておくと、ぼくはゲイだ。それなのにどうして彼女がいるんだという話はここでは割愛するが(気になる方は過去のnoteを漁ってください)、孝彦くんはぼくの理想のタイプ(高身長の爽やかイケメン)とは異なるものの、むしろジェンダーレス男子っぽささえあるものの、ぼくがこれまでに目にしてきた生き物の中で最もかわいい生き物の一つだった(言い方)。個人が特定される万一の事態を避けるためあえて細部の詳述は避けるが、とにかく孝彦くんはかわいいのだ。かわいすぎるのだ。
ああ、この写真がほしい。ぼくはコレクター気質の人間である。この孝彦くんの写真を自分のスマホのギャラリーに収蔵し、明日からの生きる糧としたい。しかしぼくがここで急に「由梨その写真LINEで送って」と言ったら、きっと由梨は「どうして? なんのために?」と訝しがるに違いない。最悪、ぼくがゲイだということに気付いてしまうかもしれない。ぼくは慎重に言葉を選びながらお願いする。「あ、あの……そ、その写真、ぼくに送ってくれないかな? ……ゆ、由梨の弟さんは……ぼくにとって大切になるかもしれないひとだから……」。言った瞬間、自分はなんて意味深なことを言ってしまったんだと後悔した。だが時すでに遅し。明らかに由梨はそういう意味だと誤解し(家族になろうよ)、ぼくへの胸キュン度をますます高めたようすだった。ぼく、女の子にこれ以上好意を寄せられても困るんだがな(モテる男はつらいよ)(ただしぼくはゲイだがな)。
「うん(照)……でも変なことには使わないでよ?」。ぼくって案外信用されてないんだなと傷付きつつ、「変なこと」にアレって含まれますかねと着想しながら(そういう使用法を想定していたわけではなかったがぼくの性欲が暴走する可能性は排除しきれない)、目の前の彼女の指の動きを見届けて自分のスマホを確認する。来てる来てる。うへえ。孝彦くんだ。保存。きちんと保存できているかギャラリーを確認。ヤバい。かわいすぎる。ずっと見ていたい。でもこの場で鑑賞するのは我慢。もしここでニヤケたらぼくがゲイだとバレてしまうかもしれない。ぼくは孝彦くんをゲットしたのだ。この画像はいつでも見れるのだ。平常心を取り戻してスマホを傍らに置く。「どうも。ところでこの前行った発表会のDJ番組なんだけどさあ……」。話題を放送サークル方面に急転回し、まるで一連のやり取りには何の意味もなかったかのように振る舞う。ぼくはノンケを演じるゲイなのです。
帰宅して手を洗い、自分の部屋に入るとさっそく孝彦くん(写真)と対面する。5分ほど眺める。はあ、たまらない。もう誰に見られる心配もないのでぼくはニヤケ面全開である。由梨は以前、自宅に来ないかとぼくに言ってきたことがあった。ガチトーンで言ってきたわけではなかったが、ご実家に伺うとかふつうに無理ゲーなのでよく分からない理由で丁重にお断りした。でも、孝彦くんに会えるなら行ってみてもいいかも。その日、なぜか由梨のご両親は遠方の親戚の法事のため不在で、家には由梨と孝彦くんしかいない(注:すでに妄想が始まっています)。「あっ、(ぼくの下の名前)さんですね! 姉がお世話になってます。写真では見せてもらってたけど実物はもっと素敵ですね」。孝彦くんはさっそくぼくに懐いている。3人での夕食中、由梨が「あっそういえばわたし、今日は友達の家に泊まる約束してたんだった! ごめんね、あとは二人で楽しんで!」と叫んで家を出ていく。「二人きりになっちゃったね」とぼく。「ですね……! (ぼくの下の名前)さんと一緒にいられてすごく楽しいです。すごくぼくたち相性いいと思う」と孝彦くん。食事を済ませて二人で食器を洗う。ゲームで対戦したあと、なぜか一緒にお風呂に入ることに。相手はまだ高校生だとぼくは必死に自分に言い聞かせる。お風呂から上がってリビングで雑談。孝彦くんはパジャマ姿もかわいい。マンツーマンの会話を通じてますます孝彦くんはぼくに懐いている。「(ぼくの下の名前)さんと一緒にいるの楽しすぎます」。気が付けば24時を過ぎている。「そろそろ寝るか」とぼく。「……はい」と孝彦くん(少し寂しそう)。ぼくらは別々の部屋で寝る。26時11分、ぼくの寝ている部屋に誰かが入ってくる。パジャマ姿のかわいい美少年だ。「(ぼくの下の名前)さん、寝てる……?」 。なぜかぼくは起きているので「んー? 起きてるよ。どうした?」と優しく尋ねる。孝彦くんは「怖い夢見ちゃって……一緒に寝てもいい?」と目を潤ませながら答える。ぼくは孝彦くんを「うん、おいで」と自分のベッドに招き入れる。「(ぼくの下の名前)さん、実はね、ぼくはゲイなんだ」。孝彦くんは唐突に告白する。「このこと誰にも言えなくて……でも(ぼくの下の名前)さんには言っちゃった(照れ笑い)……それはたぶん……ぼくが(ぼくの下の名前)さんのことを大好きだからだと思う……この大好きがどういう大好きなのかはまだ分からないけど……でもそういう意味での大好きなんだと思う……ぼく、(ぼくの下の名前)さんのことが……(ぼくの下の名前)さん、ぼく……ねえぼくもう我慢できな……
「ごめん、明日15分ぐらい遅れる!」。LINEのポップアップ通知。由梨からのメッセージである。くそっ、いいところを邪魔しやがって。ぼくはいま孝彦くんにキスされるところだったんだぞ。抱きしめ合って愛を交わすところだったんだぞ。きみの実家のベッドの上でな!
