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100万円の布団を買った男の一生 〜 叶わなかった結婚初夜

布団を買った男の一生
      畳一つ分の距離

田村修一、七十二歳。
東京の下町の古びた風呂もないアパートの
二階に、一人で暮らしていた。



彼は昭和二十年代生まれではめずらしい
一人っ子として、復員軍人の父と、
繕い物しながら家計を助ける母との間に
生まれた。
家は貧しく、中学の時に父を失った。

中学をでると町の旋盤工場で働いた。
特に器用ではなかったが、真面目だった。
親孝行で母の面倒をよく見た。
母は長く寝たきりだった。

結婚を意識したことが一度だけあった。
柔らかく笑う、近所の薬局に勤める女性。
母の薬をいつも取りに行くうちに
少しずつ お互いの身の上を話すようになった。

修一は好意はあったが、踏み出せなかった。
「母のことが落ち着いたら結婚の話を――」
そう思ったまま数年がたち気がついた時には、
彼女の名字は変わっていた。

その母を一人で看取り、
気づけば彼は既に五十歳を過ぎていた。
人生とはそういうものか、と思った。



それでも時は流れる。

彼の工場は時代の流れに逆らえず閉鎖され、
仕事を失った。
世代が入れ替わり、町の景色も変わっていく。
母を亡くしてから、もう20年が過ぎていた。

彼は誰かが来ることもない静かな部屋で、
週に2回公園の掃除の仕事をし
それ以外の日はテレビを眺め、
夕方になるとスーパーの
値引きシールが貼ってあるお惣菜を買って、
電子レンジ調理のパックのご飯を食べ、
インスタントの味噌汁をすする
日々を過ごしていた。
それは平穏で、孤独で、悪くもないが、
何も起こらない日常だった。



夏の終わりごろのある日、
彼がいつも通ってる銭湯で
健康食品の販売イベントが行われていた。
彼に青汁をくれた三十代くらいの健康食品の
セールスマンが面白いこと言った。

「結婚を考えている女性がいるんです。
 旦那さんに先立たれてしまった不幸な
身の上なんですけれども、とてもまじめな方で
あなたのような誠実な方となら、
きっとうまくいくんじゃないか
と思うんですけど」

驚いた。
自分にそんな話がくるとは。
修一は最初 実感がわかなかったが、
男はポケットから
1枚の写真を取り出して見せた。

写真の中の女性は50代半ばぐらいに見える。
取り立てて美人だとは思わなかったが、
どことなく母に似たような面影があり、
優しそうに見えた。

男は言った。
「生活にもちょっと困ってるみたいで、
質素でもいいので支え合って暮らしていける
人を見つけたいと言ってましたよ」

修一は、そんな人だったら、
もしかして自分との結婚も
考えてくれるのかも、とそんな気がした。

男は
「興味があったらここに電話してください」
と言って 写真の裏に電話番号を書きつけた。

そしてその写真を押し付けるように
修一に手渡した。



修一はその夜、いつものように
9時過ぎには明かりを消して床についた。
布団で横になっていると、
もらったあの写真が気になった。
修一は明かりをつけて、
もう一度写真を眺めてみた。

「こんな人が嫁に来てくれたらいいだろうな」
そう思った。
明日電話をして、とりあえず
詳しい話だけでも聞いてみようと思った。



翌日電話をすると
男はすぐにアパートに来てくれた。
例の青汁をまた持ってきてくれて、
それを台所の水で作ってくれながら
「とりあえずあなたの写真を送って、
話をしてみましょう。」と言った。

男は続けて
「しかし、お嫁さんをもらうとなると
生活とか大丈夫なんですか?
貯金とかちゃんとありますか?」
と尋ねてきた。

修一は「工場は潰れてしまって
退職金もほとんどもらえなかったが、
それでも100万ぐらいの蓄えはある。
それに厚生年金をちゃんとかけていたから、
月12万ぐらい年金が出る。」と正直に答えた。