「5限後に図書館でひとと会うからです(敬礼する看護師の絵文字)」。明日はぼくと由梨が神田駅1番線ホームで待ち合わせて一緒の電車で帰る曜日の日だ。ぼくは本来なら4限上がりで帰宅できるはずなのに、5限の時間を部室か図書館で潰して待機しなければならない面倒な曜日の日だ。そもそもひとと会うって、いったいそいつは誰なんだ(嫉妬ではない)。ひとと会うくせに15分で用事が済むのか。それ何の用事なんだ。「もしかしたら20分ぐらいかもー!」。また送られてきた。最大20分遅刻するって言いたいのか。110分の空き時間だったら映画館へ映画を観に行けるじゃないか。っていうか行っちゃおうかな。いや、移動時間とか考えると110分って微妙すぎる。どうせなら40〜50分遅刻してくれ。はあ。たかだか27分の京浜東北線タイムのために110分を待つぼくにノーベル平和賞がいまだ授与されていないのはおかしい。ぼくはノーベル平和賞を認めないぞ。まったく認めないぞ。ぼくは怒りに身を震わせながら「わかりました。待ちます」と由梨に返信する。目を輝かせているちいかわのスタンプが送られてくる。はあ。気持ち悪い。ぼくはちいかわをそこまでかわいいとは思ってないんだぞ(問題発言)。心を落ち着かせるため、LINEをスワイプでアプリごと吹き飛ばし、ギャラリーに収まる孝彦くんの写真を再び眺める。ああ、かわいい。やっぱりかわいい。たまらないなあ、孝彦くんは。さっきはごめんね。口づけを交わすところだったのにね。きみのお姉ちゃんは空気が読めないところあるよね。あとカミングアウトしてくれてありがとう。実はぼくもゲイなんだ。ぼくらは相思相愛だから安心してね。これからはずっと一緒だよ。ぼくは孝彦くんを一生離さない。これからぼくたちは真実の愛を……
「ありがとうなのだよ!(感謝の絵文字) 夜勤がんばってねー!」。まただ。また由梨に邪魔をされた。きみはそんなに自分の彼氏と自分の弟が愛を交わすのを妨害したいのか。メッセージが続けざまに送られてくる。「でもむりをしてはいけない」(+涙目のちいかわのスタンプ)。住宅地のコンビニでの夜勤(暇)に無理とか有理とかいう概念が存在しないことを由梨は分かっていない。しかしまあ、いまのぼくに「無理をするな」と言ってくれる唯一の生命体を足蹴にしては人倫にもとる。ぼくは三国志スタンプのうち、孔明が「ご厚情に感謝いたす」と言っている図柄を選んで送信する。由梨はぼくと孝彦くんの交際を邪魔するふつつか者だが、わざと邪魔しているわけではないので悪いやつではない。また孝彦くんの写真を眺める。いいね。かわいい。やっぱりかわいい。口元が緩んできちゃう。……はあ……たまらん。この世にこんなにかわいい子がいるなんて知らなかった。しかし今日それを知ってしまった。ぼくは孝彦くんを一生離さないぞ。ぼくは孝彦くんと二人で生きていくんだ。これこそ、真実の愛!
後日由梨から聞いたところによると、孝彦くんには同級生の彼女がいるとのことだった。あの晩、孝彦くんはぼくに嘘をついていたのだ(違う)。ノンケに恋しなければならないなら、ぼくは同じサークルの後輩の深田に専念する。深田はいい。何がいいって、高身長で爽やかでイケメンなのだ。まさにぼくの理想のタイプだ。かわいいよ深田、かっこかわいいよ。そういえば今日、深田が4号館の前を友達と歩いているのを見かけたな。やっぱりかっこよかった。まあ、孝彦くんがバイセクシュアルである可能性はまだ残っているので、孝彦くんへの恋心は完全には消さないでおくけれども。いや、そもそも孝彦くんは本当はゲイかもしれないし。「ゲイなのに女子大生と付き合っている男子大生」がいるなら「ゲイなのに女子高生と付き合っている男子高生」がいてもおかしくはないだろう。
スマホのギャラリーを開いて改めて孝彦くんの写真を見る。うん、やっぱりかわいい。ただ、よく見ると由梨に結構似ている。というか輪郭はほぼ同じだ。唇の形も似ているし、あと結局目も似ている。一卵性双生児(でしたっけ? 顔がそっくりになりやすいのは)っていうほど似ているわけではないが、きょうだいだってことはよく分かる。あー、由梨が孝彦くんで、孝彦くんが由梨だったらなー。小手家の姉と弟をスイッチングするアプリとか開発されてないんだろうか。マジで悔しい。この前の日曜……とか書くと生々しくなるので先日ということにしますが、例の上目遣いに誘導されて由梨とホテルで正常位していた時、一瞬だけ孝彦くんの顔が脳裏にチラついてしまったのはここだけの秘密です(罪悪感ハンパなかった)。