男は
「それなら結婚してもやっていけそうですね。
女性に聞いてみますので
楽しみに待ってください。」
と快活そうに言って、帰っていった。

なんとなく希望が持てるような気がしてきた。



数日後、男は再びアパートを尋ねてきた。

男は言った。
「よかったですね。彼女はあなたと
結婚してもいいって言ってますよ。
このアパートにお嫁に来てもいいって
言ってくれています。」

修一は久しぶりに胸が高鳴るのを感じた。

男は言った。
「彼女は自分は質素な女なので
どんな場所でも新しい夫のいる場所で
暮らしていこうと思います。
でも、せっかく結婚するんだから
夫婦で一緒に寝られる新しい布団を
用意してくださいね、と言っています」

修一は、
こんな古いアパートに来てくれるなんて、
なんていい女なんだろう。
そしてせめて新しい布団だけは欲しい
と言っている。
それはそうだろう、と思った。

「その人と暮らすにはやっぱり布団が
大事ですからね。
ぜひこちらのダブルの羽毛布団セットを――」

男はパンフレットを見せてきた。
そこには120万円の値段が書いてある。

高すぎる。

修一は、自分にはちょっと無理だ、
もうちょっと安いものを、
と言おうと思ったその時、
男は「私はね、あなたとお嫁さんのために、
この最高の布団をどうしても
買って欲しいんですよ。だからこれを
特別に100万円におまけします。
それだったらすぐに決められるでしょう」
と言った。

修一はなおも躊躇した。

「こんないい布団で初夜を迎えられる
お嫁さんは幸せだなあ。」
男は続ける。

ふかふかで、真新しい羽毛布団。
新しく来てくれる若いお嫁さんと
一緒に過ごすための布団。

修一は購入することを決めた。

男は早い方がいいというので、
その場で契約し、一緒にATMに行き、
現金下ろし 、支払った。

布団は一週間ほどで届き、女性は来月には
修一のところへ来てくれるという。
修一は写真立てを買い、
父母の写真の隣に彼女の写真を飾った。

修一は彼女の名前を聞き忘れたことに
気がついた。
しかし、いい。
彼女は来月来てくれるのだから。



一週間後、約束通り布団が届いた。
圧縮されてるせいもあるのか、
布団セットは思っていたよりも小さく思えた。

「一緒に寝られるまで、
この布団は取っておこう」

半月が過ぎたころ 少し心配になり
修一は男に電話をしてみた。
電話は繋がらなかった。

それでも修一は希望を捨ててはいなかったが
約束の一ヶ月が経ち、
そして二ヶ月が過ぎた頃には
彼女は決してこないということを受け入れた。

銭湯で尋ねてみたが、
もうあの健康食品業者とは
連絡が取れないという。

警察に行くことも考えてみたが、
全ては虚しいことのように思われた。

半年ほどが経った頃、
修一は彼女の写真の入った写真立てを、
写真を下向きにして伏せた。
それでも写真を捨てる気には
なれなかったのだ。



3年ほどが過ぎたが、
その羽毛布団は使われることなく、
部屋の片隅に丁寧にしまわれていた。
誰にも触れられず、
ただ静かに時間を刻んでいる。
修一の父母の写真の隣に、
彼女の写真も伏せられている。

修一はその布団から畳一つ分だけ離れた、
安くて古い布団の上でひとり、
冷たく孤独な夜を越え、
静かに息を引き取った。



彼の死はちょっとしたニュースになった。
大きなニュースではない。
新聞の3面に書かれた小さなニュース。

いつもゴシップばかり載せている
女性週刊誌にも、
高い布団を買ったバカな男の
小さな記事が載った。

それを読んだある女は、
「男はいくつになってもスケベだ。
いやらしいことばっかり考えてて救いがたい。」
と思った。
それもそうだろう。実際その通りなのだから。

男は馬鹿で、単純で、
いくつになっても女が好きで、
その身体に触れたいと思っている。
夢を見て、裏切られて、だまされて、
それでもやっぱり女を求める。

男の「スケベさ」は、哀れで、滑稽で、
でもだからこそ、どこか祈りに近い。



この話はもちろんフィクションですが、
遠い昔に読んだ新聞記事の記憶から
私が想像を膨らませて書いたものです。
今ネットを検索してもその元となった記事を
見つけることができなかったんですが、
老人がお嫁さんを紹介すると騙されて買った
その高い布団を自分で担いで運ぼうとした
っていうようなことが書いてあったような
気もしたんですよね。
もしその元のニュースについてご存知の方が
いらっしゃいましたら教えてください。

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